7 (血の抱擁)


「着きました」

 幾らか冷静さを取り戻した高科は、瞭にそう告げる。

 シャッターの閉まる店のドアを見て、二人は裏口に回ると、事務所兼控え室である部屋のインターホンを鳴らす。そして、姿を見せた丸顔の女性店員に手帳を示し、瞭は頼りない笑顔で挨拶をする。

「また事情聴取ですか?」

 二人を事務所に招き入れながら、女性店員は、既に捜査本部の刑事に事情聴取を受けていることを告げ、疲れた顔で瞭に質問をした。

「ですよね。もう一度だけお願いできませんか。お手数はおかけしませんので」

 瞭は頼りなさげに頭を下げる。

 女性店員は、頼りない瞭に同情し、且つ、威圧的でない刑事二人に少なからずの好感を覚えて、事務所へと招き入れた。

 高科はそんな瞭を見て、

「大人としては失格なんだけどな。こういう時は本当に得だよなあ」

 心の中で呟いていた。

「で、何を答えればいいんですか?」

 お茶を差し出し、瞭・高科ペアの正面のソファーに腰掛けた女性店員は、お盆を膝に話しかける。

「えーっと……」

 軽く後頭部を撫でながら瞭が困っていると、

「上谷です」

 察した女性店員は名字を伝える。

「須藤瞭といいます。よろしくお願いします」

 その横で高科も挨拶をする。

「お店の方は休業ですか?」

 とりあえず、相手の警戒を解く為に、瞭は差し障りのない質問をする。

「昨日の今日ですんで……。それに、オーナーである葉子さんが居なくなってしまったら、この店もどうなるか……」

「そうでしたね」

 瞭は、場の雰囲気に合った表情で言葉を掛けたが、眼光の奥に佇む、無機質な光を帯びた視線で上谷を観察する。

「三谷と言います。店の掃除してたんで遅れちゃった」

 上谷がお茶を用意する為、奥にある給湯室へと向かう途中に声を掛けていたらしく、頭の悪そうな、チャラチャラとした、三ツ谷と名乗る女性店員が姿を現した。

「今日はお二人で」

「いえ」

「松ッチも来ます」

 瞭の質問に、戻ってきた上谷が否定し、三ツ谷が答える。

「すみません。片付けていたので。っと、松田といいます。よろしくお願いします」

 少し気の弱そうな、男の店員が姿を見せた。

「事務の方ですか?」

 高科が松田に尋ねる。

「高科さん、違います。彼も店員ですよ」

 松田の醸し出す雰囲気を見て、瞭は高科に言った。

 意外そうに全員が目を丸くし、瞭を見つめる。

 高科だけは、他と違う驚きだった。

「よくわかりましたね」

 松田は嬉しそうな目を瞭に向ける。

「えっ! 冗談のつもりだったんですが。まさか、本当だとは思いませんでした」

 場の雰囲気から、頼りないイメージを植え付けておいた方が、警戒心を抱かれることなく情報を引き出せると考えた瞭は、驚いた振りをしてその場を流した。

「だよね。びっくりした。そんなに優秀な刑事には見えないもん」

 三ツ谷は今時の若者らしく、悪気なく、ストレートに失礼な言葉を口にする。

「そうなんですか。やっと、初対面の人にも判ってもらえるようになったと思って、嬉しかったんだけどな」

 男のネールアーティストという宿命を噛み締めながら肩を落とした松田は、右腕を目に押し当て、泣き真似をしながら言った。

「腕は一流なのにね」

 上谷が慰めの言葉を口にする。

「惚れてるね~♪」

 三ツ谷は口笛を交え、オヤジ口調で下品なテャテャを入れる。

 上谷はテレながら否定し、三ツ谷の肩を軽く叩く。

 松田は困った笑顔で首を傾げた。

「従業員はこれだけですか?」

 頃合を見計らい、瞭は話を本題に戻す。

「いいえ。本物の事務員が一人と、葉子さんを発見した従業員が一人います。その娘はショックで入院しています」

 冗談を交え、場を緩和させようとした上谷だったが、表情まではコントロール出来ずに、曇った表情を高科へと向ける。

 そんな上谷の表情を見て、高科は目に優しさを込めると、聴取を進めていく。

「事務員の男性の方は?」

 第一発見者は、心労で入院中との情報を得ていたので、高科は事務員への質問に絞った。

「そうですね。今日はお休みですけど」

「体調を崩されたんですか?」

「駄目雄のせいです」

 高科から目を逸らし、三ツ谷が嫌悪感剥き出しで答える。

「青木秀雄。葉子さんの弟です。チンピラ同然で、お金に困ると事務の小林さんにお金を要求するんです」

 瞭と高科が顔を見合わせると、上谷が三ツ谷と同じ表情で語った。

「葉子さんは、駄目男に甘いですから。小林さんが、経理上、問題あるから止めさせるように要求したんですが、逆に小林さんが怒鳴られて……小林さんは真面目で気弱だから、何も言えなくなって精神的に参ってしまい、休みがちになったんです。でも、葉子さんは小林さんを信頼していたので、クビにすることはなく、逆に少し後悔はしていたようです」

 今度は、葉子と小林に気を遣いつつ、深刻な顔で、松田が口を開いた。

「いつからですか?」

 怪しい人物が浮かび上がると、高科は今までの友好的な面持ちから刑事の顔付きに変わり、間を開けずに質問する。

「……」

 張り詰めた空気が流れるのを感じ、松田は高科の問いに沈黙する。

「三日前から……。でも、コバッチは人殺しができる人間じゃないから……」

 三ツ谷が必死に小林を庇う。

「皆は仲がいいんですね。分かりました。あと、駄目男はどういう人物ですか? あっ、秀雄でしたっけ」

 瞭は三ツ谷の真剣な眼差しを数秒間見つめ、その視線を高科に向けて追求を制すると、高科に代わり、場の雰囲気を和ませるために、冗談を交えて言葉を発する。

「ハハハ……はーー……」

 しかし、それが返って場の雰囲気が読めない、やる気のない男と思われてしまったのか、和みを通り越し、溜息交じりの失笑を買ってしまった。

「こんにちはー。美香いますか」

 突然、事務所に男が入ってくる。

「お兄ちゃん! どうしたの?」

 上谷が驚いた表情で声を上げる。

「ああっ、葉子さんが殺されたって聞いて、仕事帰りにお前の様子を見に来たんだ」

 全員に軽く会釈しながら、男は答えた。

「上谷さんのお兄さんですか?」

 高科が話し掛ける。

「はい。あなたは……」

 反射的に男は答えるが、顔見知りの店員以外の人間の質問に、疑心を抱いた目を向けて、二人の男を観察するように見渡す。

「警視庁捜査二課の高科といいます」

「須藤です」

 二人は警察手帳を示して自己紹介をする。

「へっ? そうなんですか? 失礼しまいた。上谷美香の兄で、上谷裕輔です」

 上谷兄は、静かに手帳を確認し、頭を下げた。

「いいえ。こちらこそ、先に名乗らず礼儀を欠きました。気になさらないで下さい」

 瞭は笑顔で答え、軽く会釈する。

 上谷兄は、良い意味でイメージとは違う刑事像の瞭に、戸惑いを見せると同時に緊張の糸を緩めた。そして、少し間を空けて妹へ視線を送る。

「では、単刀直入に聞きます。美香は疑われてるんですか」

 心配そうな面持ちを瞭に向けると、上谷兄は意を決し、思い切って不安をぶつけた。

「どうしてですか? 思い当たる節でも」

 瞭は意味深な質問に、質問で応答する。

「お兄ちゃん止めてよ!」

 困った顔で上谷妹が遮る。

「ないですけど……ないからこそ、疑われてないかと心配なんです」

 瞭は上谷兄の眼を見つめ、只の過保護だと判断して口を開く。

「大丈夫です。形式的なことなんで、疑ってはいません」

 その言葉に、上谷兄は胸を撫で下ろした。

「本当に心配性なんだから……」

 呆れと恥ずかしさで、上谷妹は俯いた。嫌がる素振りがないところを見ると、仲の良い兄妹と見て取れた。

「相変わらずのシスコン振りだねー」

 三ツ谷が冗談っぽく横槍を入れると、罰の悪そうな顔で、上谷兄は頭を掻き毟る。

「お兄さんは皆と仲がいいようですが、よくこちらに見えるんですか?」

「もうしょっちゅうです。でも、いろんな所のお土産を持ってきてくれるから、迷惑はしてないけど」

 三ツ谷が即答する。

「と、言いますと?」

 高科が聞き返す。

「俺は運送屋の運転手をしてるんですが、都内だけじゃなく、北は青森、南は九州って具合に、出張することもあるんです。ご当地の土産をよく持ってくるんです」

「そうなんですか。大変ですね。因みに昨日はどちらに?」

 話の流れに沿って相槌を打ち、その流れで質問を口にした瞭に対し、周りの空気がヒヤリと冷める。

「えっ?! 僕ですか……。昨日は九時上がりだったので、家で寝てました。証明する人はいませんが……」

 思いも寄らない質問に、上谷兄は動揺の色を見せる。

 瞭は表情を変えずに、上谷兄を洞察する。

「お兄ちゃんを疑ってるんですか?! って、それよりも、私達を差し置いて、部外者の人間から事情聴取するんですか!」

 それまで照れていた上谷妹の表情が豹変し、怒りに染まる。

「そういう意味ではないです。そろそろ聴取に入ろうと思いまして、今がいいタイミングかと……。それに、形式上、少しでも関わりのある人間には、聞かなくてはいけない規則なので。話の流れ上、彼が最初になっただけです」

 職業柄、こういう状況になれている瞭は、恐縮がる素振りで軽く受け流す。

「そういうことなので」

 高科も場の雰囲気を和らげる。

「あっ!」

「どうしました?」

 収まりかけた空気に新風を興すが如く、瞭の叫び声が突然響く。高科を含め、その場にいた皆が驚き、聴取を受けた直後の上谷兄が反射的に尋ねた。

「急になんですか!」

 怒りが収まらないのか、上谷妹の言葉には少し棘が含まれていた。

「トイレはどこですか? 我慢しているのを忘れてました」

 今になって、本部にいる時に催していたことを思い出し、瞭は後頭部を軽く撫でながら、恥ずかしそうに言った。

「ハー。普通忘れますか? そんなこと」

 高科は右手を顔で覆い、俯きながら力のない声で言った。

「ありますよねえ」

 瞭は皆に同意を求める。

 高科は、無言でもう一回溜息を吐いた。

「プププッ」

 三ツ谷と松田が噴出すのを堪える。

 呆れを通り越し、イラつきを覚えた上谷妹は、先程の怒りを更に上昇させ、強めの口調でトイレの場所を瞭に教えた。