18 (血の抱擁)


原作者 無味無臭

                     ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

 

「やっぱり、今日はついているな……。良かったですね、お仲間を殺さずに済みそうです」

 目的地から少し離れた場所に車を止めた松田は、頼りない夕日で照らされた、薄暗くなった目的地を双眼鏡で丹念に観察する。そして、無人であることを確信すると、遥に話し掛けた。

「………………」

 松田の言葉に安堵した遥は、拘束を振り払おうともがくのを止めて、皮肉交じりに笑顔を向ける松田を睨み付けた。

「いいですねえ。その眼……」

 松田は車に乗り込み、意に介さず呟くと、車を走らせ、目的地に停車する。

「やっぱりここは静かでいいなあ」

「………………」

 流れる車窓から覗く景色から、半ば、行く先に気付いていた遥は、始まりの場所である廃屋を車内から見上げる。

「灯台もと暗しとは言い難いですが、思った通り、ここに戻ってくるとは思ってなかったようですね」

 リヤドアを開けながら、松田は遥に話し掛ける。

(おそらく人員不足でしょうね)

 可能性がゼロでない以上、配置されていてもおかしくはないと考えていた遥は、松田を睨みながら、冷静に心の中で反論する。

「その視線で刺され続けていたいですが、日も暮れ始めていますので行きましょう」

 松田はそう言うと、必要な道具を背負い、遥を抱き抱える。

 この事件に関わって以降、立て続けに、嫌っている人物から抱き抱えられる屈辱を味わう遥は、この状況で、冷静に男運の悪さを嘆く。

 自己嫌悪の先にある開き直りなのか、諦めによる自暴自棄なのか、ここへきて、遥は冷静さを取り戻していた。

「怖いですね……」

 遥が向ける怒りの籠もる鋭い眼光とは違い、抱き抱える遥から伝わる鼓動の静かさを感じとった松田は、今までの女性達とは明らかに違うことに少々戸惑う。

 愛着のある場所とあって、多少の薄暗さなど気にすることなく、他に気を取られながらでも、スムーズに足を運んでいく。

 コツンッコツンッコツンッ……

 今となっては、逃げることよりも目的を優先する松田は、念を入れ、仮に居場所が突き止められても、介入に時間を要する、最上階の四階へと向かう。そして、手際よく遥を吊すと、携帯ライトを立てて遥を照らした。

「何故そんなに冷静なんですか? 今更助けなんて当てには出来ないですよ」

「………………」

 猿轡を外されても無言で睨む遥を前に、松田は素直に質問をする。

 遥は無言でそれに答える。

「僕としては、あの時のママみたいに、暴れて欲しいんだけどなあ……」

 椅子がなく、体育座りで遥を見上げる松田の目と口調は、幼児性を漂わせていく。

「…………そんな母親が、子供を大事にするとでも」

 遥は、静かな口調でゆっくりと、言葉を浴びせる。

「それは……愛情の裏返しだよ。ママはそれが大き過ぎただけで、その分愛情も深かったんだから……。最後にそれが分かったんだ…………」

 松田は感慨を手振りで表現しながら、遥に向ける視線を抜け殻に、気持ちは過去へとタイムスリップさせていた。

「そんなものは幻想よ……。あなたの母親は、最後まで最低の母親よ!」

 そんな松田を見て、それまで冷静だった遥は、怒りよりも憐れみを強く感じる。怒声の矛先は、松田を大量殺人者へと変えた……否、礎を築き上げた母親に向いていた。

「そんなこと言っても、僕は怒らないよ。やっと元気になってくれてうれしいよ……フフフッ」

 遥の怒声で現世に戻ってきた松田は、笑顔で答えるが、その子供じみた笑顔は、過去に取り残されたままだった。

 母親を『侮辱』? され、殴り殺した女性達とは違い、遥を母親と重ねていた松田は、遥から発せられる言葉全てが、欲求を刺激するスパイスでしかなかった。

「でしょうね……」

 届くはずのないと分かっていた遥は、不自由なく動く、顔の筋肉のみで感慨深さを表現する。

「なんでまた落ち着くの。最後にしては一番質素だけど……まあいいや。もう我慢できないしさ」

 カチカチカチカチ……カチカチ…………カチ

 頬を膨らませた松田は、残念と不満を半々にふて腐れるが、自分に言い聞かせるように仕方なく納得すると、左手にカッターナイフを握り、独特のリズムで、刃先を丁寧に伸ばしていく。

「………………」

 感極まった松田は、体躯とミスマッチした、異様ともいえる無邪気な眼と笑顔で遥に近づいていく。

 恐怖が背筋を撫でるのを感じながら、遥は気圧されることなく、冷静に松田の動向を伺う。

「間一髪かなぁ」

 間の抜けた声が松田の動きを静止させる。

「………………」

 突然の出来事に、妄想から解けきれない松田は、現実へのラグで思考が錯乱し動きを止める。

 ギーギー……

「動かないで!」

 その隙を狙い、遥が抵抗しようと動いた瞬間、松田はカッターナイフを遥に向けて叫ぶ。

「相も変わらずぅ、お転婆ですねぇ……」

 口調とは裏腹に、異様な眼光で松田を牽制する敏郎は、怒りを帯びる遥の視線を浴びながら、口元だけを緩める。

「あんたも動かないでね。現状なら、強引にでも推し進めることはできるんだよ」

 半覚醒状態ともいえる松田は、異常な眼光で敏郎を牽制仕返す。

「………………」

「………………」

 異様者と異常者の睨み合いという奇妙な空間が、張り詰めた沈黙と静寂を生み出す。

 固唾を飲んでそれを見つめる遥は、微動だにできなかった。

「ナタク、手を出すなよ」

 対面側から姿を現した瞭と内藤を確認し、敏郎は視線を逸らすことなく言葉を投げ掛ける。

 瞭はゆっくりと頷くと、「助けに来た」と言わんばかりに、緊張感なく遥に手を振る内藤を制する。

 挟み込む為に、ビルを迂回して非常階段から登ってきた二人は、遅れて到着したのだった。

 その言葉に、左右を確認しやすくするために身体を横にした松田は、カッターナイフを揺らして牽制する。

「警戒しなくてもいいですよ」

 瞭への投げかけで完全にスイッチの入った敏郎は、口調が鋭くなる。

「信じるわけないじゃん」

 不快感剥き出しの眼光を敏郎に向け、松田は口を開く。

「少し話しをしませんか? いろいろ疑問もあるでしょう」

 遥が松田の間合いに居る以上、最悪の事態が考えられるため、敏郎は慎重に言葉を選びながら訴える。

「それは陽動だよね」

「いいえ、俺からもいろいろ言いたいこともあるしね。刑事としてではなく、俺個人として…………」

「………………そのようだね」

 眼光の圧がまし、気圧されそうになる松田は、負けじと敏郎を睨み付ける。そして、直感的に本心だと分かると同意した。

「まず、どうしてここが分かったか。疑問でしょう」

 松田は素直に頷いた。

「それは、あの時に、もう一台GPSを仕掛けたんですよ。正確には放り投げた、ですけどね」

「何所に?」

「さあ。遥ちゃんが持っているのは確かなんですが」

 敏郎が遥に視線を向けると、松田もそれに倣う。

「あなたがその人達を笑っている時に、外を見る振りをして拾いに行ったのよ」

 遥はそれまで只管に握り込んでいた拳を広げる。すると、敏郎の血に染まるGPSが滑り落ちた。

「腕を縛られている以上、拳を握るのは不自然ではないしょう」

 広げた手を握り直すと、遥は皮肉の籠もった笑顔を松田に向ける。

「だからじっとしていたのかあ。そうかあ、一本とられたなあ」

 松田は屈託のない笑顔で返す。

「それは違うわ! ただ……自責の念に駆られていただけ…………」

 未だに自己嫌悪から抜け出せない遥は、目を伏せる。

「思い詰めなくてもいいですよ。厳罰は免れないですし」

 敏郎は、怒りを込めて言葉を投げ掛けた。

 遥は唇を噛み締めるが、自己嫌悪によって、自ら望んでいた罰を明言され、ある意味救われる。敏郎の言葉が、自責による葛藤で揺れる心情に楔を打ち込み、冷静さを取り戻させた。

「えー、それは酷いなあ。頑張った結果なのに。誰にだって失敗はあるんだから許してあげなよ。ねえママ……」

 状況が落ち着いたせいか、松田の精神が異様な方へと傾いていく。

「もう止めません。本当は気付いてるんでしょう」

 口調を強め、更に鋭く敏郎が松田を見つめる。

「………………」

 遥は敏郎の眼を見て、今までとは違う異様さだと気付く。その眼には、憐れみや呆れといった情を含んでいた。

「なにに?」

「君の母親は、謝罪などしていない……。まして抱擁などあり得ない」

 さらに敏郎の眼力が強くなり、静かな口調で語りながら、語尾を強めた。

「今更動揺作戦? えへへへ……」

 敏郎の圧力に少し動揺しながら、松田はヘラヘラと返す。

「状況的に、ただ倒れ込んだだけですよ。もっと言えば、君が聞いたのは、謝罪ではなく悪態のはずです。君の母親は、紛れもなくクズ親ですから」

 松田の反応などお構いなしに、敏郎は続けた。

「マ……ママ……ママを侮辱するなー!」

 圧が増していく敏郎の言葉に、激情が押さえ切れなくなった松田は、殴り殺した女性達に見せた、もう一つ持つ異常性を表に出した。それでも、多少の冷静さは残っているらしく、飛びかかろうとはせず、その場で地団駄を踏んだ。

「本当に忘れているんだったら、よーーく思い出してみるといい……」

 敏郎は尚も続ける。

「君は優しく、そして弱かった……。どれだけ酷い目に遭わされても、愛情を求め、気まぐれに見せたであろう母親の優しさにすがり、そして、その欲求と、事故とはいえ、母を自ら手に掛けてしまったという罪悪感から、真実をねじ曲げたんでしょう」

 まるでその場に居たかのように、敏郎は真実味のある憶測を口にする。

「…………………………」

 催眠術師のような口調で誘導するように語る敏郎の言葉に松田は黙り込み、意思に反して過去へとトリップする。