原作者 無味無臭
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
「へー、以外に殺風景なお部屋なんですね。怒られるかもしれないですけど、もっとオシャレな部屋を想像してました」
気の強さが滲み出る目元を輝かせながら、紺のスーツに身を包むOL女性は、暗闇から明かりの灯った部屋を眺めて感想を述べる。
「放浪癖があるからね。転居が多いから、必要なもの意外は持たないようにしているんだ」
身長百六十半ば程の女性を包むかのように、カジュアルな服装をした、身長百七十前半ほどの爽やかな好青年が、女性の背後から返答をする。
「そうなんですか……ここには、いつまでいる予定ですか?」
残念そうな表情で、女性が振り向く。
「予定はないよ。気儘な性格だから気の向いたときかな」
青年は女性に笑顔を向けて答え、リビングに置かれるソファーへとエスコートする。
「仕事一筋の私には、考えられない生活ですね。羨ましい反面、認めたくないという葛藤に駆られます」
ソファーに座り、グラスを用意する青年に笑顔を向ける。
「キャリアウーマンらしい答えだね」
「オシャレもしない地味な女はお嫌いですか」
「そんなことはないよ。僕の母も仕事一筋の人だったから」
青年の顔に影が落ち、悲しい顔でそう語った。
「だった?」
「僕が九歳のときに……」
「そうだったんですか……ごめんなさい」
「ああ、気にする必要はないよ。昔の話だからね。安物の赤ワインだけど飲んで」
青年は、テーブルの上に置いたワイングラスに安物のワインを注いでいく。
「頂きます」
「乾杯」
軽くグラスを重ね、二人はワインを口にする。
「お母さんのこと聞かして頂いていいですか」
一時ワインを味わった後、アルコールの力を借り、聞きづらそうに女性は切り出す。
「どうしてですか?」
「私も女なんで、子供を生みたいと思ってるんですが、それでも、仕事は続けたいと思っているんです。そんな母親を持つ人の意見が聞きたくて……」
女性は、恐縮しながらは答える。
「正直に言えば寂しかったけど、俺の家は母子家庭だったから、そうは言えなかったな。いつも『大丈夫』って言ってた。母親はそれ
が分かっていて、その言葉を信じる振りをしてたな。何より仕事が好きだってことが、子供の俺にもよく分かったから、仕方がないと思うしかなかったんだ」
「愛されてないと思いました?」
「多少は思っていたね……でも、そうでないと分かったときは嬉しかったな。でもね、人生は皮肉なもんで、その直後に、母は死んでしまったから、その分余計に悲しかったな……」
遠い目をする青年を見つめて、女性は涙する。
「嫌なことを思い出させてしまって……ごめんなさい」
「気にしなくていいよ。昔の話だからね」
「今の話を聞いて、私、分かりました。私のような女が母親だと、子供が不幸になります」
「そんなことないよ。俺は働く女性が悪いとは思わないし。ただ、子供の言葉の真意が分からない母親は駄目だと思う」
自らの過去に対し、少し陶酔気味になった青年は、語気を強める。
「どういうことですか?」
女性は、涙を拭きながら鼻を啜り、真剣な面持ちで聞き返した。
「子供は意外と気を使うんだよね。俺のことを例に挙げれば、寂しいけど、寂しくないと言わざる負えなかったから。それに母親が気付いているかいないかが重要だと思う」
「そうですね。私が前に見たテレビでは、仕事を持つ母親が、専業主婦に『子供がかわいそう』と言われることに対して『うちの子は寂しくないって言ってくれるから大丈夫なんです』って反論してました。その時、私は専業主婦に腹が立ちましたけど、そう言われるとそう思いますね」
「その母親が子供の本心を分かっていて、それに甘えているんなら救いようがあるけど、本当にそう思っているなら、産むだけの無責任女だな。子供の小さいうちは、母親なら心が読めるくらいじゃないと、俺は駄目だと思っているからね」
青年はほろ酔い加減で力説する。
「厳しいですねー。専業主婦の味方なんですね」
「そうではないよ。仕事を持つ母親は、育児と仕事を両立しないといけない事情があるんだから、働かなくても経済的に余裕のある無知な人間の言うことなんて、相手にしなければいい。だけど、子供の本心だけは理解しないとね」
「ただの仕事好きの人もいると思うんですけど。あのテレビの女性は、図星指されて、子供を出汁に言い訳してるかもしれないですよ」
女性は自分に置き換えての心理描写を口にする。
「それなら、子供を使って正当化せずに、正直にそう口にしたほうがいいと思うな。我を貫くなら、自分の体裁なんて捨てて、悪者になる覚悟ぐらいしてほしいよ。子供を使って逃げるのは卑怯だよ」
熱を帯びている振りをして、青年は口調を少し荒げる。
青年は真実と嘘を旨く交えながら、女性との会話に付き合う振りをして、女性の感情を揺さぶり、それらの反応を観察していた。
青年の偽りを交えた生い立ちを聞き、感情移入していた女性は、それが経験からくる感情だと錯覚し、その偽りの演技に気付かなかった。
「ウ~~、私には子供は無理ですね。悪者にもなりたくないですし、仕事は辞めたくないですし」
アルコールが回り、少し気の緩んだ女性は、半ベソを掻く素振りで天井を仰ぐ。
「解決策はあるよ」
グラスを揺らしながら、青年は笑顔で言った。
「何ですか……あっ、分かりましたーああ……やばい……ズーーー……でもー、それは無理ですね。私は仕事をする男性が好きですから」
女性は青年の言葉に首を傾げ、グラスに残るワインを飲み干しながら、鈍くなった脳を無理に稼働させ、空になったグラスをテーブルに置き、ワインをグラスに注ぎながら思考を巡らせる。そして、少しの間を置いて、その答えに行き着いた。が、あわや、ワインが溢れ出る寸前であるのに気付き、慌てて傾けるビンを戻す。
女性は、溢れそうなワインを優先し、グラスを動かさずに、そのままの状態でワインを口で啜り、一段落させてから答えた。
「そうなんだ。まあ、滅多にそんな男いないから、そんな男を捜すほうが難しいかな」
「そうですよ。ふわぁーーー。なんか眠くなってきました」
女性は笑いながら答え、大きく手を伸ばしながら欠伸をし、全体重をソファーの背もたれに乗せる。
「寝るのはいいけど、その後どうなるか分からないよ」
青年は冗談交じりに、笑顔で答える。
「そんなつもりはありませんよ。私はこれでもガードが固いんです。今日は、お酒には自身があるから、あなたのお誘いを受けたんですから。でなければ、出会って間もない男の人の部屋で、お酒なんて飲みません」
「その割には眠そうだけど。それに、酒に強くても、強引にあなたに圧し掛かるかもしれないよ」
「それなりの覚悟はあるんですが、でも大丈夫です。私は仕事で人と接することが多いんで、人を見る目には自信があるんです。でも……体調が悪いのかな? いつもならこんな量じゃ眠くならないのに……」
首を傾げ、女性は天井を仰ぐ。
「あのう、話が変わりますけど、赤ワイン派なんですね」
ふと、キッチンに視線を送った女性は、一ダースほどの赤ワインがテーブルに置かれているのを目にし、青年に質問した。
「そうだね。なんか、血の色に似ているだろ。だからかな……なんてね」
冗談交じりではあったが、さっきとは違い、人が変わったかのように、青年の眼は異常な光を帯び始めていた。
「ハハハハッ、また冗談を…………」
「半分はね」
笑っていた女性は、青年の眼を見て背中に悪寒を感じた。誰が見ても、その青年の笑顔は常軌を逸していた。
突然の青年の変貌振りに身の危険を感じた女性は、怯えを抑えて表情を引き締めると、震えながら青年を睨む。
「……どうするつもりですか…………」
見た目のまま気の強い女性は、震える声で毅然とした言葉を捻り出す。しかし、異常な眠気のせいで声に力が入らない。
「やっぱりそうだ。その気の強さ、僕のママにそっくりだ」
女性は青年の口調が変わるのを見て取り、さらに恐怖が増すのを感じた。人を見る目のなかったことに気付き、そう自負していた自分に対して後悔とともに怒りを覚えた。
「どういうこと……」
「あなたを街で見かけてから声を掛けるまでの一ヶ月間、ずっとあなたを観察してたんですよ。僕のママに似てるかどうかを……。遠くから見るあなたは、ママそっくりだったけど、見るだけでは限度があるから、最終的には接してみないとね……あなたは合格だ……」
少し子供っぽい口調を混じらせながら、青年は饒舌に話す。
「なにが目的なの!……」
青年に対し吐き気を覚えながら、女性は主導権を握ろうと、弱みを見せないよう気丈に振舞う。
意識を奪おうと襲いかかる眠気と戦いながら、ソファーから立ち上がり、青年を見据え、玄関へと摺り足で後ずさる。
「無駄だよ。君はもう、僕に捕捉されてるんだ。逃げられないよ」
余裕の表情で、青年は女性に近づいて行く。
女性は、手に触れるもの全てを、迫る青年に投げつけ抵抗する。
「自分が……何をしてるのか分かってるの……来ないで……」
ガツンッ!
女性が放り投げた電話の子機が青年の頭部に当たり、その衝撃が部屋に響き渡る。
頭部に激しい痛みが走り、液体が髪を濡らすのを感じ取った青年は、足を止めて頭部に触れる。手には血が付着し、微量ではあるが、男の顔の側面を血が流れ落ちた。
「大丈夫だよ……さあ、おいで……」
青年は怒るどころか、血で汚れる手を優しく差し伸べる。
薄れ行く意識の中、絶望を覚えるほどの恐怖に抱かれているのを感じながら、女性はその場に崩れ落ちた。
「で、どうなの?」
女は少し見下した感じで、目の前の男に言い放った。
女は全身シャネルで身を固め、必要以上に施された化粧は、能面に包まれているように浮いていた。
「すみません、葉子さん。それだけは無理です」
男は女の顔を凝視しないように、丁重に頭を下げる。
「どうしてよ! あなたにデメリットはないはずよ。一つの場所に落ち着けるし、地方を回る必要もなくなる! それとも、私に不満があるの」
思いがけない返答に、女は男を怒鳴る。
「そうではないです……」
男は申し訳なさそうに、何度も頭を下げた。
「となると、秀雄が原因? 確かに、あの子には甘いと思う。これからは、きつく言うようにするわ。それでも駄目かしら」
平謝りする男を目の前にし、冷静さを取り戻した女は、口調を和らげる。
「いえ、そうではないです。僕自身の問題ですから……」
「こんなに頼んでも駄目……ならいいわ。それなら、あの子をクビにするわ」
「それは関係ないじゃないですか!」
勝ち誇った表情をする女の脅迫に、男は声を荒げる。
「私はどんな手を使っても、あなたが欲しいのよ。何故解らないないの!」
女も釣られ声を荒げる。
「すみません。ありがたいんですけど、それでも、やはり無理です……」
女の顔が赤く染まり、目尻が釣り上がる。懇願しても、なお、否定する男に憤慨し、女は大きな声を上げる。
「もう頼まないわ! あの子はクビにします! あなたも私の前に二度と姿を現さないで! こんなチャンスは二度とないわよ! 一体どういう教育を受けてきたのよ! まったく。どうせ、ろくな親ではないんでしょうね!」
女はソファーから立ち上がり、男に背を向け捨て台詞を吐いた。
その瞬間、女は部屋の空気が変わるのを感じ、背中に悪寒が走る。
「今なんて言った! 親は関係ないだろう! お前のような! ケバイ格好の! 不潔な女が否定するな!」
それまで温厚だった男は、悪霊に憑かれたように、凄まじい怒りを面一杯に滲ませながら、女に襲い掛かった。
その形相と変貌に、腰を抜かした女はソファーに倒れこむ。
「や……めて……」
恐怖で思うように声の出せない女は、なんとか声を絞り出し、怒り狂う男に懇願する。
「てめえに何が分かる」
怒りに呑まれた男は、女の声が耳に入らず、激しい怒りの言葉を吐きながら、右拳にタオルを巻き付ける。
男は女に跨ると、左手で女を押さえ込み、タオルでガードを施した右拳で、女を只管殴り続けた。
女は必死に抵抗するが、数分後、大きな痙攣とともに動かなくなった。
男はそれでも怒りが収まらないのか、休むことなく殴り続けた。
「ハアハアハア……フンッ」
男はあらかた怒りが収まると、息を切らしながら、冷たい表情で女を見下ろし、鼻を鳴らした。
「クソ女が!」
そして、男は虫の息をする女性の首筋を凶器で払い、吹き上がる鮮血を浴びないよう避けながら、改めて吐き捨てた。
男は数秒間、無残な姿に変貌した女を見下ろし、何事もなかったかのように玄関へと向かう。
高級マンジョンとあって、防音設備が整っていたことから、外部には音が漏れず、男は誰にも気付かれることなく、監視カメラを避けるように、来た時同様、その場を去って行く。
マンションの一室には、無残な姿に変わり果てた女の骸が、静かに横たわっていた。