6 (血の抱擁)


 敏郎と遥は、捜査本部に顔を出していた。

「身元が唯一判明した被害女性は、所持していた免許証から、前田瞳、二十八歳だと断定できました。吉田証券の総務部で働く、俗に言う、キャリアウーマンです。残りの被害者は、現在、行方不明者のリストから捜索しています」

 緊張感を漂わせ、並べられたテーブルに座る刑事達は、一昨日起きた殺人事件の説明に耳を傾けていた。

 正面で説明する刑事の隣に、本庁から派遣された太田管理官が座り、その横には所轄の乾所長が座っている。

 三十代後半であろう太田管理官は、精悍な顔立ちを、更に真剣な面持ちにして聞き入り、五十代の乾所長は、頬が少し痩けた細身の顔を深刻にし、説明の合間に一人相槌を打ちながら、鋭い眼光を発して周囲を見据えていた。

 敏郎は一番後ろの席に座り、それらのやりとりを無関心に見て流していた。

 そんな敏郎を尻目に、隣に座る遥は、優等生らしくメモを取っていた。

 一通りの説明が終わると、今度は質問が飛び交う。

「吊るし上げてはいますが、死因の外傷以外、他の外傷がないとのことですが、この犯人の目的がわかりません。睡眠薬が検出されたとされますが、殺害が目的なら、吊るす必要性があったのでしょうか」

 一人の刑事が手を上げ、質問を投げ掛けた。

「今のところ、怨恨か異常者かは分からんが、三体の遺体は、明らかに常軌を逸脱していることから、異常者の線が濃厚だと判断している。残念ながら、我々には異常者の思考が理解できない為、その説明には答えられん。非常に難しい捜査になっていると言う事だ」

 生真面目が服を着ているようなタイプの乾所長は、深刻な顔で口を開いた。

「快楽殺人である可能性が高いと思います。犯人の目的は、拘束しやすくする為に睡眠薬を飲ませ、被害者の恐怖する様を楽しみ、支配欲を満たすことではないでしょうか」

 現場に遥を案内した若い新人刑事が、後ろに座る敏郎に視線を送り、ライバル心を剥き出しにした後、緊張と興奮を滲ませて、誇らしげに意見を述べた。

「そんな推測はいらん。事件はゲームじゃないんだ。目撃情報などの有力な情報を集めろ」

 乾所長は、事件を楽しむような表情を浮かべる若い刑事を一括する。

 若い刑事は、初めて扱う凶悪事件に舞い上がり、自分を見失っていたことに気付くと、反省し、しょぼくれて俯いた。

「あの倉庫は、現在、金科不動産が所持しています。社長によりますと、心霊スポットとしてインターネットで紹介され、訪れた者達が傷害事件や恐喝事件を起こしたりした為、数年前から、出入りできないように、頑丈に施錠してあったそうです」

 別の刑事が口を開く。

「目撃者の若者の証言から、その施錠は、壊されていたようです。ちなみに、建物の中で見た犯人らしき男? についても、間違いなく一人のようです」

 他の刑事が淡々と続いた。

「近隣の住民の聞き込みでは、不審な人物の情報はありません。郊外とあって、殆どの住民は、夜間に出歩かないようなので、そういった情報は望めません」

 乾所長は、渋面な面持ちで重い口を開く。

「被害者の身元から、怪しい人物は出ないのか」

「目下調査中ですが、今のところ、彼女に恨みを持つ人物は浮上していません」

 刑事達は、次々と意見を交わして行く。

「太田管理官。とりあえずは以上です」

 乾所長は、隣で静かに思案を巡らせている太田管理官に話し掛けた。

「ふああーーーあーー」

 寝不足の敏郎は、そんな光景に飽き飽きし、大欠伸を誘発させられた。

「そこ! 不謹慎だぞ! やる気がないなら帰れ!」

 会話を遮るように割って入った欠伸に、生真面目な乾所長は、大きな怒声を上げる。そして、熱くなって堪らず席を立つと、敏郎の前へと勢い良く近寄る。

「すみませんー。昨日はぁ、夜遅くてぇ、ついー、我慢できなくなりましたぁ」

 悪びれる様子もそこそこに、敏郎は頭を下げる。

「あなたでしたか警視。階級社会とはいえ、権限が上であっても、不謹慎なことは年長者として許しませんよ」

 敏郎だと気付くと、乾所長は冷静さを取り戻し、丁重に抗議した。

「すみませんー。悪気はないんですよぉ。それにしてもぉ、乾所長はぁ、まじめですねぇ。こんな階級だけの若造なんかをぉ、丁重に扱ってくれるなんてぇ。この署の人達は幸せだぁ」

「好きでそうしているわけではないですよ。正直、警察官でなければあなたを殴っています」

(同感です……)

 遥は心の中で相槌を打つ。

「でしょうねぇ。でもぉ、僕はぁ、あなたのような人はぁ、尊敬できますよぉ。僕の前の上司にそっくりですぅ。警察官の鏡ですねぇ。堅物ではありますがぁ」

 敏郎は、無邪気な笑顔で答える。

 悪意を受け止め、なお、負の感情を宿らせない、無邪気で底の見えない敏郎の目に捉えられ、乾所長は引き込まれそうになる。

「ふざけないでもらいたい! 次は追い出しますよ!」

 部下の手前、引き下がれない乾所長は、口篭りながら、何とか怒声を上げると、席に戻って行った。

「すみませんー」

 乾所長を気に入った敏郎は、乾所長を立てるために、また謝り、しょんぼりした振りをして黙り込む。

「太田管理官にもぉ、ご迷惑かけしましたぁ」

 敏郎は、太田管理官にも謝罪を入れた。

 場にいる、敏郎と遥をよく思わない幾人かの刑事は、そんな二人に優越感を味わい、不適に笑みを浮かべる。その中にいた緒方だけは、敏郎の行為に気付き、敏郎に対しての高感度を上げる。

 太田管理官は真剣な面持ちで静かに頷くと、一緒に派遣された、正面に座る、本庁の捜査一課の大沢警部補に顔を向け、小さく笑みを零す。

「ちょうどいいですから、その筋の専門でもある、警視殿の意見を頂戴したいですな」

 悪意ある笑みを浮かべ、中堅の刑事が口を開く。

「杉本! 上司に向かってその物言いはなんだ!」

 悪乗りした杉本と呼ばれた刑事は、乾所長の一喝に頭を下げ、素直に反省した。

 敏郎が言うように、乾所長は皆に慕われているようだった。

「別にかまいませんよぉ。でもぉ、これもぉ、僕の推測なんでぇ、皆さん笑わないでくださいよぉ」

 敏郎は、遥に語った通りの推測を語った。

 あまりの発想の奇抜さに、その場の雰囲気は凍りつき、爆笑を通り越して、失笑を買っていた。

「血を浴びる殺人者か……。警視、それは少しどうかと思いますが……」

 敏郎に対し、負の感情が振り払われてしまっていた乾所長ではあったが、フォローを入れようにも入れられない内容に、差し障りなく返答をする。

 管理官は黙ってその顛末を傍観していた。

「僕はぁ、別行動なのでぇ、この線で当たりますぅ。他の人はぁ、捜査本部の方針に従ってぇ、捜査をなさって下さいー」

 そして、敏郎は、更に口を開く。

「あとぉ、太田管理官にお願いがあるんですがぁ」

「何かな」

 無口だった太田管理官は、顔立ちとは違う優しそうな口調で、初めて言葉を発した。

 威圧感のないその口調に、所轄の刑事達は拍子抜けする。

「この犯人、あまりにも手際が良いと言うか、慣れを感じます。都内で……出来れば、全国レベルで、こういった閉鎖された廃墟があれば、一斉捜査するように手配をお願い出来ますか。今以上の被害者が出る可能性がありますから。そのときは、連絡お願いします」

 目を細め、スイッチを入れた敏郎は、異様な威圧感のある眼光で、太田管理官に懇願した。

 雰囲気が一転した敏郎を目の当たりにして、それまで敏郎を見下していた刑事達は、表情を凍り付かせる。

「了解した。君がそう言うのなら、可能性が高いということだ」

 それを知る太田管理官と大沢警部補は、事の重大さに顔を強張らせたが、淡々と動く。

 噂として、本庁でも嫌悪される存在である敏郎に対し、本庁の人間である管理官が親しげに口を開いたことに対し、凍りついた表情で見つめる刑事達に追い討ちを掛けて、驚きを与える。

「大沢警部補、頼む」

 太田管理官は部屋を出ようとする敏郎から視線を外すと、大沢警部補に手配させた。

「ありがとうございますぅ」

 いつも通りに戻ると、敏郎はだらしない声で感謝する。

「感謝には及ばんよ。私が勝手に信じただけだ。それにしても……」

 太田管理官は何かを言いかけたが、周りの異様な眼差しに言葉を止め、数秒後、違う言葉を続ける。

「ここではなんだから、後日、お茶でもどうだ。隣で不思議そうな顔をしているお嬢さんと三人で」

「太田管理官のおごりでしたらねぇ」

「もちろんだ」

「私は……お供します」

 少し考えたが、遥は太田管理官が言いかけた言葉が何故か引っかかり、複雑な表情で返答した。

「楽しみにしています」

 遥には丁寧にそう言うと、太田管理官は会議の解散命令を出し、部下を捜査に戻した。

 

「それも推測ですか?」

 廊下を歩きながら、遥が口を開く。

「えっ、何のことですかぁ」

 突然の問いに、自分の世界に浸っていた敏郎は首を傾げる。

「他にも被害者がいるかもしれないということです」

「ああ、そのことですかぁ。推測というよりぃ、確信に近いですねぇ」

「その根拠は?」

「証拠を残さないその手際と、被害者の殺傷痕。証拠を残さず、あれほど完璧に目的を達成するには、回数をこなさないと出来ません。他の二人の被害者の現場もほぼ同一でした」

 現場の状況を思い出してスイッチが入ったのか、異常な眼光を放ちながら、敏郎は答える。

「何度もシミュレーションしたのかも知れません」

「それはないですね。この犯人は欲求に忠実です。獲物を捕獲し、現場に到着するまでは秩序だっていますが、その後は欲求に支配され、妄想の世界に囚われています。シミュレーションで欲情してしまうタイプの人種でしょうから……先日も言いましたが、その為、目撃者の少女達は無事で済んだんです」

「それでは、犯行後に証拠を隠滅することは出来ない筈です。矛盾が生じます」

「そこが、この犯人の厄介なところです。犯人は、全てを把握した上で、場所を選び、下準備を整えているんです。普通の人とは逆に、欲求を抑えるのではなく、充たすために、理性を生かしている。ってぇ、ことですかねぇ」

 最後には自制心を効かせて口調を戻し、敏郎はニッコリと遥に笑顔を向ける。

 不満が残る遥は、その笑顔で牽制され、反撃の機会を殺がれた。

「何もかも、お見通しということですか」

 遥は、少しの間を置き溜め息を吐き出すと、敏郎に聞かせるでもなく、溜まったストレスを言葉に代えて、囁くように言葉を落とした。

「いやぁ、今までのデータを参照して創造したぁ、僕の妄想を口にしているだけですぅ。占い程度の確率の話ですよぉ」

 必要とされない答えを口にし、敏郎は不適な笑みを見せる。

(心にもないくせに……)

 独り言ですら返答されそうなので、遥は心の中で悪態を付いた。

「そう見えますかぁ」

 見透かした敏郎は、無邪気な口調で答える。

内心の声にまで返答をする敏郎に苛立ちを覚えた遥は、睨みを利かして敏郎を黙らせた。

 敏郎は、怒られて萎える小型犬のように目を潤わせながら、肩を落として静かに廊下を歩いて行った。

 不本意ではあったが、遥はそれに続くしかなかった