後日談 (血の抱擁)


「ああ親父殿、いらっしゃい。こんな時間に珍しいね。大凡見当は付きますが」

「こんにちは、マスター。推測通りですよ」

 店のチャイムが鳴り、マスターは、入ってきたお客へ、親しそうに言葉をかける。

 入ってきたのは、五十代半ば程の、渋く濃い、且つ、気難しそうな顔をした昭和の男前で、似合わない笑顔を作り、親しげにマスターに挨拶をする。

「お疲れ様です! 長谷川審議官!」

「お疲れ様です! 長谷川審議官!」

 入口を見渡せる正面の椅子に座っていた敏郎と瞭は、その男を確認すると、立ち上がり、直立不動に背筋を伸ばし、切れのある動きで敬礼をして挨拶をする。しかし、その規律の取れた一連の動作全てが、白白しさに塗れていた。

「これは長谷川審議官、お疲れ様です」

 それに気付いてはいたが、関係性を持たない太田は、当然の如く、敏郎と瞭のように敬礼まではしなかったが、席を立ち、丁重に挨拶をした。

 遥は、敏郎と瞭に嵌められた事に気付き、怒りと共に、父親への気恥ずかしさや反発心からか、口を尖らせて、窓の外へと視線を向けた。

「太田警視、今日は本当にお疲れ様。そんなに堅苦しくならなくて良いよ。プライベートなのだから」

「では、お言葉に甘えさせて頂きます」

 と言いながらでも、太田は背筋を伸ばして席に座る。

「審議官! 我々にも」

「プラスぅ、無謀暴走じゃじゃ馬娘にもぉ、甘い言葉を頂けないでしょうかぁ」

 瞭が先陣を切り、敏郎が言葉を繋げる。

「…………」

 その敏郎の言葉が芯を喰い、言い返せない遥は沈黙を保つ。

「その無謀暴走じゃじゃ馬娘の無礼な態度と、一見礼儀正しい君らの白々しい態度は、異種ではあるが、同類だと思うのだがね」

 長谷川は、からかう二人を楽しそうに見つめる。

「あーあ、礼儀正しい部下をぉ、挨拶もしないじゃじゃ子と一緒にするなんてぇ、酷い上司だぁ。太田さんもぉ、これくらい偉そうにしたら良いのにぃ」

「この際、横柄な上司の爪の垢でも飲んでおいたらどうですか」

 敏郎と瞭は、長谷川に軽くあしらわれ、ふて腐れたように吐き捨てると、その場に座る。

 じゃじゃ子と略され出汁にされ、怒りが増す遥ではあったが、父親の前で感情を露わにしたくないという思いが強く、なんとか押し黙る。

「全く……フフッ、それで、私は何所に座ればのいいかな」

 呆れた長谷川は、何かを言いかけたが、無礼な三人を見て小さく笑う。そして、話しを切り替えて尋ねた。

「日頃の感謝を込めて、綺麗な娘の前へどうぞ」

「性格はぁ、勝ち気で手厳しいですがぁ、へまをやらかしてぇ、今は鳴りを潜めているのでぇ、噛みつかれても甘噛み程度で済みますのでぇ、ご安心ください」

 瞭と敏郎は、悪戯っ子の目で席を立つと、長谷川を遥の正面に座らせる。

「!」

 遥は素速く敏郎へと顔を向けると、無言でキツく睨む。

「ということでぇ、話しは粗方終わりましたしぃ、僕達はぁ、そろそろぉ、おいとましましょうかぁ」

 表情を変えないまま視線を逸らした敏郎は、わざとらしい丁寧語で、瞭に視線を向ける。

「そうですね、ここは親子水入らずということで」

 瞭もまた、敏郎同様の態度と言葉で、太田に視線を向ける。

「悪いな君達は……。そういうことなので、私達はこれで失礼させて頂きます」

 瞭の視線を受け、呆れて呟く太田ではあったが、顔を引き締めながら立ち上がり、警察官の顔になる。そして、長谷川に視線を送り丁重に挨拶をした。

「私も帰ります」

 いたたまれなくなった遥は、立ち上がろうとする。

「そんな資格はないですよ。今回の件でどれだけ周りに迷惑かけたんですか」

 敏郎は、真剣な面持ちになると、強い意志の籠もった眼を遥に向け、語尾を伸ばすことなく、静かではあるが、圧力のかかる言葉で切って捨てた。

「…………」

 珍しく、負の感情を感じさせない、人を思いやる純粋な怒りが灯る敏郎の眼差しに、遥は抗う気力を殺がれ、唇を噛み締めながら、浮かした腰を落とす。

「生死に関わる問題を起こして、父親を無視することは出来ないですよ」

 そこに、瞭が追い討ちをかける。

「そういうことです。警察組織の上に立つ者として、逮捕権や生死の関わりのない事務職へ飛ばすことも出来ますし、親として警察を辞めるよう詰めるのも良いでしょうね。もし事が起これば、親父にとって、夏姉の時以上に……」

 遥の失態の責任を感じる敏郎は、未だに、自身と遥に対する怒りが残っていることと、その要因から湧き起こる、長谷川への申し訳なさを、言葉に強く感じさせていた。今回の件とは切り離せない、忌まわしい過去の出来事が脳裏を過ぎり、その眼には複雑な感情が入り交じっていた。

「まあ、それは終わったことだし、結果オーライで良いんじゃないのか。ねえ、親父?」

 敏郎の言葉を遮り、瞭は明るい口調で言うと、長谷川の首筋に近い背を軽く叩く。

「アドバイスとして受け取っておくよ」

 敏郎や瞭と同様に、実の子供のような存在であった夏喜を思い出し、感極まる思いを呑み込んで、長谷川は神妙な顔で言った。

 見たことのない顔をする父親、人から慕われている父親を目の当たりにした遥は、自分がいかに父親のことを知らず、否、知ろうとせず、見ていなかったことに気が付く。父親と向き合う良い機会だと、自然と思いが溢れていた。

「まあ、この件が起こる前からぁ、企んでいたことですけどねぇ」

 長谷川の表情を見て、話しの流れからとはいえ、感情のコントロールが効かず、やり過ぎてしまった事に気付いた敏郎は、自信の未熟さを反省し、口調と表情を戻した。

「そうだろうな」

 長谷川はそれを理解すると、表情を緩め、呆れた口調で切り返した。

「太田さん、いきましょうか」

 場の雰囲気に入る隙間がなく、固まったように、じっと聞き入っていた太田に声をかけた瞭は、太田の肩に手を置いて緊張を解す。

「マスター、親父にはいつものねぇ。あとぉ、今回の勘定はぁ、全て太田さんですのでぇ」

 敏郎はそう言うと、太田を伴ってレジへと歩いて行く。それを聞いた長谷川は、席を立ち掛けるが、瞭に目配せされ腰を落とした。

「太田君、ごちそうさま」

 瞭の眼を見て納得した長谷川は、勘定を払う太田に言葉を投げ掛けた。

 太田は恐縮して頭を下げると、マスターに挨拶し、敏郎と共に外へと出て行った。

「それじゃあ、見当を祈るよ。他人の子供にかまけて、実の娘に見限られる親父の姿をみるのは、心苦しいからね」

 子が親を見るような素直な表情になると、瞭は心の籠もった眼を長谷川に向ける。

「言わなくても、お前達の気持ちは分かっているよ」

 長谷川の言葉を受けて、屈託のない子供の笑顔を見せた瞭は、マスターに挨拶をして店を出た。

「何やってんだよぉ、これからが本番だろう」

 少し遅れて出てきた瞭に文句を言うと、敏郎は悪い笑顔を見せる。

「そう言うなよ。言っておきたいこともあったし、ついでに、最終確認もしてたんだ」

 瞭は敏郎と同じ顔になる。

「何を言っているんだ」

 怪訝な顔で、太田は二人に尋ねる。

「いえいえ、こちらの話しですぅ。今日はごちそうさまでしたぁ」

「僕達は、この後用事がありますので、これで失礼させて頂きます。ごちそうさまでした。このお礼は後日させて頂きます」

 敏郎と瞭は話しをはぐらかすと、お礼を口にして、駆けていった。

「それは良いから……って聞いてないか。ハハハッ」

 返事を聞く間も置かずに駆けだした二人から置いてきぼりを食らった太田は、茫然と呟き、溜め息と共に小さく笑う。

 親戚の子供の面倒を見るような思いに駆られた太田は、仕事のしがらみを忘れ、愛想でも皮肉でもない、清々しい笑いが込み上げる。

 普段は異質な仮面を被り人を寄せつけない大人を演じ、時に背筋を凍らせる程の異常性を垣間見せて恐怖を与えたかと思えば、今は子供の様にはしゃぐ。憎めない二人の異常者を目で追いながら、太田は軽い会釈をして見送った。

 

「こうして面と向かうのは、本当に久しぶりだね」

 三人が店を出てから数分の間を開けた後、無視するのではなく、気恥ずかしさや事件での失態による気まずさから、言葉を発せずに黙りを極め込んでいた遥に対し、父親を煙たがる娘との接し方が分からずに戸惑う長谷川は、ようやく、他人行儀でぎこちない口調ではあるが、話し掛けることに成功した。

「進路相談の時以来です。最も、あの時は何も言ってくれませんでしたけど」

 長谷川の心情を分かっていながらも、素直になれない遥は、他人行儀な口調で返す。

「何か誤解しているようだね。私は、遥がやりたいことをしてくれたらいいと考えていたから、別段言うことがなかっただけなんだよ」

「それにしては、ぶっきらぼうな顔をしていたと思いますけど」

 チリリリリーーン

 二人の会話に割って入るように、昭和を感じさせる店にお似合いな黒電話のベルが鳴り響いた。マスターは、手を止めて受話器を取る。

「仕事にかまけて、家族に寂しい思いをさせてきたから、そんな父親と同じ警察官になりたいと言われて、吃驚した顔をしていただけなんだが」

 会話を中断されたが、懐かしい音を聞いた長谷川は、気持ちが落ち着いていくのを感じ、言葉に柔らかさが表れる。

 短い会話内容でも、娘に弱いことが分かる長谷川は、困惑顔で答えた。

「横で口うるさく反対するお母さんを、止めもしなかったくせに」

 『今更』と言わんばかりに、遥は反論する。

「母さんがああなったら、何を言っても火に油だからね。私からしたら、無言の援護のつもりだったんだけどな」

 自分の母親の癇癪を思い出し、否定できない遥は、父親の顔を洞察する。嘘を言っていないと確信した遥は、母親の癇癪に釣られ、感情的になっていた当時を思いだし、冷静に父親を見れていなかったことと、『今更』が、自分だったことに気が付く。

「…………ごめんなさい。私が幼すぎました……と言いたいですが、お父さんの気難しい顔と寡黙さにも原因があるわ」

 反省しつつ、素直になりきれない遥は、父親の欠点を指摘する。

「先程も言っていたが、元々がこういう顔だよ。よく勘違いされて私が一番困っているのだよ。あの子達だけは特別で、表情を見なくても、私を理解してくれているんだけどね。けれど、それを踏まえて、からかうから質が悪い」

 長谷川は、困惑した口調と眼差しで悲観さを表現するが、話の流れから、敏郎と瞭に話題を移すと、目元と口元を緩める。

「あの二人は、異質な存在だから、驚かないわ。勝手な思い込みで邪険にした、私の理解不足が一番の原因ね……ごめんなさい」

 遥は、面白半分の計略に嵌められて抱いていた怒りが、今まで拒み続けた遠い一歩を踏み出させてくれたことに、感謝へと変わるのを感じていた。遠いと思っていた距離ではあったが、重い一歩を踏み出した瞬間、その足取りは意外な程軽かった。距離が近くなる程、自身の思い込みや誤解が多いことに気が付き、反省し素直になっていく。

「それに、私は別段寡黙ではないよ。家では居場所がないと思えるだけで、話さないだけなんだ」

 長谷川は、申し訳なさそうに呟いた。

 遥は、そんな父親をじっくりと見つめる。すると、微妙な表情の変化が見て取れた。その変化が少し可笑しくなり、口元を緩めたまま、父親のいる、日常の風景を思い浮かべる。

「男はお父さん一人だけだし、あの人達が相手ではねえ……」

 長谷川家の家族構成は、祖母、父親、母親、遥の四人で、母と祖母は共におしゃべり好きで、父親の入り込む隙がなかった。当たり前だと気にもしていなかった日常を、改めて思い浮かべた遥は、一人納得する。

「家族といっても、話さないと分からないこともある……」

 拒んでいた父親と向き合い、素直さを取り戻していく遥ではあったが、長年積み重ねた蟠りを一気に解消する事は難しく、直ぐには打ち解けられそうにはなかった。しかし、一連の会話の中、一つずつ解消されていく実感もあり、気持ちが軽くなるのを感じていた。

 長谷川もまた、遥と同じ思いに駆られていた。

「話は変わるけど、須藤さんと鈴木さんとは、どういった経緯で知り合ったの」

 いつの間にか、他人行儀ではなく、自然と親しげに話せるようになっていることに気が付いた遥は、少し気恥ずかしそうに、気になっていた事を尋ねる。

「あの子達とは…………あの悪戯っ子どもめ」

 遥の話に答えようとした長谷川は、呆れた笑みを浮かべて、別の言葉を呟いた。

「えっ? なに?」

 その表情と呟きに、遥は怪訝な顔をする。

「その前に、彼らにおかしな行動はなかったかな?」

 長谷川は、窓際に置く小さな観葉植物の鉢に手を伸ばす。

「そういえば、窓際は珍しいとか、目配せしながら、窓の外に親指を向けてもいたわ。でも、指を差したのは太田さんが来たからだけど」

 遥は回想しながら、気になった会話や二人の行動を口にする。

「彼らの悪戯は昔から常習でね、随分手が込んでいるんだ」

長谷川はそう言うと、鉢から取り出した盗聴器をテーブルに置く。

「信じられない!」

 怒りのボルテージが一気に上がり、盗聴器を口元に翳した遥は、怒号を浴びせる。

「はっはっはっはっ。もっと信じられないのが、テーブルの下にもう一つ」

 耳を押さえる二人を想像して、込み上げる笑いを吐き出すと、長谷川は楽しそうにもう一つをテーブルに置く。

「余裕があれば三段仕込みって、前に言っていたわよね」

 遥は、敏郎が何時か述べていた言葉を思い出し、盗聴器を口に宛がいながら、不適な笑顔で口元を緩める。そして、先程、瞭が父親の背を叩いた時に感じた不自然さを思い出す。立っていた瞭が、長谷川が座っていたとは言え、首筋に近い背を叩くには少し無理があり、立ち位置からして、肩を叩くのが自然に思えた。席を立ち、照れながら父親に了承を得ると、襟元に指を入れる。

「やっぱり……。死角になる場所を叩いたわけね」

 襟元にも仕掛けられていた盗聴器をテーブルに置き、遥は席に戻る。

 些細なことを気に留めておける遥は、刑事として、十分過ぎる程優秀だった。

「と思うだろう」

 意味ありげに、長谷川は笑顔を向ける。

「まだあるの?」

「手が込んでいると言っただろう」

「十分手が込んでいると思うわ」

 悪く受け取る悪い癖が出た遥は、意味深な父親の口調に見下されている感を覚え、不機嫌に聞き返す。

「他意はないよ。そういう所は直した方がいいぞ。唯一…………ではないけど、似て欲しくない所まで母さんに似てしまったな……」

 父親らしく、遥の人生に大きく関わる悪癖を窘め、妻を回想し苦笑する。