14 (血の抱擁)


原作者 無味無臭

                     ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

 

 ピンポーン

「すみません」

 高科は、マンションの一室のインターホンを押す。

 間を置き、高科は二回ほどそれを繰り返した。

「あのー、松田さんに用事ですか? 今は仕事でいないですよ」

 スーパーマーケットからの帰りなのか、スーツ姿の男を不審に思った隣の主婦が、膨らんだエコバック片手に、渋面を向けて高科に話しかけた。

「そうなんですか……お聞きしたいのですが、松田さんはどんな方ですか?」

「良い人ですよ。挨拶もしてくれますし。それより、あなたは?」

 答えはしたが、警戒心の強い主婦は、高科に質問し返した。

「ああ、申し送れました。警視庁捜査一課の高科と申します」

 手帳を広げ、写真を見せる。

「斉藤といいます」

 部下の男も、同様に手帳を見せる。

「えぇ?! あぁ……すみません。隣に住む林田と言います。それよりも、松田さん、事件にでも巻き込まれたんですか?」

 男二人が刑事だと分かると、サスペンス好きの林田の目が輝く。

「捜査中なので、お答えできません」

 高科が答えると、その答えでそう確信した林田の目は更に輝く。

「松田さんは良い人よ。顔を合わせば挨拶してくれますし、好青年で、何といっても良い男ですから。ウフフフフッ。昨日なんて、仕事が早く終わったらしく、ここで、それもタダでネールアートをしてくれたんですよ。一昨日なんか……」

「あのー、すみません。良い人なのは分かりました。接してみて、何か変わったところとかはなかったですか?」

 細か過ぎるどうでも良い内容を、延々と語ろうとした林田を制し、高科は質問を変える。

「そうですね……」

 話を止められ、不満顔の林田は、仕方なく考える。

「なければ結構です」

 斉藤は、そんな主婦に対する苛立ちが隠せず、ぶっきらぼうに言った。

「斉藤君!」

 そんな斉藤を、高科は強い口調で諌める。

「すみません」

 何か言いたげではあったが、斉藤は素直に頭を下げた。

 考えるのに夢中の林田は、斉藤の声が聞こえていなかったらしく、気にも留めていなかった。

「変というかはわかりませんが、夕飯のおかずなんかをよく持っていくんですけど、台所までは入れてくれないんですよね。散らかっているらしく、玄関までしか入ったことがないんです。あと、たまに、大きい音ではないんですけど、怒った声と一緒に、何かが軋むような、変な音が聞こえます」

 『大きくはない』という言葉に、高科は呆れた。聞き耳を立てていることが容易に推測できた。

 斉藤も気付いたらしく、不機嫌な顔が不愉快に変わる。

「そうですか……」

 刑事の勘で、『何かある』と踏んだ高科は、更に続ける。

「すみません、奥さん。部屋へ戻ってもらえますか」

「高科さん、令状がありません」

 斉藤は踏み込む決断をした高科に気付き、言葉を発した。二人は、事情聴取、場合によっては、任意同行を求めに訪れただけで、捜査令状を取らなかった。

「責任は私が取ります。管理人を呼んできて下さい」

「わかりました」

 斉藤は早々にその場を後にした。

「万が一の事があるかもしれません。お願いします」

 未だに目を輝かせ、その場に佇む林田に、高科は懇願する。

「どうしてもですか」

 輝いていた目を、意地の悪い目に変え、林田は不満顔で言った。

「これはドラマではありません。協力者の奥さんを、公務執行妨害で捕まえたくはないので、お願いできますか」

「そうですか。そうですよね。後は刑事さんのお仕事ですものね」

 公務執行妨害よりも、『協力者』の言葉に反応した林田は、満足気な顔になると、笑顔を高科に向けて、気分良く帰って行った。

 高科は、以前に瞭の言葉を思い出し、何とか追い払うのに成功し溜息を吐く。

 その時の瞭曰く、

「ああいった、サスペンス好きの女性方は、強く言うよりも、協力者として持ち上げた方が効果的です。サスペンスドラマというものは、主人公と自分を重ね易く、女性視点で描かれた主人公も多く存在しますので、サスペンス好きにとって、一度は経験してみたいという願望がある筈です。その枠組みに属した気になるだけでも、気持ちが良い事なんですよね」

 良い勉強にはなったが、無表情で言われたときのことを思い出し、高科は苦笑して佇む。そして、玄関ないしは、壁伝いに聞き耳を立てている林田を思い浮かべ、そのままの表情で斉藤を待った。

「こちらです。お願いします」

 高科がその表情で数分間待ち侘びると、斉藤が管理人を伴って現れた。

「高科さん、どうしました」

 高科に顔を向けた斉藤は、高科の表情を見ると、心配そうに声を掛ける。

「ああ、嫌なことを思い出して……。それよりも、管理人さんお願いします」

 プルルルルルッ

 その時、高科の携帯電話が鳴る。

 高科は、緊張感が最高潮に達しようとした時の不意な電話に、それまで抑えていた不満が滲み出し、不機嫌な表情になった。

「もしもし、須藤です。今はどの辺りにいますか?」

「容疑者の住むマンションの扉の前です」

 電話の主が上司とあって、感情を抑えて答えたが、その言葉には微かに棘が残っていた。

「お取り込み中すみません。大事な用件なので、手短に話します」

 瞭はそれに気付き謝ると、高科に返答をする余地も与えずに用件を伝える。

「今現在、トシ……鈴木警視の追っている事件の犯人と、私達の追っている事件の犯人が同一だと、状況証拠から判断しました。そして、その容疑者は、ほぼ百パーセント犯人だと思われます。物的証拠がありませんので、上には連絡していませんが、その部屋には、必ず物的証拠がある筈です。警戒を怠らぬよう、用心して捜査に当たって下さい」

 電話越しの瞭は、無表情で言った。

「本当ですか。容疑者は今留守であるらしく、ちょうど今、管理人を呼んで部屋を捜索しようとしていたところです」

 これまでの付き合いから、無表情であろう瞭の表情を安易に想像出来た高科は、瞬間的に沸き起こった大きな興奮を、その表情を思い浮かべることで急激に鎮め、少し興奮気味程度のテンションまで抑えて返答をした。

「そうですか。それなら危険は無いですね。慎重に捜査をお願いします。何かあれば、連絡もお願いします」

 瞭は用件だけ伝えると、電話を切った。

「斉藤君! どうやら重要な捜査になりそうです」

 遣り甲斐のある捜査に、再び沸き起こる緊張感と興奮を顔に滲ませ、口元を緩めた高科は、斉藤にその顔を向ける。

「どういうことですか?」

「そういうことだよ」

 管理人がいる場で話が出来ず、高科は鍵を開けた管理人を帰らせると、手袋をはめ、聞き耳を立てている林田に聞こえないように部屋に入り、扉を閉め、声を少し抑えて説明に入る。

「この容疑者は黒のようだ。須藤警視がそう連絡を入れてきた。それに、驚くことに、今世間を騒がせている、連続猟奇殺人の犯人と同一人物らしい。状況証拠だけらしいが、この部屋に、必ず物的証拠がある筈だとおっしゃった。慎重に捜査を頼むとの事だ」

 声を潜めてはいるが、それでも十分に、高科の興奮度が目に見えて感じられた。

「状況証拠だけで判断していいものなんでしょうか?」

 斉藤は疑問を口にする。

「須藤警視以外の刑事なら、その信憑性は低いが、警視の判断なら、百パーセントではないにしろ、その確率は高い。まして、あの鈴木警視の判断も絡んでいる。まず間違いないと俺は思う」

 興奮だけでなく、警視のペアーを思い出し、恐怖も滲ませる。

「昭和の怪物を追い込んだ二人ですか。それなら私にも納得できます」

 本庁の人間とあって、瞭の正の評判と、敏朗の負の評判を熟知し、そんな二人に共通する有能さも熟知する斉藤は素直に頷いた。

 二人は玄関を上がり、一番手前にあるバスとトイレを覗き、そのまま廊下を進む。

「では、斉藤君は右の部屋を、私は左の部屋を調べるよ」

 正面に見える、リビングの扉の手前にある左右の扉の前で足を止めと、高科が指示を出す。

「高科さん。こちらの部屋から、奇妙な音が聞こえます」

 扉に手を掛けたとき、斉藤は微かに聞こえる軋み音を耳にした。

「…………確かに聞こえるな」

 高科は扉に耳をあて囁くと、斉藤の目を見て頷く。それを確認した斉藤は、慎重に扉を開け、無駄な動作を省き、俊敏に部屋へと入る。その後を、同じように高科が続く。

「…………」

「…………」

 寝室の光景を見た二人の刑事は、言葉を失い、息を吸うのも忘れ凍り付く。

 そこには、手足をベッドに縛られ、骨と皮になるほど痩せこけた、必要最低限に生かされている、無残な男の姿があった。

「何なんだ……これは…………」

 斉藤は、止まっていた呼吸を再開すると同時に、何とか言葉を吐き出した。

「なんて事を……斉藤君! 救急車!」

 高科もその光景にショックを受け、力弱い声をなんとか吐き出す。しかし、数秒の間を空けて冷静さを取り戻すと、呆然とする斉藤に声を荒げ、正気を取り戻させた。

「は……はい!」

 斉藤は急いで携帯電話を取り出すと、救急車、捜査本部へと順に連絡を入れる。

 その間、高科は別の部屋を捜索する。

 高科が警戒しながら部屋に入ると、そこは書斎だった。

 美術系の書や資料が本棚に置かれ、机の上にはネイルアートのデザイン画が広げられている。そして、その横には、赤いマジックで幾つかの丸印が入れられた地図が置かれており、その丸印には廃屋の犯行現場も含まれ、その箇所にはチェックが入っていた。それとは別にチェックされた場所が数カ所あり、赤いマジックの転がる横の丸印は、インクの滲む色合いから、真新しいチェックであると推測できた。

「これは、郊外にある山林地帯? 新たな犯行現場か?! ん?」

 首を傾げ、斜め下の床に視線を向けた高科は、蛍光灯を浴びて光る、小さなモノに気が付いた。

「女性用ピアス……遺留品か!」

 手袋を着用した手でピアスを取って確認した高科は、それを元の位置に戻すと、鑑識に気を使い、押入れや机の引き出しを、丁寧に開ける。すると、幾つかの女性用のバックが出てきた。その中を丁重に確認すると、女性達の身分証が入っていた。

「警視に連絡を入れるか」

 確信を経て、高科は携帯電話を取り出す。

「高科です。警視、虐待された男が発見され、今、斉藤君に救急車と捜査本部に連絡を入れさせています。あと、証拠らしき女性用の遺留品を見つけ、新たな犯行現場と思われる地図も発見しました」

 興奮した高科は、逸る気持ちが先行したのか、早口で瞭に報告する。

「そうですか。分かりました。高科さんは地図の場所に向かって下さい。捜査本部に残る者数人を直ちに向かわせ合流させます。斉藤さんは、その現場の指揮を執らせて下さい。被疑者の仕事場にも数人を派遣します。それでは、私の仕事はこれで終わりです。犯人逮捕は、他の捜査本部との競争になりますが、がんばって下さい。後は高科さんと斉藤さんにお願いします。それでは、お先に失礼します」

 瞭は一方的にそう告げ、高科に手柄を譲ると電話を切った。

「ちょっと、警視!」

「連絡は終わりましたか? ……どうしました?」

 一方的に電話を切った瞭に対し、高科が戸惑っていると、連絡を終えて戻ってきた斉藤が心配そうに尋ねる。

「警視が俺達に手柄を譲るそうだ。といっても、他の捜査本部との競争だけどな」

「そうなんですか。それでもやり甲斐があります。やったじゃないですか。キャリアが手柄を譲るなんて、聞いたこと無いですよ」

 目を輝かせ、斉藤は喜んだ。

「あの人は出世に興味が無いんだよ。ハー、それにしても困った」

「どうして困るんですか?」

「俺は警視が暴走しない為の監視役なんだよ。俺だけが手柄をもらうと、警視の監視を怠り、捜査を優先させたことになり、命令違反になり兼ねん……。そして、警視が事件を解決に導いた場合、手柄を放棄しないようにすることも、任務に織り込まれているんだ」

 複雑な表情で高科は語る。

「監視は分かりました。でも、手柄については問題ないのでは?」

 イマイチ理解できない斉藤は、質問を投げ掛ける。

「あの人の欠点は、何回も言うが、出世欲がないことなんだ。譲った手柄は数知れず、その欲さえあれば、今よりも高い地位にいてもおかしくない人だからな。人当たりが良く、且つ、優秀なあの人を、雲の上にいる人は出世させたいんだよ。いくら優秀な人材でも、手柄を上げなければ、上層部の人間は認めたくても認められない」

「違った意味で、問題児なんですね」

 斉藤は驚いた様子で頷いた。

「まあ、仕方ないか。それよりも、犯人の行方のほうが大事だ。もう少し、この部屋を調べて足どりを探そう」

 しゃべることをしゃべり、落ち着いた高科は、冷静な判断を下した。

 少し時間を置いて、救急車両のサイレンと、パトカーのサイレンが重なり合い、現場へと到着した。

 雪崩れ込む人の群れに対処しながら、高科は鑑識の作業で待機する刑事に大まかな説明をし、指示は斉藤に任せる。そして、その場を離れ、廊下を早足で歩きながら、忘れていた、雲の上の人間への報告を入れる為、携帯電話を取り出した。

「高科です。犯人が判明しました。今、行方を追っています。須藤警視は、いつものように、犯人が判明した時点で事件を放棄し、行方をくらましてしまいました」

「そうか。いつも苦労を掛けて申し訳ない。後は、私が須藤君に連絡を取る。君は捜査に専念してくれ」

「分かりました。お役に立てなくて申し訳ありません」

 高科は長谷川警視長にそう言うと、電話を切った。

 課せられた任務に区切りをつけ、高科は溜息を吐いて気持ちを切り替えると、足を止める。そして、喧騒に沸く現場に目を向けて、下がっていたテンションを上げた。

 高科は気持ちを奮い立たせ、次なる現場へと向かう為、喧騒を横切り、マンションの階段を駆け下りて行った。