「これからどうするんですか」
「一番新しい現場で検証しますぅ」
一番新鮮な現場に残る、犯行の余韻を感じ取りながら検証すると、敏郎は遥に説明する。そして、軽く書類に眼を通し、真剣な面持ちになると、また封筒に書類をしまい込み、それを遥に渡す。
「遥ちゃん、少しいいですか」
敏郎は眼の色を変え、真面目な口調でそう言うと、遥の背中と両膝に手を回し抱き上げる。
「な……何をするんですか」
突然のことに戸惑い、遥は非難の声を上げる。嫌がり暴れたが、敏郎は止めようとしない。
「検証の一環です。野外の土に残された足跡から、犯人は、現場まで被害者を抱きかかえて運んだそうです。普通なら、遥ちゃんのように暴れるはずですが、被害者の爪や手には、犯人の皮膚や衣類などの組織は見つからなかったようです」
そのまま歩きながら、敏郎は建物に入って行く。
「もういいでしょう。止めてもらえませんか」
恥ずかしさもあるのか、遥は少し顔を赤くしていた。
「大丈夫です。体は鍛えてるんで、この位の重さなら問題ないですから」
敏郎は、女性相手に無神経な発言を含めて、悪気なくサラリと言った。
「私はそんなに重くはないですし、あなたの心配なんてしていません。嫌だから言っているんです!」
透かさず、遥は反論する。
「そうですよね。でも、仕事なので我慢して下さい」
敏郎は平然と答える。そして、事件のことに気持ちを向けると、既に、事件以外に思考が働いてはいなかった。
「ということは、被害者は縛られて運ばれたか、意識がなかったか……しかし、腕以外の外傷が見当たらない……か。仮に、傷痕が残らないように縛って運んだとしても、意識があれば、体を揺すり抵抗はできる。階段を含む、この距離を運ぶとなると一苦労だ。となれば、眠らせて……というのが妥当かな。検死解剖の結果で、薬物反応が示されれば……」
独り言を呟きながら、敏郎は階段を上る。
「いつまでそうしているつもりですか!」
敏郎の独り言を遮り、遥が敏郎の耳元で叫ぶ。
自分の世界に入り込むと、自分の意志以外で、滅多に妄想から覚めることのない敏郎ではあったが、耳元で叫ぶという、大きな外的干渉により、無理やり現実世界に引き戻された。
「ああっ、着きましたね」
敏郎は丁重に遥を下ろすと、我慢していたのか、耳元を押さえて頭を振る。
「それにしてもあついですね」
上着を脱ぎながら、間を置いて口を開いた敏郎は、遥を抱えて階段を登り、全身が汗で濡れていた。
「シャツの袖を捲ればいいじゃないですか?」
上着だけを脱ぎ、汗でぬれる袖をそのままに話す敏郎に、遥は指摘する。
「そうですが……遥ちゃんが引いてしまいますし」
「誰もシャツを脱いでは? とは言っていません! 袖を捲っては? と言ったんですが!」
遥は敏郎が不謹慎にふざけたのだと思い、つい声を荒げた。
「わかっていますよ……そういう意味ではなかったんですが……」
敏郎は少し口を尖らせ反省すると、袖をそのままに、現場を一通り見渡す。
「遥ちゃん、少し離れてて下さい」
敏郎はそう言うと、遥が持つ封筒から、B5サイズの写真を数十枚取り出し、その中の一枚と照らし合わせながら、裏に番号の振られた写真を地面に置いていく。
遥は、不思議そうに置かれた写真を除き込む。それは、原寸大に写された、その場で検出された血痕の写真だった。そして、そのまま、敏郎が手に持つ写真に目を移すと、フロア全体が映し出されており、写真に細かく番号が記されていた。どうやら、血痕写真を使い、現場を再現しているようだった。
遥は、文句も言わずに徹夜をし、事細かな作業まで熟した内藤に尊敬の念を抱く。
一通り置き終え、番号の記されたいない、現場検証前の、遺体を含めたフロア全体が映し出された写真に持ち替え、残った写真を遥の持つ封筒に収める。
「うーん……やはり……しかし……儀式では…………何を求め…………」
敏郎は、手に持つ写真と地面に置かれた写真を見比べ、右腕を支えに左手を顎に添えると、思案を廻らしていく。
幾つかの疑問を口にしながら、敏郎は写真の置かれた場所を左右に動き、様々な角度で観察する。そして、眼を閉じ、手に持つ写真を脳裏で原寸大に戻し、地面に置く血痕写真とリンクさせ現場を再現すると、誇大妄想により、新鮮な現場を創り上げた。
写真を用いる程ではないにしろ、状況証拠や物的証拠の情報を元に、現場を再現しようとすることは、然程珍しい行為ではなかったので、傍から見ていた遥は、その行動の意味を直ぐに理解した。しかし、通常とは明らかに違う、理解し難い異質なオーラを醸し出す敏郎に魅入ってしまった。
敏郎は眼を閉じたまま、揺らぐことなく、見えているかのように歩き出す。
異常ともいえる集中力と妄想的なイメージが、眼を閉じたままでも歩けるほどの現場を、狂いなく再現していることの証明だった。
その異常な集中力は、ゾーンと呼ばれ、その妄想癖を良く言えば想像力と言える。敏郎にとって、どちらが適した言葉かは遥には判りかねたが、明確に言えることは、その二つの能力が、敏郎の放つ異質なオーラの一部であるということだった。
魅入る遥は、瞬きをすることも忘れ、敏郎の動きを追う。
「……お前は……何を望む…………」
少ない情報で、出来得る限りに犯人の思考と自分を重ねた敏郎は、犯人に成りきり、正確な位置で、既に息のない被害者の前に立ちはだかる。妄想の中で、犯人と見立てた主観に対し、客観に見立てた自身を作りだし、返されることのない質問を投げ掛ける。……しかし、突然眼を見開き、不自然に動きを止めた。足りなさ過ぎる情報が、不鮮明なノイズとなって敏郎の創り上げた世界に歪を生み出し、微かな情報がフラッシュバックとなって駆け巡る。均衡を保てなくなった世界は崩壊を招き砕け、断片となって崩れ落ちた。
敏郎は不快な表情を滲ませたが、それを振り払うかのように、崩壊した世界をリセットし、今度は犯行直前の世界を創りだした。
犯人と自分を重ねる敏郎は、身を捩り、揺りかごの揺れるような軋み音を奏でながら、恐怖と怒りの感情を剥き出しにする、自分を見下ろす被害者女性を異常な笑顔で見つめる。
すると突然、敏郎は左手に見えない凶器を握り、縛られた女性の首筋を切り裂く。
「きゃーーーー!」
妄想の世界の被害者が、絶叫とともに鮮血を噴き上がる。
恐怖による興奮状態によって、被害者の頸動脈から、急流の如く廻る血液が噴き上がり、敏郎はシャワーを浴びるように、少しずつ両手を広げ膝をつき、降り注ぐそれを全身で受け止めた。噴き上がる血液の勢いが治まると、髪から滴り顔を流れる血液を両手で覆い、気持ち良さそうに首筋へと指を這わす。数秒間その余韻に浸ると、今度は被害者女性の血液の滴る首筋に手を宛がい、顔を擦りつけて愛撫し始める。女性の首から顔にかけてなぞり、悦の表情を浮かべた。
「快楽……でもなく……憎悪……でもない…………何を得る…………」
余韻に浸る中、疑問による感情の揺らぎが、一途である筈の妄想の世界に穴を穿ち、そこから飛び込む光が強烈なフラッシュとなって、犯人の思考から敏郎を遮断する。
その体に残る犯行の余韻を感じながら、敏郎は疑問を口にした。
遥は客観的に敏郎の行為を見つめ、出来得る限りで、現場のイメージを脳裏に浮かべる。そして、敏郎と地面をコラボレーションする。
「えっ!?」
敏郎の言った通り、血液の飛散した角度から、手を広げた敏郎のいた背後には、不鮮明ではあるが、影のように、血液が検出されていない。その範囲外に血痕が飛散していた。
遥は、非常識な敏郎の推測を認めざる負えなかった。敗北感を感じた遥ではあったが、その反面、敏郎の滅茶苦茶な推測に対して、人として抱いてはいけない筈の好奇心を、またしても、そして、いつにも増して、強く抱いてしまう。それを否定し、打ち消そうと、無理強いするかの如く、罪悪感を強く奮い立たせる。
「遥ちゃんは悪くはないよ。好奇心は、善悪を判断してから抱くものじゃない。それに、その好奇心は、推理小説のように、殺人ではなく、その推理を楽しむことと同じだからね。人として仕方ないことだよ」
敏郎は唇を微かに噛み締める遥の表情を見て、そう口にした。
遥は、ハッとして表情を引き締めたが、今ではなく、既に敏郎はそのことを初めから見透かしていたのだと、悔しくはあったが理解した。
「これは小説ではなく現実世界です。警察官としてではなく、人として抱いてはいけない感情です。被害者やその遺族を冒涜しているのと同じですから」
自分に言い聞かせるように、遥は反論する。
「まじめですね。でなければ困りますけどね」
「どういう意味ですか」
意味ありげな敏郎の言葉に、遥は強い口調で問い質す。
「期待しているということです」
敏郎は涼しい顔で、遥の勢いを軽く躱す。
「素直には喜べませんけど」
自分を惑わす敏郎に対し、遥は苛立ちを前面に押し出し、刺々しく皮肉った。
「あのう、誤解しないで下さい。僕は犯人を捕まえる為に、僕なりに全力で捜査をしていますし、好奇心は強く持ってますが、ゲームだとは思っていません。異常者を知る喜びはありますが、親しい者を失った人の気持ちは、遥ちゃん以上に強く持っています」
微かにしか敏郎を理解出来ないでいた遥ではあったが、強い意志のある眼光で見つめられ、根拠はないが、不思議と嘘を吐いてないと思った。
「だといいんですが」
今までの熱が急激に冷め、落ち着きを取り戻した遥は、目線を外し、やんわりと皮肉った。
「ですね」
本気なのか、冗談なのか、敏郎は笑顔でそう切り返し、自らの心理を曖昧なものにする。しかし、遥はそれが照れ隠しの意味も含まれているものと理解でき、少し呆れながら、軽く聞き流した。
「それでは行きますか」
敏郎は写真を封筒にしまい脇に抱えると、もう一度、現場を一通り見て回り、遥に言った。
「わかりました」
遥は返事をして敏郎の後に続いた。
敏郎の負の魅力に取り憑かれつつある遥は、少しずつ、敏郎に対する嫌悪感が薄れていくのを感じていた。そして、その領域に踏み入れた足元を見て、薄れていく恐怖感に恐怖する。
得体の知れない人間に対する探究心が、恐怖や不安を押し殺し、追い風となって遥の歩みに勢いを与えていた。