「冗談だよ……なあ、ナタク……」
「そ……そうだよ。顔の硬さと髪の毛の剛毛は切っても切り離せないって言うし……」
トシは明らかに動揺し、同じく動揺するナタクへと言葉を投げ掛けた。受け取ったナタクは、表情の硬い私の顔を引き合いに出し、うんちくを捏造して苦し紛れの言い訳をしたよ。
「そんな言葉は初めて聞いたな! 証明したからには『ハゲ親父』は却下だからな!」
私は冗談めかしではあるが、語尾を強めて言い聞かせたんだ。
「うーーん。し……仕方ないな、トシ」
「そ……そうだな…………」
罰が悪そうに、二人は目配せをして言った。
「で、どうするんだ」
私はこの子達に決めて欲しかったから、自分からは提案しなかった。
「ただの『親父』でいいか」
「そうだな、カツラでも植毛でもないなら、ただの『親父』しかないしな」
トシがナタクへと呟き、残念そうなナタクはぼそりと同意した。
「ということで、ただの『親父』でいい?」
「……嫌なら『親父殿』でもいいけど」
頭髪のことは本気で勘違いしていたようだったが、二人は始めからそう決めていたんだよ。親の背に隠れる子供みたいな表情をしていた二人を見ると、そう確信した。『ハゲ親父』なんて認めるわけないからな。誰が見ても、明らかな照れ隠しだったよ。
「からかわれているようだから、『殿』はいらないよ。今日から私は『親父』だ。で、トシ、ナタクでいいな」
「はい!」
「はい!」
夕暮れの柔らかい光に照らされ、どこにでも居る普通の子供の笑顔を私に向け、二人は元気よく返事をした。
「明日は休みだし、皆で旨いもの食べに行くか」
堅物の私が持つ、嬉しさの表現方法なんて、それくらいしかなかった。
「うん、回転しない寿司!」
空に拳を突き出しトシが言うと、
「駄目だね。国産限定高級焼き肉だね」
ナタクが拒否して訂正する。
「おいおい、公務員の薄給舐めるなよ。そこは遠慮しろよ」
「えーー、親父はキャリアだし、金持ちの息子だろ。ケチくさいな」
「トシ……そんなこと、どこで調べたんだ。俺は婿養子で、財布は妻に握られているよ。調べたんなら知ってるだろ」
「情けないな、そんなんじゃ、キャリアでも出世できないぞ」
「ナタクまで言うか。どっちか慰めてくれよ」
「はーー。仕方がないな……情けない親父に免じて、回転する方で我慢するか」
「はーー。しょうがない……安い焼き肉で手を打つか」
呆れた二人は、同時に呟いた。
「ん!? 寿司だろ!」
「はあ!? 子供は肉に決まってる!」
あんなに仲が良かったのに、一触即発だ。
ちょっとした小競り合いがあり、最後は、お約束の……お約束と言っても分からないだろうけど、トシがナタクのお尻を蹴り上げて、
「ハー死たい……」
ナタクの口癖で終わったんだ。
お約束とは、小さい時分から、だらしないナタクを鼓舞する為に、ナタクの幼なじみがお尻を蹴り上げていたらしくてね、口癖までの一連をのことをいうんだ。
「皆に意見を聞いてからだ!」
私はそれを見届けて、その場を納めたよ。
その月は、財布の中身は寂しかったが、これとないほど、心が充実したのを、今でも色あせずに覚えているんだ。
「そこから今に至っているよ」
「…………ふーーん。そうなのね……だからといって好きにはなれないけど」
突っ込みたいところが要所に点在していたが、遥は全てを呑み込んで、ぶっきらぼうに答える。しかし、言葉とは裏腹に、自分のことのように感動して涙ぐみ、父親に見られないように、窓に視線を逸らした。
話しをし終えて感極まる長谷川は、遥と同じように目に涙を浮かべながら、何も言わずに、暖かい笑顔を遥に向けていた。
そこからは他愛のない話が続いていく。
「そろそろ行きましょうか」
話が途切れるのを見計らって時計を確認した遥は、思いの外、時間が経っていることに驚き、切り出した。
「そうだな。今日は楽しかったよ。少しでも歩み寄れて良かった」
「少しじゃないわよ……」
遥は恥ずかしそうに言った。
幸せを噛み締めるように唇を閉じ、長谷川は控えめに喜んだ。そして、少しの間を開ける。
「話が変わって申し訳ないが、最後に一つ」
意を決するように、真剣さを目に宿して硬い顔を遥に向けた長谷川は、場の空気を引き締める。父親の顔と警察官の顔が入り交じっていた。
「はい」
遥は空気を読み、素直に返事をする。
「復職後は、当面は刑事課には戻れないだろう。ナタクの言うような事務ではないにしろ、体の良い課に送られるだろう」
「はい、分かってます」
無念さに滲む遥ではあったが、十二分に理解していた。
「私には、直接、遥の人事に介入は出来ないが、伝はある。なので、遥の覚悟が知りたい。刑事の仕事を続けるために、苦汁を舐める覚悟はあるか」
眼に力を込めた長谷川の目には、組織の上司としてではなく、父親としての情が強かった。
「あります」
父親の意図は分かりかねたが、刑事に対する遥の心は決まっていた。迷いなく返事をする。
「………………ふーーー。そうか」
遥の覚悟を込めた眼をじっと見つめた長谷川は、根負けしたように視線を逸らし、脱力して呟く。
「急に何? からかっているの?」
そんな父親を見て、緊張を解した遥は不安げに言った。
「娘を心配する父親としては、ナタクの提案を飲みたい思いなんだが、娘の将来を邪魔したくないという思いもある。遥の覚悟を見て、天秤に射かけたんだ」
遥の不満を受け、未だ残る葛藤に折り合いを付けながら、長谷川は説明する。
「ありがとう、お父さん……」
想いを素直に受け取った遥は、軽く頭を下げ感謝する。
「でな、私が提案するのは…………」
長谷川は、小声になると、その詳細を遥に説明する。
「えーー!!?」
内容を聞いた遥は、自分の覚悟に罅が入るのを感じた。
「それなら私が手を回そう」
長谷川は、いつになく意地の悪い笑みを浮かべ、ファイナルアンサーを迫った。
「…………分かりました。意地悪」
渋々受け入れた遥は、子供のように口を尖らせて、捨て台詞を投げ掛ける。
「我を通す為には、リスクは伴うものだよ」
長谷川は軽く躱す。
「あの人達との付き合いで、きっと、お父さんは毒されたんだわ」
そんな長谷川に憎まれ口で追撃する。
「かもしれないね。そろそろ行こうかね」
ひらりと躱し、長谷川は笑顔を向けた。
「ふんっ」
観念した遥は、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「少し電話をしないといけないので、外で待っててくれないか」
長谷川は、思い出したかのように、席を立つ遥に言った。
「気が向いたらね」
「そう言わずに」
「ちょっとした仕返しよ」
気持ちを切り替えた遥は、父親に笑顔を向けて踵を返すと、マスターに挨拶をして外に出た。
長谷川はそれを確認すると、電話を掛ける。
「どこかのビルの屋上で見ているんだろう」
「正解。読唇術でも身に付けておくんだったなあ」
「まあ、俺達の悪口で会話が盛り上がっていたんだろうけどね」
長谷川の第一声に、電話を受けた瞭は気分良く答え、敏郎が皮肉っぽく言って笑う。
「それしかないだろう、娘との共通の会話なんて」
長谷川は、冗談めかしに答えた。
「酷い話だあ。せっかくお膳立てしたのに」
「そうだよ。不器用な親子を不憫に想ってのことなのに。涙を堪える程の笑える悪口って何だ。逆に興味が湧くよ」
二人は、ふて腐れた演技で返す。
「不憫? 笑わせてくれるな。面白半分だろう。文句を言う割には、その口調からして満足そうじゃないか」
長谷川も、笑いながら、負けじと言い返す。
「会話内容が分からなくても、奥さんと同様に、娘に弱いのがわかったからね……」
「悪い意味でも、お役に立てたようなんで、お互い様ってことでどう……」
「そうだな……」
長谷川は、敏郎と瞭の言葉に頷く。そうして冗談の応酬に終止符が打たれた……のだが、
「……それよりも、言いたいことは別にありそうだな」
話を終わらせた二人の語尾に、微かな揺らぎを感じた長谷川は、少し間を開けると、真剣な眼差しで話を切り出した。
「うん、さっきの件だけどさあ……」
圧力を帯び、声のトーンが微妙に沈んだ長谷川の質問に、敏郎は、少し躊躇いがちに口を開く。
さっきの件とは、遥に悟らせなかった検査結果偽造の件だった。
「俺達は、間違っていたのかな」
敏郎に代わり、瞭が口を開く。
「真実のみが正しい分けじゃない。お前達が正しいと思えることならそれでいい。私は、一方的な正義を語れるほど、偉くもないし立派でもない。ハゲてはいない、ただの剛毛堅物親父だよ」
お見通しの長谷川は、厳しくも優しい口調で、冗談も交えて語る。
「親父らしくないな。遥ちゃんはそれでも反対していたぞ」
信念を曲げるつもりはなかったが、それでも、長谷川には怒られると覚悟していた瞭は、意外そうに答える。
「確かに堅物だが、それ以上に、子を持つ親だからだよ。お前達が他人の為にその決断が出来たことの方がうれしいよ。楽しんだであろう部分は別として」
長谷川は、父親の目になると、うれしそうに語るが、厳しい部分はしっかりと押さえる。
「どうせやるなら楽しまないと」
瞭は反論して笑う。
「カマを掛けてるだけだ。そこは否定して誤魔化せよ」
バカ正直に答える瞭に対し、敏郎は冗談めかしにヤジを飛ばす。
「……それよりも、犯人を故意に逃がしたことの方が問題だぞ。今回はトシの判断だろ」
意味深な間を開けると、長谷川は厳しい口調を敏郎に向ける。どうやら、長谷川にとっては、こちらのほうが気に障るようだった。
「う…………」
敏郎は、様々な思いに駆られて口籠もる。
「それは、犯人にと……」
「ナタクは黙りなさい。ナタクも同罪だけど、事件が事件だけに、敏郎に任せたんだろう。敏郎に答えさせなさい」
敏郎の複雑な表情を察し、瞭が擁護しようとすると、長谷川は強い口調で制した。
「…………はい」
瞭は素直に返事をする。
「どうなんだトシ……」
少し優しさを込めて、長谷川は、もう一度問う。
「どんな理由にせよ、俺はあの父親を許せなかった。松田を逃がしたのは、結果を予想できたからなんです……。松田はこれからの人生を生きていくより、最後に本懐を遂げたほうが幸せだろうと思いました。簡単に言えば、同情したんです」
長谷川の問いに対し、敏郎は、丁重な言葉で真剣に応じた。
「……そうか、お前達は死んでくれるなよ」
長谷川は、ある意味専門であり、正解のない答えに一番近い敏郎の言葉を受け止めると、否定も肯定もせず頷き、最後にそう告げて、提起した問題を鞘に収めた。
「応えられるように頑張ってみるよ」
「ありがとう、親父」
長谷川の胸中を察し、敏郎と瞭はそれぞれの言葉で応えた。
「すまんな、根がクソ真面目でね。最後は湿っぽくなった。そろそろ遥が苛ついてそうなので、私は行くよ」
堅物顔を微妙に緩ませて笑顔を作ると、長谷川は、窓の外に顔を向ける。
「逆に怖い。知らない人が見たら通報されるぞ」
「本当だよな。外で遥さんの頭に角が生えだしているから、早く行った方がいい」
元の雰囲気に戻り、二人は長谷川を茶化す。
「そ……そうか、急いで行くよ」
長谷川は、焦りながら電話を切ると、マスターに挨拶をして店を出た。
「嘘だけどね」
電話が切れたのを確認し、瞭は敏郎に顔を向けて呟いた。
悪戯っ子の顔を見合わせた二人は、二卵性の双子のように、仲良く笑い声を上げる。
「すまん、すまん。怒らせてしまったね」
「怒ってないわよ?」
「ああ、すまない……。電話が長引いたのでね、勝手にそう思ってしまったよ」
(騙したな……フフフフッ)
騙されたと気付いた長谷川は、表向きは慌てて誤魔化し、心の中では自虐的に笑う。
「私ってそんなに怖いかしら」
「今までのことを鑑みれば、そうなるね」
遥に笑顔で言われ、長谷川も、敏郎に怖いと言わしめた笑顔で返す。
顔を見合わせた、似ても似つかぬ親子は、端から見たら仲の良い年の差カップルと見紛うほどの笑顔で笑っていた。
澄み渡る空に相応しい笑い声が、空と地上に響き渡っていった……――――――