15 (血の抱擁)


原作者 無味無臭

                     ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

 ピンポーン

 柳沢の助言で、容疑者の勤務先へと向かった遥は、シャッターの閉まる店の裏へと回り、裏口のインターホンを鳴らす。

「はい。何でしょうか」

 姿を見せたのは、柳沢が指摘した犯人、松田だった。

「長谷川と言います」

 手帳を示した遥は、いきなりの容疑者の出現に動揺する。それを表に出さないよう、必死に平常心を保つ。

「どうしました。事情聴取は既に何回も受けたんですけど。まだ何か?」

 松田は顔色の変化を見せずに、遥に質問する。

 動揺を気付かれていないと安堵した遥は、松田を刺激しないよう、冷静に言葉を選び、口を開く。

「いえ、捜査に行き詰っていますので、再度、確認の為に寄らせて頂きました」

「そうですか。今は従業員二人なんですが、それでもよろしければ、どうぞ、中へお入り下さい」

 二人と聞き、一対一というリスクの高い状況を想定していた遥は、第三者がいることで、犯人の行動を抑制出来ると想定し、少し気が緩む。

「どうかしました?」

「いえ、従業員全員の証言を確認したかったので、少しがっかりしただけです」

 その緩みが、犯人への怒りを別として、父や同僚の刑事を見返したいという魔を差し込み、遥の判断能力を鈍らせた。

 遥は緒方に連絡し、応援を要請するのを止め、玄関に足を踏み入れた。

「そうですか、それではどうぞ」

(ママ……見―つけた……)

 松田は遥を招き入れ、遥を先に歩かせてその後ろを歩く。その松田の顔は、発した言葉とは裏腹に、内心で呟いた言葉に比例した、大人にしては純粋すぎる笑みを零していた。

「初めまして、上谷といいます。今日は綺麗な刑事さんがいらしたんですね」

 何度目かの刑事の訪問に、緊張感の薄れた上谷は、リラックスした口調で挨拶をした。

「初めまして、長谷川と言います。よろしくお願いします」

 そう言うと、遥は手帳を提示する。

「で、今日は何を聞きにいらしたんですか?」

「捜査が行き詰ってしまいましたので、一から洗い直しているんです」

 遥はペンとメモ帳を取り出し、真面目な顔で嘘を吐く。

「刑事さん、そこに腰掛けて下さい」

 立ち止まり、上谷と会話をしていた遥の後ろで立ち往生している松田が、少し困った口調で、遥に言葉を投げ掛ける。

「ああ、そうですね。ごめんなさい」

 遥は、突然背後から松田に声を掛けられ、意識している分、警戒心から必要以上の緊張に襲われる。隠し通せない程に体を強直させ、不自然な足取りで、ソファーに腰掛けた。

「刑事さん。そんなに慌てなくていいですよ」

 上谷は遥の目的を知る由もなく、遥を見てそう判断した。

「刑事さんは、あまりオシャレしないでしょう」

 腰掛けた遥の正面に座り、松田は笑顔で口を開いた。

「そうですね。自分を着飾るのに興味があまりないので」

 遥は、質問をする松田を観察し、警戒心に気付かれていないと判断して落ち着きを取り戻すと、話を合わせる。

「そうなんですか? もったいないですよ。スーツ姿でも絵になるのに」

「ありがとう。お世辞でも嬉しいです」

 嫉妬と羨望を孕む、上谷の驚嘆の言葉に興味のない遥は、事務的な笑顔で答えた。

「お世辞じゃないですよ。本心ですよ」

 上谷は真面目な顔で訴える。。

「僕も神谷さんと同じ意見ですけどね。そうだ、良い機会ですから、ネイルアートをして見ませんか? オシャレに興味を持つ切っ掛けになるかも知れませんし」

 遥は、真直ぐに見詰める松田の眼光に、微かな悪寒を感じた。

「ご厚意はありがたいのですが、仕事中なので、お断りします」

「そうですよね。残念です。失礼しました」

 松田は、ガッカリすることなく、笑顔で答えた。

 遥は身振りでは分からない、松田の眼の奥で揺らぐ、嫌らしい感情を敏感に感じ取る。

「珍しですね、松田さんが積極的に勧めるなんて」

 上谷は驚いた様子で松田に言った。

「つい、母のことを思い出しまして。母もオシャレをしない人だったので、そういう女性を少しでも助けたいと思い、この仕事を選んだんですよ」

「へー、そうなんですか。でも、松田さんは孤児ではないんですか? そう聞いた覚えがありますけど」

「小学校の時に離れ離れになりまして」

 松田は、少し目を伏せ、哀愁を纏う。

「すみません。余計なことを聞いてしまって……」

 上谷は、罰が悪そうに慌てて謝った。

 既に、松田に対して情報を得ていた遥は、あやふやな表現で語るしかない、松田の心情に同情を寄せかけたが、遥の持つ繊細な嗅覚が、松田の仕草に嫌悪感を抱かせる。

(ん?……芝居?……)

 遥は、傾けかける首を固めて静止させると、感ずかれないように表情を消して、二人のやり取りを眺めていた。

 遥の内情を知らない上谷は、そんな遥を横目で見て、冷たい女性だと軽蔑する。

 上谷とは別に、松田は遥の表情を見て、同情を誘おうとの狙いが功を奏さなかったことに、一瞬、不快な表情を覗かせた。

 二人の纏う負の感情に気付いた遥ではあったが、松田を刺激しないよう神経を尖らせていたことと、それを見抜かれない為に、平静を装うことに必死で、気に留める余裕がなかった。

「そうだ、お茶をお出ししますね」

 松田は伏せた目を上げると、テーブルに目線が行く。そして、正面に座る遥の目に視線を移すと、笑顔を向けた。

「お構いなく。それよりも、聴取を取らせてもらえませんか」

 遥は即答する。

「いえ、本音を言えば、彼女と僕がほしいので、ついでにお持ちします」

 松田はそう言うと、上谷に微笑む。

「そうですね。事情聴取なんて、いつ受けても緊張しますし。お願いします」

「そう言うことなので、失礼します」

「配慮が出来ず申し訳ありません。そう言うことでしたら、待たせて頂きます」

 遥の言葉を聞き、松田は笑顔で部屋の裏へと姿を消した。

「で、何を聞きたいんでしょうか?」

 松田が姿を消し、話すことが無く、静寂に包まれる室内の雰囲気に居たたまれなくなった上谷は、松田を待たずして、聴取を願い出た。

「そうですね……彼を待ちましょう。個別に聞くよりも、効率がいいので…………」

 遥は、元々松田が目的であった為、用のない上谷に対し、取り分け聞くこともなく、聴取を促されて困惑する。なんとか、言葉を見繕って誤魔化した。

「………………」

「…………今日は、お休みだそうですが、お二人は何故こちらに?」

 松田への緊張も相まって、気まずい間に耐えきれなくなった遥は、イレギュラーである彼女に世間話を振った。

「松田さんはどうかは知らないですが、私はお店が心配で……。こういう機会なので、大掃除でもしようかと思ったんです」

「お仕事が好きなんですね」

「はい。刑事さんは、危険が伴う仕事ですが、どうですか?」

 上谷は目を輝かせて答えると、今度は遥に質問をする。

「難しい質問ですね。覚悟をし、望んで就いた仕事ですが、現実は甘くはないですね。女である事の弊害も想像以上にありますし、それを差し引いても、思い描いていたものとはかけ離れています」

「後悔しているんですか?」

「いえ、それでも、やり甲斐はありますので……。ただ、事件が解決したとしても、被害者がいることなので、喜ぶべきことではないんですよ」

「そうですね。それに、一般的に、警察の仕事は犯人を捕まえることが当たり前ですからね」

 上谷は、警察官にとって、あまりにも重い一般常識をさらりと口にした。

「ハハハハッ。上谷さん、それは刑事さんに失礼ではないですか。犯人を捕まえることは、言う程簡単ではないと思いますけど」

 トレイを持って現れた松田は、お茶をテーブルに置きながら言った。

「そうですよね。現に何回も聴取に来られる訳ですし」

 遥をよく思わない上谷は、湯気の立つお茶に目を移しながら、やんわりと棘を刺す。

「返す言葉もありません」

 遥は刑事である以上、こういう皮肉や暴言には慣れており、別段気にもせずに無表情で答えた。