8 (血の抱擁)

 


 原作者 無味無臭

                     ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

 

「はい、鈴木ですぅ」

 早朝とあって、寝起きとだらしなさが重なり、敏郎はいつもよりだらしない声で、事務所の受話器を取った。

「やはり出ましたか。はい、ありがとうございます」

 突然、鋭い声色になった敏郎のただならぬ様子に、遥は嫌な予感がして尋ねる。

「どうしました」

「先日、太田管理官にお願いした件です。確認できただけで、愛知で一件、兵庫で二件見つかりました。未だ捜索段階ですので、まだ被害が増える可能性は大きいでしょう」

「………………」

 遥は唇を噛み締め押し黙る。

「急にどうしたんですか?」

 突然、無言で身支度をし始めた遥に、敏郎は声を掛ける。

「居ても立っても居られません。捜査を始めます」

「当てはあるんですかぁ」

 遥の正義感に中てられ、感心した敏郎は普段の口調に戻る。

「ないですが、動かなければ、解決できるものも出来ません!」

 遥は、沸き起こる犯人への怒り、無力な自分に対する怒りを全身に纏い、抑えきれない程沸き起こる怒りの捌け口として、質問する敏郎に強い口調をぶつけた。

「こういう時こそぉ、冷静さが必要ですよぉ。空回りするだけでぇ、無駄な時間になりますぅ」

「頭の中だけで考えているよりはましです」

 遥は鋭く反論する。

「僕はぁ、考えがあってぇ、今から動く予定ですぅ。どちらが有効でしょうかぁ」

 言葉とは裏腹に、敏郎は真剣な眼差しを遥に向ける。

 遥は、真正面から負けじと敏郎の目を睨み付けた。

「…………あなたに同行します」

 怯むどころか、遥の鋭い眼光に対峙する事無く、無邪気な眼でじっと見つめる敏郎の不思議な眼光に、怒りの熱を奪われた遥は、冷静さを取り戻して素直に負けを認めた。

 遥は、激情から、自分の間違いに気付いていながら、それを押し通そうとしたことへの自責の念に駆られる。

「その気持ちはぁ、大事ですけどぉ、それだけではぁ、解決できません。先走ってぇ、命を落とすこともありますからぁ」

 そう諭した後、敏郎らしからず、思い耽るように、哀愁漂う素の表情を曝け出した。

「経験が?」

「えっ、あっ。例えばですぅ。ハハハッ」

 経験があるらしく、敏郎は、無意識の内に表情に出てしまったことに驚いた様子で、作り笑いで誤魔化した。

「それにしては、真に迫っていましたが」

 遥は、珍しく動揺する敏郎に気分がよくなり、意地悪な笑顔を向けて話を続けた。

「苛めないで下さいよぉ」

 敏郎も素直に受け止めて、情けない声を上げる。

「フフフッ。失礼しました。で、どうするんですか?」

 軽く笑い、遥は真剣な面持ちになると、本題に戻る。

「可哀想ですが、もう一度、目撃者の彼女を訪ねます。今なら、客観視出来るかも知れません。前は血液に注意が行き過ぎて、犯人の独り言に気がいかなかったので。今の状況になって、それが重要な気がしてなりません。これも僕の勘でしかないんですけど」

 口調を鋭くして敏郎は答えた。

「酷ですね。既にトラウマになっていると思います」

「でしょうね……。重要なことですが、無理強いはしませんから、安心して下さい」

 心の読み取れない笑顔で敏郎は言った。

「信じていいんですか」

 強い眼光で遥は迫る。

「うまくやりますぅ」

 締まらない笑顔で、敏郎は曖昧に答えた。

「では、行きましょう」

 とりあえず納得した遥は、車を用意するため、いち早く事務所を出て行った。

「俺はまだまだ青いな。いつになったら、先生の域にまで辿り着けるのやら……」

 自分の見落としを悔い、敏郎は心の中で呟いた。

 

「ここはぁ、何の跡地ですかねえー?」

 助手席に座る敏郎は、外の景色を眺めていると、中型スーパー程の敷地に立つ、二階建ての錆びれた廃屋を見つけて遥に尋ねた。

「見た感じ、パチンコ店の成れの果てではないでしょうか?」

 通り過ぎる廃屋を横目で確認し、遥は受け流すように言葉を返した。

「帰りに寄りましょう」

「何故ですか?」

 敏郎の突然の思い付きに、遥は不満げな声で聞き返す。

「今までの犯行現場にぃ、近いものを感じますぅ。参考のためにもぉ、見学したいですぅ。捜索も出来ぃ、一石二鳥だと思いませんかぁ」

「分かりました……」

 捜査だと言われ、仕方なく遥は承諾した。

「………………」

 敏郎が自分の世界に入ってしまったことから、会話が途絶え、静寂に包まれる。

「着きました」

 車を止め、遥は敏郎を現実世界に戻す為に呼び掛ける。

「えっ!? あ……ああ、着きましたぁ?」

 寝ていたらしく、敏郎は少し垂れた涎を左手で拭い、頭を振りながら半開きの目を強引に開ける。

 事件に対して思案を巡らしていると思っていた遥は、いつの間にか、敏郎に何かしらの期待を寄せていたことに気付く。そんな自分が何故か可笑しくなり、小さく笑った。

「寝てしまいましたぁ。ごめんなさい」

 その笑いを呆れと誤解し、敏郎は後頭部を軽く撫でながら、気まずそうに言った。

 車から降りた二人は、一戸建ての家の玄関に立つと、柱に添えつけられたインターホンを鳴らす。

「……はい。どちらさまでしょうか?」

「警察の者ですぅ。この前の夜の殺人事件でぇ、お子さんに事情聴取したものでぇ、もう一度だけぇ、聞きたいことがありましてぇ、伺いましたぁ」

 敏郎はインターホン越しに、丁重にお願いをする。

「…………少々お待ち下さい」

 敏郎の歯切れの悪い口調に、警戒心を抱いた母親は、少しの間を置き、リビングから玄関を確認してから返答をした。

「鈴木警視ですぅ。お手数掛けますぅ」

 玄関の扉が開き、母親を確認した敏郎は、手帳を示しながら頭を下げる。遥も同様に軽くを会釈する。

「その節はどうもすいませんでした。見苦しいところをお見せしまして。あの時と刑事さんの声の印象が違ったので、怪しい人物かと思いましたよ。リビングから見て少し驚きました」

 スイッチの入っていた敏郎しか見ていない母親は、申し訳なさそうに言った。

(当然ね)

 心の中で遥は頷く。

「何か言いましたぁ」

 察知した敏郎は、遥に顔を向けた。

「いいえ。なにも……」

 こういう、あまり意味のなさない場面でも、勘の鋭さを発揮する敏郎の問い掛けに、遥は内心びっくりしたが、平常心を保ち、涼しい顔で躱す。

「どうぞ、お入り下さい」

 母親は二人をリビングへと招き入れた。

「娘さんは、ご在宅でしょうか」

 遥はお茶を運んできた母親に尋ねる。

「はい。今日は休みなので、今起こしました。身支度をしていますので、もう少しお待ち下さい」

 母親は恥ずかしそうに言った。

「娘さんの様子はどうですか?」

「一晩寝たら少し落ち着きました。まだ、夜になると怖くなるみたいですけど」

「そうですかぁ。ではぁ、僕らはぁ、迷惑でしたかぁ?」

 敏郎は遥の顔を見て、残念そうに母親に言った。

「そんなことないですよ。あの時は、刑事さんで助かりました。美代子にも聞いたんですけど、あなた方の前に聴取に来た刑事は、あの子達を蔑んだ目で見ながら、責めるように質問してきたらしいです。そんな場面に私が居たら……、ヒステリーを起こしていましたから。ホホホホホ……オホホホホ!」

 最後に笑うと、母親は、更に大声でまた笑う。

「どうやらぁ、娘さんはハズレを引いたんですねぇ。ハハハハハッ」

 敏郎はそう言うと、母親と一緒に笑った。

 遥も同感ではあったが、声を出して言うことではないので、苦笑して視線を逸らす。

「すみません。遅くなりました」

 その場に気の弱そうな娘、美代子が姿を現した。

「こちらこそぉ、突然すいません」

 敏郎は頭を下げる。

「いえいえ、そんなことないです」

 刑事に頭を下げられ恐縮した美代子は、両手を差し出し、手の平を左右に振りながら慌てて座る。

「恐縮がらなくていいですよ」

 前回に感じた、チャラチャラとしたイメージとは違う、その仕草に可愛らしさを感じ、遥は笑顔で話し掛けた。

「はい。大丈夫です」

 遥に言われ、恥ずかしさから、俯き加減に美代子は答えた。

「早速ですがぁ、美代子ちゃん。あの時にぃ、犯人が呟いた一言をぉ、もう一度だけぇ、思い出して貰えませんかぁ?」

 敏郎は出来る限り、やさしく丁寧に、名前を呼んで質問する。