原作者 無味無臭
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
「思ったより綺麗ですね」
夜間のため、人の出入りの少ない玄関を通り、夜間に関係なく、少し薄暗い通路へ入ると、地下への階段が姿を見せる。
敏郎の後に続き、遥はその階段を下る。鍵を開け、扉を開く敏郎の招きによって、部屋へと入った遥は、イメージとは異なり、綺麗に整頓された部屋を見て第一声を上げた。
「僕はぁ、こう見えてもぉ、綺麗好きですからぁ。ただぁ、自分を着飾ることにぃ、興味がないからぁ、服装を見てぇ、だらしなく思われるんですぅ」
大きいホワイトボードを奥から引っ張り出しながら、敏郎は答える。
「そうなんですか……」
遥は部屋全体を眺め、綺麗に棚に並べられたファイルに眼を向ける。そちらに関心が向いてしまった遥は、ファイルを手に取り、自ら振った話題に軽く答えた。
敏郎もボードに事件の詳細を書き込むのに夢中で、その返事すら耳に入っていなかった。
「で、先程の質問には答えてくれますよね」
マジックがボードを走る音に気付き、遥はファイルを戻すと、今回の事件に興味を戻し、再度、敏郎に質問をぶつけた。
「そうですねぇ。まずぅ、疑問ですがぁ、三つの殺害現場を見ましたがぁ、内二体はぁ、時間経過が激しくてぇ、一番新しい現場での疑問になりますぅ」
「はい。で、どのような」
「突発的な犯行は別としてぇ、今回の事件はぁ、計画的な犯行にしてはぁ、犯人の行動にぃ、疑問が多すぎるんですよぉ」
遥は右手を顎に押し当て、首を傾げながら思考を働かせる。
「私は異常者としか捉えられなかったですけど」
「ですかぁ。ではぁ、遥ちゃんはぁ、仮にぃ、人を殺すとしてぇ、気を付けることは何ですかぁ」
「そんなことしません!」
過激な質問に、まじめな遥は声を荒げる。
「仮にですよぉ。仮にぃ」
遥の迫力に萎縮した敏郎は、念を押し、恐る恐る答える。
「仮にぃ、ですね! 私なら、証拠を残さない為に、指紋、髪の毛などや、足の付きやすい遺留品などに気を付けます」
「嫌うことはぁ」
「そうですね。今回の犯人のような、返り血を浴びることは避けたいですから、出来ることなら、そうならないような殺害方法を取ります」
「そこですぅ。僕が疑問を感じたのはぁ」
「どのような?」
「被害者はぁ、頸動脈を切断されてますぅ。それにしてはぁ、地面に飛散した筈のぉ、飛沫血痕が少ないんですよぉ。地面に滴り落ちる血液に違和感はなかったんですがぁ」
敏郎の口調は、普段通りではあったが、その饒舌な声とトーン、そして、眼光は異常な光を帯びていた。
「犯人は、自ら血を浴びていると言いたいんですか。いくら犯人が異常者でも、常識的にはありえないと思います」
遥は自身のその答えに矛盾があることに気付かず、不可解な敏郎の見解に、真正面から反論する。
「異常者にぃ、常識は通用しませんしぃ」
自分の矛盾にハッとして、遥は恥ずかしさを押し隠すために声を荒げる。
「だからと言って、その理由が分かりません」
「理由は分かりませんがぁ、ほぼ百パーセントォ、そうだと思いますぅ」
「根拠もないのに、なぜそこまで言えるんですか? 根拠があるんですか?」
「もちろん根拠はありますぅ。目撃者の証言がその一つでぇ、僕が目撃者に念を押して聞いたのはぁ、その確認の為ですからぁ」
「確かに、目撃者の証言からはそう言えなくもありませんが、肝試しという状況の中、過剰な恐怖心が働き、錯乱状態に陥り、そう錯覚してしまったとも考えられます」
遥は今までに得てきた、犯罪記録や犯罪心理学の知識からも逸脱する、敏郎の導き出した犯行動機に、正直、からかわれていると思った。目を見てそうでないと分かった遥は、呆れと怒りを覚える。
「それはぁ、考えられなくもありませんがぁ、四人が四人ともぉ、同じ錯覚に囚われるというほうがぁ、常識を逸し……うーん。集団パニックの恐れか……」
敏郎は、自らの推測の綻びに修正点を加え、少し考え込む。
「皆ぁ、あの女の子の証言にぃ、相槌を打ってましたからぁ、逆にぃ、あり得ますかぁ……そうですねぇ、少し僕の推測にも修正が必要ですねぇ。彼女の衣服に付着していたぁ、尋常ではない血液だけがぁ、根拠になってしまいましたがぁ、その線に関してはぁ、間違いないと思いますぅ」
それでも敏郎の目には迷いはなかった。
「仮にそうだとします。しかし、過去の凡例からは、そのような例は聞いたことがありません」
それを見て取った遥は、百歩譲り、自らの意見をぶつける。
「十人十色。これはぁ、犯罪に至っても同じですぅ。同じような犯罪に見えてもぉ、人によってぇ、その背景は異なりますぅ。データだけでは図れないのがぁ、人間ですからぁ。一時期流行ったぁ、プロファイリングによりぃ、行動予測や犯人情報の推測は出来ますがぁ、あくまで推測や仮定でありぃ、完璧ではないんですぅ。扱う者が未熟であればぁ、捜査を難航させる要因にもなりますからぁ」
「警視は未熟ではなく、推測は完璧だと言うことですか?」
「いえー、まだまだ未熟ですしぃ、完璧な推測はありません。僕の捜査の方針ですぅ。物的・状況証拠やぁ、所見で感じた事、気付いた事を整理して推測しぃ、まずはぁ、そこから調べ上げますぅ。後の捜査からぁ、別の証拠などが浮かび上がりぃ、推測が間違っていればぁ、また別の角度からぁ、洗い直しますぅ。頑固に自分の推測を押し通すようなことはぁ、しませんよぉ」
それでも、自分の持つデータという殻から抜け出せない遥は、敏郎の異質な推測に不満が募り、押し黙る。
「では、質問を変えます。警視の描く犯人像をお聞かせ下さい」
少しの沈黙が流れ、遥は平行線を行く話題を変える。
「トシでいいですよぉ。堅苦しいのは苦手なんでぇ」
「お断りします。それよりも、質問の答えをお願いします」
即答で意思表示をして、遥は答えを求めた。
「とは言いましても、情報が乏しくて、現状での判断は難しいですね。今のところ言えることは、プロファイリングの言葉を借りるとすれば、物的証拠の乏しさ、被害者の拘束、統制された犯行現場などから秩序型で、知能犯としか言えないです。まあ、大きく分けた場合の話ですけど」
遥の質問の返答をするべく、犯行現場を鮮明に思い浮かべた敏郎は、自動的にスイッチが入り、もう一つの顔を覗かせる。目を細め、妖しい眼光を漂わせながら、歯切れよく言葉を紡いだ。
遥は雰囲気の変わった敏郎を見て取ると、先程までの批判的な目から、好奇な目の色に変わる。そんな自分に対し、複雑な感情を抱くが、得体の知れない人間に対する好奇が先に立った。が、その感情を押し殺し口を開いた。
「それでは、何故、目撃者を殺されなかったんですか。知能犯なら、目撃者は殺害する筈ですが」
「はい。まあ、単純に、行為に至ったことで、トランス状態にあったのでしょう。その点は、妄想性の精神病者などによく見られる症状でしょうね。この点は、無秩序型とも言えますね。あの子達は、ラッキーでした」
にっこりと、遥に笑顔を向ける。
見透かすような敏郎の眼光に、遥は内心ドキッとし、内心を悟られないよう、思考に耽る振りをして目線を逸らす。
「それだけではないんですよね」
まだ、何かありげな敏郎の表情に気が付くと、少し間を置き落ち着いた後、遥は話を切り出した。
「鋭いですね。信じられないと思うかも知れませんが、この犯人には殺意がないんですよ」
『変人』敏郎用に、常識非常識の枠を払い、想定範囲を広げて待ち構えていた遥は、その範囲を軽々しく越えていく敏郎の回答に対し、素の顔になるほどのリアクションを取ってしまっていた。そんな自分に呆れ、バカバカしくなった遥は、自虐的な疲れた笑みを零す。
「その根拠はなんですか?」
「この犯人は、被害女性をいたぶった形跡がないですし、むしろ、縛り付けること意外は、被害女性の服装を綺麗に直すなり、扱いが丁重です。愛撫した形跡もあり、被害者に対する殺意よりも、むしろ、愛情さえ感じられます。プロの殺しは別として、怨恨や快楽殺人のような、殺害目的で行われた犯行には、現場や被害者に対し、殺意の痕跡が残るもんなんですよ。しかし、この犯行現場には、その痕跡がありません」
「でも、それでは矛盾しませんか?犯人は、頚動脈を切断していますから、それは、明らかな殺意だと思いますが?」
遥は素直な疑問を投げかける。
「犯人の目的は、血を浴びることですから、死というのは、あくまで結果なんですよ」
なおも続く、敏郎の奇抜な発言に気が滅入る遥ではあったが、半端を嫌うその性格のため、話を打ち切ることなく反論する。
「それなら違う箇所でもいいと思います。腐敗途中のもう一体の遺体も、頚動脈切断ですから、やはり殺害目的だと思います」
「同じということは、『そこ』でなければいけない理由があるのでしょう」
揺るぎない自信でそう力説した敏郎の眼を見て、さすがの遥も、納得はできなかったが、溜め息を吐きながら押し黙った。
「不満ですか?」
「いえ、私には理解し難くて……」
「ですよね。一般の人間は、『常識』という固定概念に縛られがちですからね。まして、半端に賢い人間ほど、その概念に囚われやすいですし」
嫌味ではなく、敏郎は正直にそう口にした。
「あなたは特別だと言いたいんですか」
少し癪に障った遥は、棘のある口調で切り返す。
「はい。とは言っても、不幸な意味で特別なんですけどね。僕は非常識な環境で育ってきたので、そういった概念が少ないんですよ。そのせいか、事件現場などへ行くと、他の刑事が気付かないほどの、微量な違和感が拾えるんです」
敏郎は笑顔でそう答えた。
「で、この結論に至ったわけですか」
敏郎の過去にも少し興味をそそられたが、これ以上、敏郎に興味を持っても疲れるだけだと判断した遥は、あっさりとした返答で済ました。
「そうですね。まあ、遥ちゃんの思う通り、ただの快楽殺人者の可能性もゼロではないので、僕の考え過ぎという結果に終わるかもしれないですけどね。今回の事件だけの付き合いなんで、我慢して下さい。質問や疑問があれば、遠慮なくお願いします」
言葉とは裏腹に、敏郎は自信に満ちた眼光でそう口にした。
「今後の捜査は、どのようにしますか?」
腕時計を眺め、既に夜中の三時を回るのを確認した遥が切り出した。
「まず、睡眠時間の確保。明日は、被害者の身元確認を急ぎ、それと同時に、科捜の報告を待ちましょう」
「分かりました」
遥は今まで我慢していたのか、敏郎に背を向け口元を押さえると、小さく欠伸をする。そして、ハンドバックを肩に掛け、身支度を整える。
「あのうー」
その背後から、普段の口調に戻った敏郎が、恐る恐る遥に声を掛ける。
「何でしょうか?」
「逃げないで来て下さいねぇ」
何度か経験があるのか、先ほどの自身ありげな眼光からは程遠い眼差しで、敏郎は不安そうに遥を見つめる。
「はー……逃げないですよ。それでは、失礼します」
あまりの情けない敏郎の姿に、疲れが何倍にも膨れ上がった遥は、溜め息混じりにそう言った。
「ハー、よかったぁ。それではぁ、お疲れ様でしたぁ」
安心した声で、敏郎は言った。
部屋を出た遥は、言いようのない開放感に満たされ、その場を後にした。