7 (血の抱擁)


「ハーーー」

 その姿を見て、高科の吐き出す息は、すべて溜息へと変わる。

 悪者になっている瞭は、高科の肩を軽く叩いて面倒な聴取を託すと、トイレへと逃げて行った。

 高科はその背中を見送りながら、恨めしい気持ちを何とか切り替え、淡々と職務に励み、この場にいる人間のアリバイを聴取した。そして、冷めたお茶で喉の渇きを潤した。

「大変ですね、刑事さん。やる気のない部下を持って」

 一段落着いた高科に、上谷妹が同情の言葉を掛ける。

「そうだよ。帰ったら、説教してやったほうが良いよ」

 自分の風体を棚に上げ、三ツ谷は言った。

「そういうのは苦手ですし、彼は上司なんですけどね」

「え! どんなマジックを使ったの」

 上谷妹が口を開いたが、一同は驚きを隠しきれずに、同じリアクションで高科を凝視する。

「最悪……」

 三ツ谷が高科に同情の目を向ける。

 三ツ谷のような、チャラチャラとした十代の娘に同情され、三十代の高科は情けなさを噛み締める。

「でも、やる気がない反面、偉ぶってないのがせめてもの救いですね」

 松田が瞭をフォローする。

「そうよね、お二方は、偉そうにしてない点は好感が持てますね。前に聴取に来た刑事は、皆が偉そうでしたから」

 上谷妹は高科を察し、そう口にする。しかし、それが返って高科を貶めていた。

「頑張って下さい。としか言いようがないですね」

 松田が精一杯の言葉を口にした。

「だなあ」

 上谷兄が苦笑いしながら同意し、少しの間、息苦しい間が続いた。

「チャ~ラ~ヘッチャラ~♪っと」

 歌を口遊み、ハンカチで手を拭きながら、瞭がその間を打ち破った。

「ハーーー」

 一同がその振る舞いに呆れ、場を包んだ重々しい空気を大きく吸い込み、体に重量を感じさせながら、それを吐き出した。

「どうしました?」

 瞭は不思議そうに一同を見渡す。

「あっ、分かります? このハンカチ、三日前から洗ってないんですよ。ハハハッ……ハハハ……ハッ!? ……すみません」

 更に冷たい視線を受け、汚いハンカチをポケットに入れながら、瞭は項垂れて謝った。

「ハハハハハッーーーー」

 見当違いの謝罪に、一同は怒りを覚えることすら馬鹿らしくなり、一斉に笑い声を上げる。

 瞭も取り合えず、その笑いの意味が解らないまま、同じように笑った。

「最後に、聴きたいことがあるんですが、よろしいでしょうか」

 収まりがつくと、瞭は言葉を発した。

「不愉快でなければ」

 上谷妹が、あからさまな棘を仕込んで答える。

「失礼だぞ、美香! 刑事さんも仕事で仕方がないんだ」

 妹の無礼に、兄が窘める。

「良いんですよ。慣れていますんで。質問なんですが、皆さんは、皆、東京の出身ですか?」

 瞭は質問すると同時に、気付かれないように、皆の表情を漏れなく監視する。

「私は埼玉ですが、都内の大学に進学してからずっと東京です」

「俺は高卒で、東京の運送会社に就職しました」

 上谷妹に続き、兄が答えた。そして、三ツ谷が続く。

「私は、えーと、群馬。ネイルアートの学校に行きながら、この店に通ってます。はい、松ッチ」

 三ツ谷は言い終えると、松田の肩にタッチした。それを受け、松田が口を開く。

「僕は神奈川ですが、四年前に転職し、ネイルアートの勉強をした後、三軒の店で経験を積んで、二年前からこの店で働いています」

 松田は笑顔で答えた。

「小林さんはどうですか?」

 高科が、瞭よりも早く質問を返す。

「聞いた話では、放浪癖があって、日本全国を回ってるみたいですね。松田さんと同期で、この店では二年働いているそうです」

 上谷妹が質問に答えた。

 その横で、松田は笑顔で首を縦に振る。

「間違いないですか?」

 それに気付いた高科は、松田に尋ねた。

「間違いないです。僕も、連休はプチ旅行をするので、小林さんとはよく情報交換をしています」

「分かりました」

 瞭は全員をざっと見渡し返答すると、メモを取る高科に相槌を打つ。

「それでは、失礼しますか。行きましょう、高科さん」

 瞭と高科は席を立つ。

「駄目男は良いの?」

 三ツ谷が歩き出した二人を呼び止める。

「駄目男は、たぶん、被害者の遺族ということで、今頃警察署で事情を説明されているでしょうから、他の刑事に任せます。御協力ありがとうございました」

 瞭は笑顔で答えると、高科を伴って裏口から外へ出た。

「駄目男の件、本当によろしいんですか。警視は、直に聴取しないと気が済まないのでは」

 怪訝な顔で、高科は瞭に確認する。

「いいですよ。どうせ犯人ではないですし、他の刑事に任せましょう」

「話を聞く限りでは、一番怪しいですが」

「粗暴な人間は、我慢の出来ない証拠です。あの犯行は、感情を内に抱える人間の犯行です」

「人伝の話ですから、会えば印象が違うかもしれませんよ」

 職業柄、人の見方によって、人物像の違いに開きがあることを知る高科は、念を押す。

「もし、駄目男が犯人なら、僕が会うまでもなく、捜査本部の人間が解決するでしょう。事務の小林さんは、参考にも会わなければいけないですが」

 瞭は気軽に淡々と語る。

「小林は、警視の分析する人物像に近いですからね」

「犯人ではないでしょうけど、こちらは可能性がゼロとは言えないので……ん?」

 車に乗ろうとしたとき、一人の男が俯き加減にゆっくりと歩いて来た。

「手間が省けましたね」

「どういうことですか?」

「彼は小林さんでしょう」

 瞭は歩いてくる男を指し示した。

「私が聞いてきます」

 そう言うと、少し熱を帯びた高科は走り出した。そして、その男と一言二言言葉を交わし、歩調を合わせて瞭へと近づいてきた。

「小林さんで間違いないそうです」

「須藤といいます」

 瞭は頭を下げる。

「小林です……」

 小林は、二度目の聴取に、不安顔で覇気なく頭を下げた。

「そんな顔しなくても大丈夫ですよ。ただの事情聴取ですから」

 その言葉に不満顔になった小林は、口を開く。

「そう言って、昨日の刑事の言動は犯人扱いでしたけど」

「そうですか。ハズレを引きましたね」

 瞭は無邪気に返答した。

「えっ!? そんなものですか……ハハハッ……」

 瞭のその姿と軽い発言に小林は戸惑い、少しの間を置いて小さく笑った。

 一緒に笑った後、瞭は質問に入る。

「あなたは、放浪癖があるそうですが、ここに就職する前はどちらに」

「……大阪や愛知……九州に……北海道です。生まれは東京です……」

 上げた顔をまた下げて、地面と瞭の顔を交互に見ながら、小林は消え入りそうな声で、ゆっくりと言葉を選びながら囁いた。

「そうですか。松田さんとも、よく情報交換をするそうですが」

「はい。彼は孤児で、小さいときからどこにも行けずにいたので、大人になったら、日本全国を旅行するのが夢だったそうです。それを聞いて共感した私は、知る限りの情報を、彼に教えたんです」

 瞭は急に真剣な面持ちになり、小林の顔を観察しながら聞き入る。

「ちなみに、昨日のアリバイは」

 取って付けたように、瞭は質問する。

「それが……昨日の事情聴取でも言いましたが……家にいました……証人はいません……」

 疑われていることで塞ぎ込み、地面を見つめながら小林は呟いた。

「そうですか。有難うございました。これで失礼します」

「怪しいですよね……でも信じて……って……あれ?」

 昨日の事情聴取同様、疑いの眼差しを予想して、弁解すべく顔を上げて訴えようとした小林は、既に車に乗り込む二人の刑事を見て、呆気に取られた。

 一人取り残された小林は、鳩の顔で呆然と去っていく車を見送った。

 

「聴取の方はどうでしたか?」

 瞭は聴取の内容を尋ねる。

「はい。警戒心を解すための警視の行動は、無駄に終わりました」

「えっ!? なにかしましたか?」

「素だったんですか? 肩を叩かれたんで……」

「バトンタッチしただけですよ。えっ、どういう事でしょうか?」

 瞭は首を傾げる。

(素だったのかよ……。俺の買い被り過ぎなのかなあ。優秀なのか、頭が悪いのか、本当わかんないなこの人)

 心の中で苦笑し、高科は首を傾げる。

「僕の勘違いでした。話を続けさせて頂きます」

 高科は、苦笑しながら訂正して答えと、

「お願いします」

 瞭は意に介さずに話を促す。

「あのー、まあ、たいした情報は得られませんでした。アリバイが証明できるのは女性陣だけで、二人は昨日夜遅くまで、ネイルアートの勉強をしていたそうです。男性陣は、個々に家に居たそうですが、察して疑うほどの怪しい人物は居ませんでした」

「となると、アリバイのない人物の裏づけは必要ですね」

 瞭は表情を殺し、窓の景色を眺めながら呟くと、これからの段取りを組み始めた。

「駄目男が違うなら、小林がかなり怪しいと思うんですが。あのままでよかったんですか?」

 駄目男に続き、疑わしい小林までスルーした瞭に対し、理解に苦しむ高科は、苦笑いしながら無言の瞭に話し掛けた。

「彼も確かに怪しいですが、強制で引っ張る程の不振な点があるわけでもないですし、疑わしい人間は他にもいましたから」

「えっ!? そんな人物居ましたか?」

 意外そうな顔で、高科は運転中にも係わらず、瞭に顔を向ける。

「ええ。それよりも、前を見た方がよくないですか」

 瞭は緊張感なく高科に注意する。

「ああっ!」

 赤信号で停車する車に追突しそうになり、高科は情けない声で叫ぶと、急ブレーキを掛けて事無きを得る。

「もっと切羽詰った声を出して下さい! 死んでもいいのか!」

 動揺と怒りが混ざり合い、高科は我も忘れて叫び、後半はタメ口になっていた。

「余所見をしたのは高科さんですよ。それに、死んだら死んだで仕方のないことですし。生きる目的は、とうの昔に失いましたから」

 瞭は、逆切れする高科の怒りを困り顔で軽く受け流すと、無表情に変わり、後半の問いに淡々と答えた。

 怒る高科ではあったが、その雰囲気から本気であると痛感し、その答えと表情に恐怖を感じて押し黙った。

「…………」

 信号が青になり、数分間の沈黙が続く。

 先程の疑問が気になる高科ではあったが、完全に話し掛けるタイミングを失っていた。

 瞭は未だに引き摺る過去を思い起こし、無表情のまま、それに浸ってしまった。

 気まずい空気で気が滅入る高科と、その空気を生み出す瞭は、沈黙を維持したまま本部へと戻っていった。