12 (血の抱擁)


「須藤警視すみません」

 瞭が話を終えたと同時に、遥は瞭を制する。そして、敏郎に食って掛かった。

「本当にそれでいいですか?」

 冷静な目の奥に怒りを灯し、敏郎に詰め寄る。

「僕の課は、功績などとは無縁の課です。犯人の特定まで進めば、危険を伴う犯人逮捕までを行う必要はありません。功績を欲する人間に、リスクを負わせるのが当然です」

 敏郎は、はっきりと言い切った。

「否定はしません。しかし、納得は出来ません。事件に関わった以上、直に結末を見届けるべきだと思います!」

 強い意志が宿る眼光に見つめられ、敏郎は苦々しい表情になる。

「安心して下さい。前にも言いましたが、犯人が確定すれば、捜査本部に戻す予定ですので」

 目を逸らして、敏郎は遥に言い聞かせた。

「それにしては、表情が優れていないようですが」

「苦手なのですよ。先程あなたが見せた、真直ぐな眼が。正義感の塊であった、夏樹を彷彿とさせます」

 資料を読みながら、柳沢が口を開いた。

「…………」

 その答えに、遥は発する言葉が浮かばなかった。

「また先生は余計なことを……。それよりも、今回のそれぞれの事件はどうです」

 敏郎は子供のように膨れたあと、話をすり替えた。

「二人の見解に間違いはないでしょう。一つ敏郎に聞いてみたい質問が生まれはしましたけどね」

「何ですか?」

 敏郎がその返事を問い質す。

「あなたが抱く、この犯人に対しての想いです」

 瞬間、敏郎の周りの空気が凍り付く。

 アイコレクターの時のような、怒りで煮えたぎる殺意とは違い、下等な人間を見るような、冷やかという言葉では遠く及ばないほどの、凍て付くような殺意だった。

 柳沢が読み終え、敏郎が持参した資料を読んでいた瞭は、ハッとして敏郎に顔を向けた。

「哀れですね……」

 静かではあったが、その語尾には力が宿っていた。

「そうですか……」

 笑顔でそう答えた柳沢は、しみじみと頷いた。

 遥には中身のまるで見えない内容の会話ではあったが、この事件に対し、好奇心しか表に出さなかった敏郎が、犯人に対して悲痛さを感じていることに驚きを覚える。

 極度の人間不信者である敏郎は、日常において、人に対する思いやりはもちろん、対人関係に最低限必要な感情すら、滅多に表に出さない。好奇心を満たす事件に対しても仮面を被り、演技することによって、ガードを築き、最低限必要な感情を表に出す。他人を思いやる気持ちを素直に表現するなど、更に珍しかった。

 柳沢が知る、敏郎の過去に関わる質問がパスワードとなり、敏郎のセキュリティをカットして、深層の思いを炙り出したのだと、遥は推測した。

「で、納得して頂けましたか」

 敏郎は、表情を戻すと柳沢に言った。

「残念ながら、もう、あなたをこちら側には、引き込めないようですね」

 冗談っぽく柳沢は答えたが、遥にはそうは聞こえず、背筋に悪寒を感じた。

「瞭なら隙だらけですよ」

 敏郎も冗談で返す。

「先生があいつを殺さなければ、今頃はそちらの住人ですけどね」

 瞭だけは、まじめな顔で返答をした。

 遥は今までの三人を傍観することで、表情は違えども、全員が冗談に聞こえていなかったので、瞭の発言以外は後を引かなかった。

「…………」

「長谷川警部補、今の聞いてました」

 沈黙していた遥に気付き、瞭は情けない顔で言った。

「はい……」

「ハーー……死にたい……」

 落ち込み、瞭は口癖を吐き出した。

「安心して下さい。忘れるようにしますので」

 あまりの落ち込みように、見兼ねた遥は気を遣う。そもそも人に話せる内容ではないので、忘れる意味もないのだと内心で思いつつ……

「お願いします。あまり過去を知られたくないので」

 ほっとした顔で、瞭は肩を撫で下ろした。

「気にし過ぎだ。それに、今の発言で、お前が過去のことだと教えたようなもんだしな。仮に、それが分かったとしても、過去の内容まで分かるわけがないだろう」

 敏郎が呆れる。

「でも、万が一……」

「あるか! このネガティブ野郎!」

 敏郎は、瞭の尻を蹴り上げた。

「イテー! 怖い女を思い出させるなよ!」

 瞭はお尻を押さえて、昔によくお尻を蹴り上げてきた幼馴染を思い出し、敏郎を睨んだ。

 童心に返る二人を見て、遥は苦笑いを浮かべる。

 あるときは犯罪者を彷彿とさせ、今は子供のようにはしゃぐ。目まぐるしく変化する二人の姿に、遥の頭はおかしくなりかけていた。

「申し訳ないですね、遥君。あの子達は、成長しきれていないのです。幼年期から特別な眼で見られてきた二人は、友達もなく、子供らしく遊ぶ経験がなかったのです。同じ目線で、気兼ねなく付き合える友を見つけられた二人は、失われた時間を埋めようとしているのだと思います。私には、そのようにしか見えません。二人にその自覚はないのでしょうけどね」

 柳沢は、困惑する遥に、優しく話し掛けた。

「しかし、それはそれで問題ではないんでしょうか。第三者が見れば、異常ですし、場所も場所ですし」

 同情心を交えながら、引き攣った顔で、遥は柳沢に言った。

「彼らは極度の人間不信者です。今は、昔とは違い、他の人間の気持ちなど気にしてはいません。それに、男というのは、いつまでた
っても子供なのですよ。度が過ぎてはいますけどね」

 笑いながら、柳沢は言った。

 ラッラッラッララ♪ ラララッラッララ♪

「覚えてろよ」

 最後に捨て台詞を吐き、瞭は鳴り響く携帯電話を取り出した。

 その着信音を聞いた遥は、曲違いではあったが、敏郎の着信音と同じアニメソングだと気付き、呆れ笑いが溢れ出ていた。

「はい、須藤です……ああ、高科さん」

 普段のだらしない仮面を被り、瞭は電話の相手に返事をする。

「分かりました。本部に連絡を入れて、現場に向かって下さい」

 高科の報告を聞くと、瞭の眼は異常な光を帯び、小さく笑う。

 敏郎に顔を向け、瞭は更に言葉を続ける。

「トシ! 決まりだ。目星を付けた男は、身元を偽っていた。今から、その男に事情聴取を行うよう手配した」

「行かなくていいのか?」

「ああ。後は高科さんがうまくやるだろう」

 敏郎の言葉に即答し、瞭は柳沢に顔を向ける。

「おめでとう」

 その視線を受け、柳沢は笑顔で返す。

「それだけの証拠だけでは、不十分ではないんですか?」

 未だに敏郎の導き出した見解にも半信半疑な遥は、敏郎と同様に、短絡的な判断を下す瞭の言葉に反論する。

 そんな遥を横目に、敏郎は柳沢が読み終えた瞭の資料を手に取ると、週刊誌を心待ちにしていた少年のように読み始めた。

「見当違いであれば、やり直しますよ」

 瞭は、遥との間に入るよう敏郎に目を向け要求したが、あからさまにそっぽを向かれ、面倒臭そうに答えた。

「それはさて置き、最後にお祝いの言葉として、アドバイスをさせて頂きます」

 柳沢の言葉に、一同がそちらに顔を向けた。

「何ですか? 先生」

 資料を読む手を止めて、敏郎が答える。

「人は完璧ではありません。故に、完全を求めるのだと思います。私は完全を求め、それが出来ると思っていましたが、今ここにいます。求めるものに執着し、それによって視野を狭め、重要なものを見逃してしまうことが数多く存在します」

 教師の顔で、柳沢は言った。

「耳が痛いです」

 瞭は思い当たる節が良くあるのか、苦笑して答えた。

「耳にタコだけどね」

 敏郎が瞭と同じ表情で続く。

「あなた達は、一途過ぎて同じ過ちを繰り返しますから」

 柳沢は表情を和らげて言った。

「肝に銘じます」

「右に同じ」

 瞭が答え、敏郎が答える。

「だと良いのですが……」

 柳沢が答える。

 敏郎は、読み途中の資料に目を移し、その間、瞭、遥、柳沢は会話で間を繋ぐ。

「それでは先生、高みの見物を極め込んできます。全てが終わったら、また報告に来ますので、待っていて下さい」

 敏郎は資料に目を通し終えると、口を開いた。

「それでは先生、期待して待っていて下さい」

 瞭が頭を下げる。

「貴重な体験をさせて頂き、ありがとうございました……。さようなら」

 遥は無駄なことは言わずに、感想だけを口にする。礼儀正しくお辞儀をして別れの挨拶をした。

 そして、敏朗と瞭の後に続き歩き出す。

「ああ、遥君」

 遥が数歩ほど進むと、思い付いたように、柳沢は遥を呼び止めた。

 敏朗と瞭は遥に顔を向け、軽く頷くと、遥を柳沢の元へと向かわせた。

 遥は柳沢の元へと駆け寄り、数回会話を交わした後、二人の元へ戻ってきた。

 ちょうど、アイコレクターの独房の位置で止まっていた二人は、意識して独房を見ないように立っていたが、アイコレクターは口を押さえ、必死に息を殺し、壁に頭を向けて、体を大げさに震わせながら、部屋の隅で丸まっていた。

「行きましょうか」

 敏朗と瞭は、会話の内容を気にも留めず、尋ねることもなく笑顔で言った。

 三人は足音だけが響く、ある意味、日本でもっとも汚染された建物を後にした。

 

 建物から出ると、遥は大自然の空気を吸い込むように、大きく深呼吸をし、体内に残った毒素を吐き出した。普段何も感じない空気が、すばらしく新鮮なものに感じられた。

 遥を尻目に、男二人は何事もなかったかのように会話を始める。

「これから、どうする」

「俺はお前の資料をじっくりと読ましてもらうよ」

「考えることは同じか。後は待つのみだな」

 瞭が敏朗に尋ねると、敏朗は答える。

「遥ちゃんはどうしますかぁ?このままぁ、捜査本部に戻ってもらってもぉ、結構ですよぉ」

 遥に対しては、普段通りの口調で話し掛ける。

「そうですね。寄る所がありますので、その後、捜査本部に戻ります」

 遥はいつもの淡泊な口調とは違い、思い詰めた表情でそう答えると、車に乗り込み、敏郎を置いて去って行った。

「ああぁ……」

 置いてきぼりをくった敏朗は、情けない声を上げる。

「俺の車に乗って行け」

 笑顔を向けて、瞭が敏朗の肩を叩く。

「えーー……。背に腹は変えられないとはこのことか……」

 落ち込んだ顔で、敏朗は叩かれた肩を落とす。

 遥が去ることで、瞭と二人になった敏朗は、気兼ねなく、流暢な口調にまた変わる。

「失礼だなー。違反者や犯罪者の追跡は別として、法廷速度を守ることが、法を取り締まる、警察官たる俺たちの勤めだろう」

 いつもの事ながら、呆れるほど忠実に、切り替えの早い敏朗の態度に可笑しさを感じ、自分のことを棚に置く瞭は、笑顔で諭す。

「そんなもんキッチリ守ってたら、交通渋滞は起こるし、帰りが遅れるし、良いことなしだろ」

 いつもの事ながら、交通規則にだけは潔癖な瞭に苛立ちと可笑しさを感じ、敏朗は笑顔で言い放つ。

「飲んだら乗るな! 飲むなら乗るな! 良い言葉だ……」

「今の話に酒は関係ないだろう」

「最近ハマっている言葉だ。ただ言ってみただけ」

 おちょくる様な口調で話を逸らされ、イラっときた敏朗は、瞭の尻を無言で蹴り上げた。

「だからー、それだけはやめろー! ハーー死にたい……」

 しょんぼりとする瞭は、そのまま車に乗り込み、仕方なく助手席に座った敏朗は、外を眺める。

 ブーーン!

「な……なんだ……」

 敏朗は、急発進した車によって前のめりになり、勢いよく背もたれとヘッドレストに体と頭を打ちつけ、慌てふためく。

「さっきのお返しだ」

 瞭はそう言うと、子供の目で口元を緩めた。

 急発進はしたものの、瞭は法廷速度は守り、渋滞を生み出しながら、ゆっくりと車を走らせた。

「ハハハハッ」

「ハハハハッ」

 顔を見合わせた二人は、何が可笑しいのか、中学生のような幼い乗りで、同時に大きな声で笑う。

 後方から鳴り響くクラクジョンを無視し、二人の笑い声が車内に響き渡った。