原作者 無味無臭
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
「もしもし、遥さんはいますか?」
「犯人の目星が付きそうなのでぇ、捜査本部にぃ、帰りましたぁ」
「ええっ! そうですか……。それではまた掛けます」
内藤は、ショックを受けて電話を切ろうとした。
「冗談ですよね」
敏朗は怒りを込め、静かな口調で内藤に迫る。
「は……はい!」
ボコッ!
「イテッ!」
敏朗の口調に内藤は恐怖する。動揺で噛んでしまったが、強く返事をした。そして、空気を読み違え、調子に乗った自分を戒めるため、自らの頬を拳骨で殴った。
「……内藤君ー、その反省癖は治してくれないかなぁ。こちらが罪悪感を感じちゃうからさぁ」
敏朗は、電話越しに聞こえる音で内藤の行為を認識し、呆れ果てて熱を失うと、口調を戻し、だらしなく訴えた。
「それは駄目です。『自分が悪いと思った時は、自分で罰を与えなさい。そうすれば、相手により強く伝わります』というのが、両親の教えなので」
内藤は真面目に答えた。
「…………分かりましたぁ。もう言いません……」
注意する度、毎度返ってくる誤った親の教えに呆れつつ、それでも注意してしまう自分にも呆れ、敏朗は内藤同様に、いつもと同じ返答を繰り返す。
「では、単刀直入に報告します。鈴木さんの推測通り、該当する事件が東京でありました」
「そうですかぁ……」
敏郎は静かに相槌を打つ。
「はい。概容は、十六年前、当時三十歳の母親が、六歳になる息子を虐待し、抵抗した息子の不可抗力によって死亡したという事故です」
そして、内藤は、事の詳細を棒読みで語りはじめる。
仕事の帰りが遅くなった母親が帰宅すると、息子が出迎えたが、母親は息子が寝巻きに着替えていないことに激昂した。そして、息子を部屋に押し込めて、カッターナイフを手に取り、息子の服を切り刻んだ。それでも気が治まらない母親は、馬乗りになって息子を殴打する。必死に両手で防ぎ、我慢していた息子だったが、いつまでたっても降り止まない母親の拳に耐え切れなくなった。逃げようと、体を捻り、手を伸ばした。ところが、母親が傍らに置いたカッターナイフに、偶然にも左手が触れてしまった。藁をも掴むというような防衛本能が無意識の内に働き、それが何なのかも解らずに、息子はそれを手に握る。逃がすまいとする母親は、体を捻る息子を、強引に、そして、力の限り勢いよく引き戻した。それが災いした。勢いよく戻された息子は、手に持っていたカッターナイフごと戻され、その勢いで、母親の首筋をカッターナイフで払ってしまっていた。母親に乗られていた息子は、母親から溢れ出る血液を面一杯浴び続け、泣きながら、母親に対する謝罪を口にしているところを、異変を感じた隣人に発見された。そして、服を切り刻まれ、裸の息子の体に残る、治りかけの傷や火傷の痕、アザなどから、日常的に虐待されていたことが判明した。
「以上ですか?」
電話をスピーカーにしていた敏朗の配慮で、内容を聞いていた瞭は、引っ掛かりを覚えて内藤に尋ねる。
敏朗も引っ掛かりを感じたが、瞭に先手を取られ、出しかけた声を抑えると、頷く。
「いらしてたんですか、須藤警視」
「ちょっと暇になったんで、ここに顔を出してたんですよ。それよりも、どうなんですか?」
「えー、お偉いさんに暇なんかあるんですか。市民に聞かれたら怒られますよ。まあ、僕はいいですけどねえ」
棘のない、客観的な疑問を瞭に投げかけ、独り言のように一人で納得すると、内藤は話を続ける。
「僕が捜査することは越権行為なんですが、遥さんと話す為に、当時の隊員の方を探し当て、聴取してきました。隊員の方は、異常な光景であったらしく、その時のことを今でもハッキリと覚えているそうです。僕の努力は報われなかったですけど……」
内藤は、自身の恨み節を交えながら、力ない声で報告する。そして、報われなかった努力の内容の続きへと戻る。
駆けつけた隊員の方は、タオルで拭かれ、露になった少年の体全身に残る火傷、傷跡やアザを見て、酷い虐待を受け続けていたと直感した。鮮明に事件を覚えていた要因は、虐待された側の少年が、返り血を浴びていることから、『報復』と勘違いしてしまったことや、まだ駆け出しで、一番初めに体験したインパクトのある現場であったことだと証言した。
内藤はしゃべり疲れ、少し間を空ける。
「それだけぇー」
今度は敏朗が瞭の先手を取り、不満げに言った。
「ここからですよ。せっかちだなあ」
と、不満を漏らしながら内藤は続ける。
少年は、救急車の中で、ひたすらに、故意ではないと、既に息のない母親に謝罪しているのを傍らで見ていた隊員は、虐待を受けて尚、母親を慕う少年に心が痛んだと証言しました。そして、話を聞く隊員に、少年はこうも言っていたとのこと。
『ママは、僕に『ゴメンね』って……僕が悪いのに……ママは僕に暴力を振るうけど、それは僕がいつもいけないのに……最後にママは『ゴメンね』って言って、抱き締めてくれたんだ。本当は少し疑ってたけど……やっぱりママは、僕のことが大切なんだよ……暖かかった……おじさん……ママを助けて……また暖かいの……してほしいから…………』
隊員はその言葉を聞き、母親が既に事切れている事実を告げられなかったと、悲痛な面持ちで、当時を振り返っていました。
「唯一判明していなかった原因が判明したことで、この事件の真相は全て解明されたな。引き換えに、重大な間違いが一つ判明したけどな」
敏朗は異様な光を眼に宿すと、自嘲気味の笑顔を瞭に向ける。
「お互いにな……」
瞭の眼にも怪しい光が混ざり込み、無表情になると、重みのある静かな口調で答えた。
「間違いですか……」
内藤は、その雰囲気を電話越しに感じ取り、慎重な口調で問い掛けた。
「ああ、こちらの話ですよぉ。気にしないで下さいー。貴重な情報をありがとう御座いましたぁ」
内藤の声で、敏朗は口調だけは通常モードに戻すと、内藤を労う。
「どういたしまして。お礼として、遥さんとまた話をさせて下さいね」
その声を聞き、リラックスした内藤は、軽い言葉で答えた。
「機会があればぁ、連絡しますぅ」
「絶対ですよ! 約束しましたからね! では、失礼します」
内藤はテンションを上げ、気分を良くして電話を切った。
「いいのか。長谷川警部補は嫌がってなかったのか」
瞭は遥の人となりに触れ、迷惑がる遥の姿が脳裏に浮かび、敏朗に訊ねた。
「そうだけど、仕方ないって。それだけの仕事を彼はしたからな。でも、『機会があれば』と付け加えたし」
敏朗は、口調を切り替え返答をする。
「悪い男だな。その機会なんて、もうないだろう。長谷川警部補は、もうお前の助手になるつもりは毛頭ないだろうし、お前も望まないだろうからな」
瞭は、敏郎の内藤に対する哀れな対応に呆れ果て、掌で踊らされていることにも気付かず、気分良く電話を切った内藤に同情した。
「仕方ないな、こればっかりは。俺の力ではどうにもならん。そんなことは後でいいから、話を戻さないか」
敏朗は開き直った後、脱線して進まない話に戻そうとする。
「そうだな……」
二人は仕切り直すため、少し間を空ける。そして、瞭が口を開く。
「先生は気付いていたな」
「ああ、だろうな。おかしいとは思ったんだ。先生は、意味もなくああいったアドバイスはしない」
「同感だ。そのことが引っ掛かってならなかった」
「『人は完璧ではない』……『故に完全を求める』か。こいつの場合、それは程遠いし、求めてもいないな。『故に、間違いを犯す』の方が適確だ。フフフフフッ」
敏朗は、思い耽りながら呟き、自嘲する。
「間違いを認められず、否、気付かず、あの妄想男は、ターゲットである女性に怒りの矛先を向けた」
「母親を貶めるような女性達の一面を目の当たりにし、母親を冒涜されたのだと妄想したわけだ。怒りを覚えるのは必然だな。限りなく純度の高い怒りを爆発させた結果が、無残な被害者の姿……というわけか」
「本質を見抜けない無能さに加え、欲求に競り負け、不十分な観察しか出来なかった、精神の脆弱さを棚に上げての逆ギレ的犯行だ。最低でも、観察さえ怠らなければ、被害者の数はもっと少なかった筈だ」
「だよな。でも、こいつは欲求と戦う気はないから、被害者の数は必然だ」
「だな。今にして思えば、後半の犯行がエスカレートしていった背景として、冒涜に対しての制裁と見て取れる。制裁という大義名分を得た怒りは、何倍にも膨れ上がり、必要以上の暴行を加える要因になった。そして、携帯する、ないしは、あらかじめ用意していた、儀式に使うカッターナイフを利き手に握り、明確な殺意を持って、虫の息となった被害者の首筋を薙ぎ払った……」
「間違いないだろうな。お前が担当した事件の結論が……それだ」
瞭と敏朗は、敏朗の追った事件の真相から、瞭の追う事件の真相を結論付けた。
「皮肉だな。いつか偉そうに語った固定概念……囚われていたのは俺達だったんだからな」
敏朗は、未だ自嘲した表情を崩さずに笑っていた。
「俺達もまだまだ甘いな。犯人が利き腕だけで犯行に及ぶとは限らない。この程度の動作は、多少の訓練さえ行えば、違和感無く意図的にスイッチできる。今回の犯人のように、利き手でない手を使わなければいけない場合もある」
「犯人の異常性に囚われ、そんな簡単なことに気が回らなかった」
「自分の欲求に流され、そして視野を狭める。正に今の俺達自身だな」
「異常犯罪者に触れ、自らの欲求を重ね、狂気を静める……。それが全てではないが、俺達が刑事になった動機の一つなんだから、仕方ないだろう。その失敗を次に繋がなげればいい。『人は完璧ではない』先生の言葉だ」
「俺達は、『故に完全を目指す』か」
「先生が見た頂も、きっとそれだろう」
「俺達が目指す頂は、先生とは違う。人を殺めずに……だ」
自分に言い聞かせるように、瞭は強く言った。
「ナタクとは違い、俺が復讐したい相手は、どこかで生きている。あえて探さないようにはしているが、もし、偶然にも見つけてしまった場合、我慢することが出来るか……だけどな」
「逆だよ。復讐が出来なかったからこそ、復讐心だけが強く残されてしまった。その解消されることのないフラストレーションが、今の俺を縛っている。たわいの無い怒りであっても、他人にその感情を覚えただけで、捌け口として、その復讐心をぶつけてしまいそうになる時がある。夏姉との約束という、強いリミッターがあるお前とは違い過ぎる」
「だよな。いつでも出来ると思えば楽なこともある。でも、俺達は大丈夫だろう。お互いを理解できる存在がいる。親友であると同時に、監視しあう存在でもある。それに、お前は人間不信ではあるが、悲観はしていない」
「確かに。トシは違うのか?」
「俺は関心があまりない。近しい人間以外、モノ言う障害物との認識かな。少し言い過ぎだけど、それに近い」
負の感情を払った、屈託のない笑顔で敏朗は答えた。
「そうだな……。というか、かなり、本筋から脱線した話になったな。いつもの事ながら、笑えるな」
合わせ鏡のように、瞭も純粋な笑顔を敏郎に向ける。
シリアスな内容が薄れ始め、敏朗と瞭の笑顔が、その重苦しい雰囲気を吹き飛ばした。
「そんなことより、高科さんに連絡を入れないといけないな。犯人と出くわしたら大変だ」
「最悪、不意打ちを食らい、あの世行きだ。いい人だったのになあ」
敏朗は冗談っぽく合唱した。
「勝手に殉職させるな! それに、高科さんはああ見えて優秀な人だから、柔軟に対処するよ」
呆れた様子で瞭は窘める。
「冗談だよ。あの人は、お前の為に、親父が密かに配置した人だ。それくらい分かってるよ。まじめだなあ」
敏朗は笑顔でそれに答える。
瞭も笑顔で答え、携帯電話を取り出した。
瞭が携帯電話を耳に当てると、敏朗は声を潜め、部屋は静寂に包まれる。
「ああ! そうだ、俺は太田管理官に連絡しよう。その後は、緒方さんに遥ちゃんのことを伝えないとな」
敏朗は、瞭同様に携帯電話を取り出し、ソファーに身を委ねた。
二人は素の顔を隠すため、見えない仮面を被り、それぞれが扱う、同一犯である事件の顛末を淡々と伝えた。