15 (血の抱擁)


 上谷は大人な対応をする遥に、またムッとし、少し不機嫌な表情を顔に表すと、目の前のお茶を一気に飲み干そうと、湯飲みを手に取り口に含む。

「!……」

 そのまま吹き出した。

 上谷は、恥ずかしさと口の中の火傷の痛さで顔を赤く染め、言葉にならない声を上げて洗面所へ向かっていった。そして、心配そうに松田が追って行く

「…………」

 遥は、一向に進まない聴取に少し苛立ちを覚え始める。

 ガタンッ!

「大丈夫ですか、上谷さん」

 大きな物音の後、松田の心配する声が洗面所から響いてきた。

 そして、直ぐに松田がタオルを持って戻って来た。

「すみません。上谷さんは後から来ますので、少しお待ち下さい。その前に私が質問に答えます」

「はい。お願いします」

 先程とは逆の場面になり、遥としては望んだ形になったので、二つ返事で快諾した。

「…………それにしても以外でしたね」

「以外?」

 松田は遥が口を開く前に、笑顔で切り出した。

 突然言われ、遥は首を傾げる。

「はい。次に現れるのは、あの惚けた刑事さんだと思っていたのですが。まさか貴女のような素敵な刑事さんだとは……」

 遥は空気が変わったのに気付き、表には出さないが、警戒心を強める。

「どういう意味でしょうか?」

 遥は平静を装い、疑問を投げ掛ける。

「上谷さんも居ない事ですし、腹の探り合いは止めませんか。とは言っても、僕にはそんな意図はありませんが」

 遥は背中に冷や汗を垂らしながら、なお首を傾げる。

「貴女が来たときから気付いています。貴女は優秀なのでしょう。如何なる時も、表情は常に平常を保っています。が、貴女の目は正直でした。貴女の動揺や怒り、煩わしさまで……。その目が、目的が僕なのだと物語っていますよ」

 松田は、纏う空気以外は、顔色一つ変えずに言った。

 遥は、敏郎との初体面の時に言われた言葉が脳裏を霞め、煩わしさや怒り、屈辱感、そして……恐怖を思い起こす。

「洞察力に優れているんですね。それとも鎌を掛けたんでしょうか? それが判らない以上、私は優秀ではないようです」

 表情を崩さないが、敗北感の混じる口調で遥は言った。

「いえ、それは違いますよ。僕は生い立ちもあり、必要以上に人の顔色を伺う必要があっただけです。今まで出会った人達の中で、貴女ほど感情が抑えられる人は、そう多くはいませんでした。十分優秀な人ですよ」

 松田は優越感に浸ることなく、素直に遥を褒める。

「すみません。少しショックだったので、弱みを見せてしまいました。話を戻します。もう小細工は通用しないようなので、単刀直入に伺います、あなたが連続殺人犯ですよね」

 遥は綻びかけた心を繕い直すと、強い眼光で松田に質問をする。

「貴女は……、あの須藤とか言う刑事さんの部下ですか?」

「いいえ、違います。ですが、面識はあります。あなたがこの店のオーナーだけでなく、各都市で起きた、OL連続殺人の犯人だと気付いていましたよ」

 遥は正直に答えた。

「やはりそうですか。一目見て、他とは違う……そう恐怖の様なものを感じ、一瞬ですが、鳥肌が立ちました。そして、驚くことに、親近感も覚えたんですよ」

 松田は、どことなく嬉しそうに語った。

「罪悪感は無いようですね」

 その雰囲気に、柳沢廣一と同じような不快さと恐怖を感じた遥は、上谷に聞こえないよう、強く静かな口調で言った。

「私の大事なモノを侮辱されたんですよ。当然の報いです。人にはそれぞれ、触れられたくないモノを一つは持っている筈です。それを簡単に踏みにじるような輩は、殺されても当然です」

 松田は、言葉の要所に怒りを交えて答えた。

「では、母親を感じさせる女性を手に掛けた事についてはどうお考えですか?」

 遥の口調は静かだったが、表情は今までのように押さえることなく、怒りに充ち満ちていた。

「母親…………」

 遥の怒りではなく、『母親』という単語に驚いた松田は、その顔で遥を覗く。

「私の担当は、連続OL猟奇殺人事件の方です。あなたの過去も調査済みです。既にあなたの自宅周辺への捜査が進んでいる筈です」

 遥は怒りの表情のまま、松田に力強く言った。

「くくくくくっ、やはり貴女は優秀な方です。自宅の捜査が進めばいずれ判る事ですが、それよりも早くお気付きになるとは。流石です」

 右手で顔を多い、松田は少し嬉しげに語る。

「私は何もしていません。貴方の犯行動機、母親を象徴とする血を浴びる儀式的な犯行、私の上司である刑事が全て解明しました。そして、ある人物が、同一犯の犯行だと教えてくれました」

 先走った単独行動に罪悪感を感じ、遥は伏し目がちに答える。

「あの刑事以外にも、そんな人物が二人もいるのか。会ってみたいですね」

「そうですね。一人は会うことは出来ませんが、私の上司には会えますよ。ここで貴方を逮捕しますから」

 必要以上に決意を固め、遥は強気で松田を睨む。そして、奥にいる上谷が気になり、視線をそちらに向ける。

「貴女に言っておきたいことが、四つ程あります」

 なお、余裕の顔で松田は口を開く。

「何でしょう」

 特に取り乱すことも、逃げようとする素振りも見せずにその場に佇む松田を、遥はただじっと睨み付け、腰掛けたまま問い返す。

 正確には、確保を試みたい遥ではあったが、あまりの堂々とした隙の無い松田の態度に、動くタイミングを逃したのだった。

「一つは、上谷さんは既に動けなくしています。おっと、ご心配なく、意味のない殺生はしなようにしています。彼女は仲の良い同僚でしたから」

 松田は、その言葉で動こうとした遥を優しく制す。が、その口調、醸し出す雰囲気は、既に常人とは異なっていた。その雰囲気に、遥はスイッチの入った敏郎に近い異常さを感じ、背筋に冷たい汗を這わす。

「二つ目は……僕が殺すのは、ご存知の通り、母親を酷く侮辱された時だけです。その他は結果です。殺意のさの字もありません。三つ目、貴女には僕を逮捕することはできません。上司と一緒に来るべきでした。貴女は敏感な方だ、薄々気付いているはずです」

 松田は言葉が進むにつれ、段々異常さが増し、その薄ら笑いは、禍々しく歪んでいくのではなく、大人としては、異常なまでの純真さを帯びていく。

 遥は図星を指され身構える。

「それは、やってみなくては判りません」

「四つ目、貴女は今までで一番、気の強さと容姿が母さんにそっくりだ。最後に母さんが導いてくれたに違いありません」

 完全にスイッチの切り替わった松田は、遥の返しを無視して話を続け、話し終えると立ち上がる。

「児童虐待女と一緒にしないでほしいわ!」

「そんな憎まれ口を、母さんはよく口にしていましたよ。本当は僕を愛していたのにね」

 本来なら、母を侮辱された瞬間に、怒り狂い女性を殴り殺していた松田だったが、妄想し、偶像視する母親の容姿と面影を遥に強く感じていたがために、母親と遥をリンクさせ、タブーである侮辱の言葉ですら、不器用であったと妄想する母親の言葉と重ねていた。

 遥は異常な眼光で近づく松田に恐怖を感じ、一瞬竦む。が、敏郎や瞭、そして、柳沢廣一の纏う恐怖に中てられて免疫の出来ていた遥は、彼等に比べ、明らかな格下である松田の恐怖をあっさりと振り払う。

 遥は立ち上がり、掴みかかろうとする松田の右手を捻り上げ腕を取ると、そのまま翻し、床へと放り投げた。そして、透かさず松田を俯せにして腕を取ると、後ろ手に押さえ付ける。

「観念しなさい!」

「まだ早いよ……暴力は…………」

 松田は首を捻り、遥に笑顔を向けながら言った。

「大人しくしなさい。手荒な真似はしたくはありません」

「もう十分手荒ですよ」

 後ろ手に押さえられた松田は、抵抗しようと体を揺するが、背中に体重を乗せる遥に押さえられ、背中の痛みから、堪らずにそう口にする。

「そうかしら」

 遥は松田の悲痛な訴えを軽くいなして片手を離すと、懐にしまう手錠に手を伸ばす。

 松田は、遥の注意が逸れるその一瞬を見逃さなかった。

 瞬発的に体全体の筋肉に力を込め、腕の痛みを無視して体を反転させる。

 遥は床へと倒れ、関節を決めていた松田の手を離してしまった。

「形勢逆転ですね」

 遥が落とした手錠を拾い立ち上がると、お約束の如く、松田は手錠を指で回す。

 遥も直ぐに立ち上がって距離を取る。

「どうですかね。私も警察官ですから、それなりの護身術は心得ています」

 顔と口調では余裕を覗かせた遥ではあったが、内心では、拭い去れない不安で覆い尽くされていた。

「そのようですね……。あっ、上谷さん」

 格闘の末、洗面所への入り口と対面する位置にいた松田は、ごく自然に、遥の背後にある洗面所へと視線を移すと、驚いたように呟いた。

「えっ!?」

 微々たる隙すら見せられないピリ付く緊張感の中、絶妙な間で、躊躇無く視線を外した松田に驚いた遥は、つい、反射的に視線を背後に向けてしまった。が、そこには誰もいなかった。

「しまった!」

 瞬時に、釣られた事に気付いた遥ではあったが、既に遅かった。

 松田は遥に抱き付き動きを止める。

 遥は振り払おうともがくが、力では、やはり男である松田には敵わなかった。

「余所見は禁物ですよ。まあ、貴女のような優秀な方なら承知でしょうから、僕の演技が良かったのかな」

「放しなさい!」

「嫌ですよ。母さんは抱き付くことすら許してくれなかったんですから。こういう機会は滅多にありません。堪能させて頂きます」

 松田はそう言うと、暴れる遥を気に留める事なく、数十秒程動きを止める。そして、用意していた、クロロホルムを浸透させたハンカチで、遥の鼻と口を覆った。

 遥の動きは次第に鈍くなり、完全に機能を停止させた。

「ふうー。急がないとな。警察が来る前に場所を移動しないと」

 冷静な言葉を発するが、その表情は嬉しさに充ち満ちていた。

「ああ……今日中に用意して、決行は明日の夜だな……ああ……待ち遠しいな…………」

 松田は感極まり、声だけではなく、体全体を振るわせる。数分間、抑えきれない欲求に競り負けないよう、興奮で震える身体を両腕で抱きしめ、なんとか抑え込む。すると、徐々にではあるが、冷静さを取り戻していった。

 それからの行動は迅速で、十数分後には、松田と遥の姿は忽然と消えていた。