「聞き耳もなくなったし、話を戻しましょ」
一応納得した遥は、微笑みながら長谷川を見る。
「そうだね………………あの子達とは、親友を通して知り合い、託されたんだよ」
敏郎と瞭にとっては単に悪戯心からだったのだろうが、一連の一悶着が親子の蟠りを急速に薄れさせていた。長谷川は、気難しい素顔のまま、優しい眼差しを娘に向ける。
「知り合いって」
「…………」
せっかく良い雰囲気が出来上がっいたのだが、その質問を受けた長谷川の雰囲気が急変する。後悔や怒り、悲痛さや無念さなど、堅く固まったような気難しい顔が大きく変わる程の、強い感情が表情を変質させていた。
その表情を見た遥は気付いた。敏郎と瞭、父親を結び、記憶にはないが、子供の頃の遥と面識があると言った人物…………
「ごめんなさい」
遥はこの言葉しか浮かばなかった。
「い……いや、すまない。遥が謝ることではないよ」
遥の言葉で我に返り、長谷川は慌てて謝る。
遥は答えを求めようとはせずに、苦笑を浮かべていた。
「出会いはトシの方が早くてね、親友がボランティアで教師をしていた孤児院に招かれた時に出会ったんだ。年の頃は十一歳だったかな。明らかに、他の子達とは違い異質でね。醸し出す雰囲気は抜き身の刀そのもので、近寄ることも許さない威圧感があり、凍り付くような眼には猜疑心が満ちていた。いろいろな犯罪者を見てきたが、あれほどの負に塗れた者など見たこともなく、驚愕と恐怖、そして、こんな子供にしてしまった大人達に怒りが湧いたのを、今でも思い出すよ」
長谷川の目には、純粋に子供を思う気持ちに満ちていた。
敏郎の過去の一端と、その片鱗を知る遥は、小さく頷く。
「その後、もっと驚かせられたのが、そんなトシが、心を開いている親友と二つ上の夏喜に対しては、嘘のように普通の子供に戻るんだ。その時不思議と、この子に心を開かせたいと思わされたんだ」
表情は相も変わらずだったが、明るくなった声とは別に、父親の感情が少しずつ読み取れているのを、遥は肌で感じた。
「それからが苦難の道のりだったな。近づこうとすれば距離を取られ、遠くからじっと洞察される。それの繰り返しだったんだ。そして、その約二年後くらいに、親友を頼って、ある事件をきっかけに、ナタクが孤児院にカウンセリングを受けに来たんだ。その時のナタクもまた異質で、周りを遠ざけるような雰囲気はないものの、表情は一見普通なんだがぎこちなく、眼は異常な程無機質で、心はとても遠いところにいたんだよ。でもね、トシと会ったのは二回目らしいのだが、親友同士のように遊んでいるんだ。トシが心を許している事なのが要因だと思うのだが、親友と夏喜とも打ち解けていた。異質とはいえ、一見別に見えるトシとナタクが、簡単に打ち解けた理由が分かったのはその直ぐ後かな。ナタクを見失い、探していたところ、人気のないところで一人遠くを見つめていたんだ。声を掛けようと歩み寄った時、トシの時同様に驚愕したよ。ナタクの眼には、身が凍る程の殺意が宿り、この場では言えないような残忍な独り言を呟いていたんだ」
長谷川は、当時の苦い思い出を回想しながら、まるで息子を語る父親のように、饒舌に話していた。
寡黙とは真逆の父親の姿に驚く遥だったが、思いのほか嫌な想いもなく、興味深い内容とあって、退屈することもなく、父親との時間の共有を楽しんでいた。
「ふーーん、雰囲気でいえば、以外と須藤警視のほうが変わってないのね」
今の瞭は、眼よりも表情に無機質感があるのを回想し、遥は呟いた。
「すまんな。私ばかりが喋ってしまって……」
回想しながら答えた遥に対し、退屈で心ここにあらずと勘違いした長谷川は、気を遣って謝る。
「えっ? そんなことないわよ。興味深くて、退屈する暇がないくらい続きが知りたいわ」
遥は楽しそうな眼を向ける。
「そうか。では続けるよ」
そんな視線を向けられた長谷川もまた、楽しそうな眼で話始める。
「トシとナタクが出会った頃からかな、同志を得たことで勇気を得たのか、しつこく接しようとする私に根負けしたのか定かではないが、そこからかな…………フフフフッ」
長谷川は、話の途中で自嘲するような思い出し笑いをする。
「何? 急に」
遥は突然笑い出す父親に怪訝な顔を向ける。
「そこから、例の悪戯が始まるんだ。その時の私は若くてね。というか、あの子達が特別なのか。フフフフッ」
同じようにまた笑う。
「もったいぶらないでよ」
遥は口を尖らせ、不満を漏らす。
「すまん、すまん。あの子達と打ち解けるまでは、母さんと付き合うようになるまでとは比べものにならない位苦労したんだよ」
「まるで母さんが簡単だったみたいな言い方ね」
遥は、その真意を分かっていながら、冗談で返す。
「そうではないよ。当時の母さんは美人でね、それなりに苦労はしたんだぞ」
「当時の……それなりね」
頬杖を付きながら、意味ありげに視線を逸らした遥は、口元を緩めて追い討ちを掛ける。
「語弊があったね。当時の母さん『も』と『かなり』でした」
長谷川もまた、口の端を緩める。
「そうね。あの癇癪とおしゃべりは、ちやほやされたのが原因ね」
遥は、悪意なく親しみを込めて笑う。
同じ美人の遥ではあったが、その性格から、ちやほやされてこなかった遥の癇癪を思い浮かべた長谷川は、見当違いの推理に可笑しくなり、遥に合わせるように笑う。
「私のは似ただけだから」
鋭く感じ取った遥は、数秒遅れて切り返す。そして、また笑う。
「隙がないな。そんなんじゃ、器量が良くてもモテないぞ」
「お父さん的に、モテた方がいいの」
「また、そうやってからかう。一人居れば良いんじゃないかな」
「なら、癇癪持ちでも良いと言う人を探すわ」
遥は、父親を軽くあしらう。
(今あの子達に聞かれてたら、後々何を言われるか。危なかった……)
長谷川は、額に汗を滲ませると、今更ながら、盗聴器に気付いたことに安堵する。
そんな思いを悟らせないために、長谷川は完敗の笑みを遥に向けた。
「話を逸らして申し訳ないけど、戻しましょう」
自分の突っ込みで話を脱線させたことを詫びた遥は、長谷川に笑顔を向ける。
頷いた長谷川は、話を続ける。
「悪戯は前触れもなく始まってね。最初の悪戯は今でも覚えているよ。それがまた陰湿な上に難解なんだ」
懐かしそうに語る長谷川の顔は、当時の若々しい頃に戻っていた。
「陰湿で難解……今だから笑えるってことね」
「そうだね、訪問から返ろうと車のエンジンを掛けようとしたら掛からないんだよ。何回繰り返しても掛からないから、修理屋を読んだところ、その原因が判明したんだ。紙を丸めて、その上を銀紙でコーティングした玉が、車のアフラーに詰められていたんだ。最初は、部外者なのか、内部の者なのか、誰の悪戯か分からなかったんだが、丸めた紙を伸ばして、トシとナタクだと判明したんだ」
「子供の悪戯にしては陰湿ね。でも難解ではないわ」
「そこまではね。で、紙を広げて驚いた。なんとそれは手紙だったんだよ」
「手紙? そのまま捨ててしまうとは思わなかったのかしら」
「後日聞いたら、警察官なら見るはずだし、見なかったら、それはそれで良かったらしい」
「屈折してるわね」
遥は呆れるしかなかった。
「そうだろう。で、その内容が難解なんだ」
「どんな?」
話に夢中になる長谷川と、話に引き込まれ興味津々な遥は、眉間に皺を寄せて向かい合う。
端から見る者が居たならば、親子だと思わずに、年の差カップルの別れ話だと思ってしまう程に異様だった。
「手紙には『おじさん、今日は有り難うございました。今度来る時は、僕達の嫌いなものを持ってきて下さい。楽しみに待ってます。敏郎・瞭より』と書いてあって、どう受け取って良いのか悩んだね。突き放そうと嫌がらせしているのか、答えに正解があるのか。自分一人で解決しようかと悩んだ挙げ句、あの子達の理解者である親友に相談したんだ。そして、返ってきた言葉は」
『遠巻きの洞察が終わり、あの子達なりに歩み寄ってきたんだよ。君の粘り勝ちだ。それと、その手紙に答えはないよ。君自身を試しているのさ。ただ気を付けることは、忖度や上辺だけの対応はしないことかな。あの子達は簡単に見破るからね。悪いと思えることは叱り、怒りを覚えた時は、しっかりと言い聞かせる。本気でぶつかり、誠自身の人となりを示すことだ。誰にだって間違いはある。あの子達もそれは十分に分かっているし、それを含めて、君が信用出来ると判断したから、歩み寄ってきたんだ。手に負えないと逃げても、あの子達は何も思わないし、後は誠がどうするかを判断すると良い。あの子達は相当手強いから、このままあの子達にぶつかっていくのなら、夏喜を頼るといい。きっと協力してくれるから』
「長い助言だったが、十分参考になったよ。それからは、大半が夏喜に助けられはしたが、嘘偽り無い私を曝け出しての、悪戯っ子との戦いだった」
子供の頃の苦楽を楽しそうに語る老人のように、長谷川は充実感漂う眼差しを遥に向ける。
父親に遊んでもらった記憶の少ない遥は、家族サービスの少なかった父親が、仕事のみならず、他人の子供にかまけていたことを知り複雑な心情が湧き起こる。
「すまんな。別に家族をないがしろにしていたわけではないぞ。孤児院には、月に二度程通っていただけだし……すまない、それは言い訳だな」
遥の表情を読み取った長谷川は、罰が悪そうに頭を下げる。
「まあ、私もそれほど求めなかったし、今更蒸し返しても仕方ないわ。お互い様なところもあるし」
敏郎や瞭に嫉妬がないわけでもなかったが、人に慕われる父親をみて誇らしくなる気持ちも持ち合わせていた遥は、正直に口を開く。
「そう言ってもらうと助かるよ。でも、正直に言えば、閉塞感のある家よりも充実していたのは確かなんだ」
遥の本音に応え、長谷川は心の内を正直に語る。
「最終的にはどうやって打ち解けたの」
遥もまた、それを受け止めると、続きを促した。
「あの子達と打ち解けた瞬間は、今でも涙が出るよ」
遥の言葉を受け、当時を回想する長谷川は感慨無量の思いに浸る。年月を得ても色褪せない思いに感極まり、双眸を湿らせる。
感動に染まる長谷川の姿を見て、遥は敏郎と瞭に嫉妬を覚えたが、それ以上に、他人の子供にここまで心血を注げる父親が誇らしく、感染したかのように、心温まる感動に満たされた。
「それは突然訪れたんだ」
感動に浸り間を開けた後、長谷川は、当時の様子を事細かに回想し語り始める。
「おじさん、帰る前に話がしたいんだけど、少し時間を貰って良い?」
いつものように、一通りの悪戯に付き合った後、私が帰ろうとすると、二人が駆け寄って来て、敏郎が言ったんだ。
「なんだい? 敏郎君、瞭君」
「ここでは言えないから、裏に来て欲しいんだ」
もじもじしながら、瞭が口を開いた。
「ああ良いよ。今日はもう遅いから、お手柔らかに頼むよ」
てっきり、追加の悪戯が待っていると思っていた私は、疲れた目を振り払い、二人に向けて笑ったんだ。すると、二人は無言で頷き歩きだしたので、警戒しながら後をついて行ったんだよ。園の裏手に到着したんだが、思いの外、何もなくてね。私が周りを警戒していると、敏郎と瞭が続けて口を開いたんだ。
「今日から僕のこと、トシって呼んで欲しいんだ」
「僕のことはナタクって呼んで欲しい」
「………………」
敏郎の『トシ』は、私の親友が呼びやすいように付けた愛称で、瞭の『ナタク』は、小さい時に両親が付けた愛称らしくてね。それを聞いた時に、招かれた真意を理解した。……私は言葉を失って、唯々立ち尽くしたね。
(ああ、ようやくこの二人に認められたんだな……)
その園では、二人と親しい人間しか呼んでいなかった愛称だったから、疲れなんか吹っ飛んで、涙を堪えるのに必死だったよ。水を吸う和紙のように、その実感がゆっくりと脳裏に浸透し、自然と心の中で呟いていたんだ。
「そうさせてもらうよ」
感慨無量でようやく出た言葉は、それだけだった。そんなつたない言葉だったけど、二人は私の思いを十分に理解して受け取ってくれて、今まで見たことのない、負の感情の宿る眼でも、無機質な眼でもなく、屈託のない素直な眼差しで応えてくれたんだよ。
「今までおじさんを試すような悪戯をしてごめんなさい」
「ごめんなさい」
そして、反省する様に瞭が謝り、続けて敏郎が謝ったんだ。
「……これからは、おじさんを試すような傲慢な態度は取らないよう、正々堂々と悪戯をするよ」
二人は、少しの間を開けて目配せすると、意地の悪い笑顔を私に向けて、声をハモらせて同時に言ったんだ。
「トシ! ナタク! 上等だ!」
私は感極まり、涙を堪えきれずに流しながら、それぞれの愛称を、大きな声で初めて呼び、宣戦布告を受け入れたんだ。
「俺達を嫌いになるかもよ」
「ならないさ。今まで同様、度が過ぎれば容赦なく叱るけどね。二人こそ私を嫌いになるかもよ」
瞭……ナタクが笑いながら挑発してきたので、私も挑発し返すと、
「ならないよ!」
「ならないよ!」
私が望む答えが返ってきて、また泣いてしまったな。
「泣き虫だな、おじさんは。俺達のようなモンスターのどこが良いんだ?」
「ホント、物好きにも程があるよな。俺達がモンスターだと知れば、大概は逃げ出すのに」
自虐でもなく、自負するトシとナタクは、顔を見合わせてあっけらかんと言ったんだ。それが悲しさを増幅させてね、先程と違う意味で泣きそうになったよ。
「そんなことはないさ。二人は立派な人間だよ。良いところはいっぱいあるのに、気付いていないだけさ。それに、人とは矛盾した生き物でね。誰もが善と悪を持っているものさ」
「俺達は度を超しているんだけどね」
「完全に異常者だよな」
トシが笑顔で答え、ナタクも笑顔で答えた。
「それが抑えられるよう、おじさんが友達として支えるよ」
この二人が抱える闇は計れない程重く、常人の私には、荷が重いということを十分理解していたが、この子達にぶつかっていくと決めた日から、覚悟は決めていたので迷いなく答えられたんだ。
私の決意が通じたのか二人は何も言わずに微笑んで答えてくれたよ。その後出た言葉で、また泣くことになるとは思わなかったけどね。
「……申し訳ないど、おじさんは友達ではないよ」
「え? そうなのか……」
言葉のトーンが落ち、申し訳なさそうに口を開いたトシの言葉に、今までのやり取りは、私の思い込みだったのかとショックを受けて肩が落ちたよ。
「俺達が愛称で呼んで貰うのに、おじさんって呼ぶのは違うよなあ。なんて呼ぼうか」
そんな私を無視して、ナタクが口を開く。
「『ハゲ親父』ってのはどう」
「それいいね」
トシは、満面の笑みで、それに答えた。
「私の何所がハゲているんだ!」
気落ちしていると、勝手に話が進んでいき、とんでもないあだ名が出てきたので、気落ちしている場合でないと慌てた私は、気が付いたら突っ込んでいたよ。
「俺達は誤魔化せないぞ」
トシは呆れた顔で言ってね……
「どう見たって、そんなカチカチで太い髪の毛ないよなあ。出来は良いけど、水が染みそうにないよ」
ナタクが笑顔で言ったんだ。
「私の髪は、生まれた時からカチカチの髪の毛なんだ。触らしてやるから触ってみろ」
二人は上等と言わんばかりに近寄ってきて、
「た……確かに……今の植毛はよく出来ているな……」
先陣を切ったナタクが、屈んだ私の頭に目を凝らし、髪の毛を掻き分けて頭皮を確認する。
「そ……そうだな……しっかり植えてある……」
ナタクの言葉に、目を剥いて驚いたトシも、同じ様に確認する。
「植毛でもない! 引っ張ってみろ!」
代表して、ナタクが遠慮がちに引っ張った。
「もっと強くだ!」
ゆっくり引っ張るナタクに、地毛を証明したい私は語尾を強めた。
「抜けたら申し訳ないし、強くは引っ張れないよ」
明らかに動揺するナタクは、間違いを認めたくないのか、何とか誤魔化そうとし、見るからに、目を疑っているトシも、認めたくない一心から、確認しよともしない。
「仕方ないな! いいか! 見てろよ!」
私は二人が見ている前で髪の毛を一本抜いて、毛根を見せたんだ。
「どうだ! これで証明できたろ!」