プロローグ (血の抱擁)


 原作者 無味無臭

                     ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

 

 コンクリートの劣化によって方々を走る罅割れ、外的要因から崩れた外壁、ガラスが割れて枠だけとなった窓から侵入した雨水は、長い年月を経て溜まり、ビルの隙間を伝い、至る所に流れ込む。

 許容を超えて溢れ出した雨水は、行き場を求め、地を這い、半壊して穿たれた地の断面を滑り、下層である天井へと辿り着くと、重力に惹かれるように、水滴となって、地へと身体を打ち付け鳴り響いていた。

 至る所から不協和音となって響く水滴の音色は、廃ビルの体内を不気味に彩り、走り回るドブネズミやゴキブリなど、害獣・害虫と呼ばれる類のモノ達にその音楽を提供していた。しかし、もとより、花より団子を好むモノ達は、それとは異なる液体が滴るフロアの中心に群がり、競うようにその液体を貪っていた。

 緩やかな風が吹き、雲の衣に身を包んでいた控えめな月は、粛々と姿を見せ始めると、薄い微弱な光で、林の中に佇む小さな廃ビルを映し出していく。

 廃ビルの外壁は半壊して内部を曝け出し、光の浸食によって映し出されていく内部は、壁面や天井が不規則に崩れ、その隙間からは鉄骨が覗いていた。しかし、その内部は、埃や砂、倒壊したコンクリート片、肝試しによって、不法侵入した者達が持ち込んだ微量のゴミ程度で、荒れ果てるという程でもなく閑散としていた。

 雲の衣を脱ぎ去った月の光が廃ビルの全容を浮かび上がらせると、部屋の一室から、奇妙な光景が浮かび上がる。

 むき出しになる天井の鉄骨にロープが括られ、垂れ下がるその先には、両腕を上げるように手首を縛られ吊された、女性の亡骸があった。

 廃ビルに吹き込む微かな風に揺られる亡骸によって、繋がれるロープと鉄骨が擦れあい、ゆりかごが揺れるような軋み音を奏で、水滴が水面を打つ音と交わり、闇が支配する場に相応しい、BGMが刻み込まれていた。

 まだ真新しい亡骸の首筋から滴り落ちる血液の匂いに誘われ、廃屋に住み着くモノの群れが引き寄せられていた。

 「ハハハハッ。ここが例の心霊スポットの廃ビルだ」

 突然、廃ビルの外から声が響き、軽い口だけ男といった雰囲気を持つ男が、高らかな笑い声を上げて説明する。

「へー。でも、何でこんな林の中にビルなんかあるの」

 気が弱いというコンプレックスを隠すために、派手な格好をした女が口を開く。

「ここは、倒産したある会社の資材置き場で、昔この場所で、会社の女性が殺されたんだ」

 自分の彼女同様、根暗を隠すために、陽気に振る舞う派手な格好をした男が、彼女の肩に腕を回し微笑む。

「その怨念ってやつが、このビルを心霊スポットにしたのよね」

 性格と頭が悪そうな女が、見た目通りの口調で喋る。

 夜の虫の音以外、静寂に包まれていた林に、砂利道特有の擦れる足音を響かせながら、廃ビルに四人の男女が近づいて行く。

 Wデートのコースとして肝試しに訪れた、俗に言う、バカップルと呼ばれる四人の男女は、多勢によって群集心理が働き余裕があるのか、はたまた、ほろ酔い加減で気が大きくなっているのか、へらへらと緊張感のない口調で順に口を開いた。

「えー、皆ここの事知ってんの」

 気の弱そうな方の女が、彼氏未満の男の腕を払い、疎外感を覚えて不満そうに口を尖らせた。

「まあ。って言っても、ネットの情報だけど」

 口だけ男は喋りながら、鎖の錠で厳重に閉じられているはずの入り口へと足を運ぶ。

「おい! 入り口の鎖が切られてるぞ」

《心霊スポットとして恐れられ、物好き以外近寄る者のいなかったこの廃ビルは、過去にガラの悪い連中が屯し、肝試しに訪れる者を襲うという事件が多発した為、そのことを重くみた地元警察と地域住民が、二年前に、ビルの一階部分にある全ての窓を厳重に閉め切り、人の介入の一切を断ち切った》

 との、インターネット上での情報の相違に、一同はパニックに襲われる。

「うそ? なんかヤバくない」

 過去の事件があるだけに、性格と頭が悪そうな女の顔に不安が過ぎる。

「せっかく来たんだからさあ、入らねーか? 」

「えー、私恐いよー!」

 気の弱そうな女が首を大きく左右に振る。

「人の気配はないし、もしヤバくなっても、俺達が守るって。なあ?」

 アルコールが回って気が強くなっているのか、外見からは説得力のない口だけ男が、格好付けて調子良く言うと、もう一人の男に同意を求める。

「そうそう、俺達に掛かればヤクザだってイチコロだ。だから行こうぜ」

 いざそうなれば、真っ先に逃げ出しそうな隠れ根暗の派手な男は、自信満々なハッタリ発言で返す。

「そこまで言うなら、絶対私達を守りなさいよ」

 性格と頭が悪そうな女は、真剣な面持ちを男達に向けると、口調を強めて念を押した。

「えーー、でも……分かったわ。そこまで言うなら……」

 気の弱そうな女が渋々承諾する。

「ああ、当然。それじゃあ、早く行こうぜ」

「行っくよーー。キャハハハハッ」

 隠れ根暗の派手な男は、空気よりも軽い言葉で承諾し皆を急かすと、それを聞いた頭と性格の悪そうな女は、気弱そうな女を納得させるための演技だったのか、表情を一転させ、場の雰囲気を読めない、若者の乗り丸出しではしゃいだ。

 ほろ酔い加減の四人は、懐中電灯で廃ビルを照らし、大声で笑いながら、ビルへと足を踏み入れる。

 コツンッ、コツンッ、コツンッ――

 四人は、入り口の正面にある階段を、恐る恐る上り始める。

「なんか、水滴の音が雰囲気出してるよね。それに、ギーギーって、ノコギリを挽く音に似た音が微かに聞こえるし」

「ホント、何の音だろう……」

 二階の踊り場に差し掛かり、一同は三階へと続く階段を見上げ、多少の恐怖感が芽生えたのか、二階のフロアへ入ろうとした。

 ドンッ

 突然、最初にフロアに入った一人が肩に衝撃を受け、よろめきながら、踊り場へと押し戻されて倒れかかる。

「な……何」

「どうしたの?!」

 よろめいた気弱そうな女を、もう一人の頭の悪そうな女が支える。

「うわーーーー!!」

 異変に気付いた男二人は、恐怖によって慌てたせいか、フロアの入り口へと光を当てずに顔を向けた。すると、フロアの入り口から零れる微かな光が、四人以外の人影の輪郭をフロアの入り口に映し出していた。

「あ……マ……」

 逆光によって影のように映る人物は、男達が上げた悲鳴に反応しないどころか、四人のことを気に留めることなく、いや、気が付いていない様子で、何かを呟きながら、階段をゆっくり下りて行った。

 あまりの恐怖に、『それ』に光を当てる勇気も無く、一同は凍り付く。

「ガチッガチッガチッ……い……今のは……な……何?……ゆ……幽霊?」

 一人の発言に、皆がゆっくりと首を横に振り『分からない』と答える。と、一気に酔いが醒め、地べたに腰を落とし、背筋に走る冷たい汗を感じながら身を縮めた。

「きゃーー!」

「どうした!」

 ヌイグルミを抱くように身を屈めていた、影にぶつかった気弱そうな女が悲鳴を上げる。影と接触した肩に手を触れ、違和感を覚えた気弱そうな女が懐中電灯で肩を照らすと、服に血が滲んでいた。

 恐怖で一同が歯を鳴らし、腰を抜かしたのか、力の入らない下半身によってその場から動けなくなる。そして、肝試しに来たことを後悔しつつ、少しでも明るいフロアへと、犬のように四つん這いになり、無言で這って行く。

 そして、更なる後悔が襲い掛かった。

「きゃーーー!」

「うわーーー!」

「うぎゃーー!」

「いやーーー!」

 一同は、吊された死体と、血に染まり、群がったドブネズミを目の当たりにし、四人四色の悲鳴を上げた。

 本来、微かな音以外、響き渡ることのない静寂に包まれているはずの夜の空間を、大きな薄汚い悲鳴が陵辱していった……。