12 (血の抱擁)


「先生。差入れです。ナタクが来るまで、これを読んでいて下さい。今回のは……まあ見て下さい」

 そう言うと、敏郎は手に持っていた、A4サイズの茶封筒を独房の隅にある受け渡し口に入れる。

「ありがとう」

 柳沢は、独房の隅にある受け渡し口から封筒を取り出し、中から書類を出した。

「警視!」

 その書類が今回の事件の調書だと分かり、遥が敏郎に怒鳴る。

「問題はありません。先生にとっては良い暇つぶしになるんです。脱獄への抑制にもなります」

「この警備体制で脱獄は無理です。言い訳するにしても、もう少し言い様を考えたほうが良いんじゃないですか」

 遥は冷やかに敏郎を攻める。

「理由を挙げれば多々ありますが、監視も甘いですし、警備にしても少な過ぎです。穴だらけですよ。僕でも半日あれば十分可能です」

 自信に満ちた顔で、敏郎は遥を見つめる。

「例えばどのように」

 威圧感で少し圧された遥は、力なく問う。

「簡単に言えば鍵を開けて外に出ます」

 敏郎は少し冗談っぽく答えるが、それでもその眼には揺るぎない自信が漲っていた。

「IDを必要とするセキュリティーシステムをですか?」

 扉横の壁に付けられた設備を見て、遥は問う。

 この館の独房には、厳重なセキュリティーが備わっている。

 あまりに大げさな設備に、この独房で過去に起きた事件を知らない遥は呆れ果てた。

 過去、看守を懐柔した死刑囚により、脱獄未遂事件が起こった。

 その、精神科医の権威とまで謳われた死刑囚は、配給や見回りをする看守達を、数ヶ月間に渡って観察し続けた……。それは、看守達が毎日行う単調な作業を手始めに、それに伴う動作や表情から、癖や独り言、髪型や体型などの微かな変化にまで及んだ。そして、ある日を境に、看守達へと囁き始める。

 規則に従い無視し続ける看守達は、的確に、看守自身の身体的精神的情報を投げ掛けられるうち、好奇心が擽られ始める。そして、看守の一人が陥落する。

 微々たる会話を交わすようになると、日を追うごとに会話が増えていく。それから何週間が過ぎ、少しずつ看守の意識から罪悪感が薄れていき、最後には消えていった。

 更に数ヶ月が経ち、いつしか患者と精神科医という関係へと変化し、好奇心から信頼、そして尊敬へと心理が流動していく。

 死刑囚の心理操作によって、看守は次第に自我を奪われていった。最終的には死刑囚の人形と化して独房の鍵を開ける事となる。

 看守の鍵を奪い取った死刑囚は、通路全ての囚人の鍵を開け混乱を巻き起こし、その隙をついて脱獄を図るが、上層部の許可により、極秘裏に射殺された。この醜態は闇に葬られ、死刑囚の死は、書類上、正式な死刑執行と記された。

 その教訓として、厳重なセキュリティーが整備されることとなった。

「ここでは言えませんが、手はあります。先生も、幾つかの方法を思いついている筈です」

 過去の醜態を知る数少ない人間の敏郎は、揺るぎない自信で遥に答えた。

 遥は、資料に夢中になっている柳沢に疑惑の目を向ける。

「私をからかっているのですよ。気にしないで下さい」

 資料から眼を離さずに柳沢は答える。

 その答えに、遥は敏郎を睨む。

「囚人より僕を疑うんですか」

 冗談っぽく不満げに答える敏郎の顔は、子供のような笑顔だった。楽しむ敏郎の顔に、遥は苛立ちを覚える。

 カシャーンッ

 二人は音のするほうへと顔を向ける。視線の先には、欠伸をしながら歩く瞭がいた。

 二人の時とは違い、声を上げる囚人は一人もいなかった。

「この場所で欠伸が出来るなんて、凄くて怖いですね」

 その光景を見て、遥は呟いた。

「この場所では、遥ちゃんが異常なんですけどね」

 敏郎は笑いながら遥に言うと、近づいて来る瞭に手を上げて挨拶をする。瞭も手を上げそれに答えると、遥には会釈をした。

「まま……また……悪魔が来た…………」

 先程の囚人が瞭を確認すると、独房の隅から悲鳴にも近い声を上げる。

「黙れ……」

 瞭はその声で立ち止まると、無表情で囚人を睨み、先程の敏郎同様、殺意を言葉に籠めて静かに言い放った。

「ひいぃ…………」

 囚人は、二回目の失禁をすると、先のない壁にへばり付き、錯乱し、動くはずのない壁を必死に押して逃げようとする。

「瞭、止めなさい。まったく……」

 資料を読み終えた柳沢は、顔を上げ、もう一人の教え子を諭す。

「しかし……先生……あいつは許せません」

 瞭は柳沢に反論しつつ、囚人をまた睨む。

「二人とも聞きなさい。その男を幾ら虐めても、夏輝は生き返りません」

 その名前が出たとたん、敏郎と瞭の全身に殺気が漲る。

 敏郎と瞭に挟まれた遥は言葉を失った。

「そんなに殺したいのなら、殺しなさい」

 二人の殺気を感じても、涼しい顔をしている柳沢は、その表情でサラリと言った。

「出来れば苦労しません……。それに、夏姉との約束は破れません……」

 敏郎は、葛藤に揺れる苦渋を帯びた色を眼光に宿し、目の色以外変わらない表情で答える。

「俺は夏姉とは約束していませんが、敏郎が我慢している以上、手は出せません」

 我慢出来ずに崩れそうになる表情を必死に維持しながら、瞭は答える。

「では、私が殺しましょうか」

 柳沢は好々爺の笑顔で答える。しかし、語尾を少し強めた瞬間、その表情を変える事無く、敏郎と瞭よりも重く沁みついた殺意が発せられた。

 そんな三人に挟まれ、遥は眩暈で体がふら付いた。

 柳沢の殺意に中てられた敏郎と瞭は、その威圧感で我に帰り、殺意を鞘に収める。

 そして、敏郎が口を開いた。

「先生が殺したい理由には、他意もあるんでしょう」

「あの男に対する殺意は純粋ですよ。楽しむ気にはなれません。私にとって、あの娘は可愛い教え子の一人ですから」

 敏郎の問いに、柳沢は感慨深げに言った。

「俺は殺さないですけどね。殺してしまっては、苦しみがありません」

 瞭は無表情の顔のまま割って入ると、意味深長な答えを口にする。

「一理あるな。あいつには、生きて地獄を味わってもらわないと気が済まない。殺さなければ、約束を違えたことにはならないからな」

 眼光の奥に押さえ込む殺意を押し出して、敏郎が答える。

「敏郎、それは理屈ですよ。あの娘の願いを解らないあなたではないでしょう」

 柳沢は、子を諭すような口調で言った。

「…………」

 敏郎は口籠もる。

 瞭は敏郎の隣に並ぶと、気持ちを察し、敏郎の肩を軽く叩いた。

「あの男は『アイコレクター』と呼ばれた連続殺人者です。アメリカ史上類を見ない、本家『アイコレクター』と呼ばれた猟奇殺人者を模した、出来の悪い模倣犯ですが」

 無数のクエッションマークを浮かべながら、その重みと精神的ダメージで力なく立つ遥に顔を向け、柳沢は突然語りだした。

 場に取り残されていた遥は、柳沢の言葉で精神を建て直し始める。

「犯行動機は低脳で、本物とは違いますし、犯行レベルが低すぎて、模倣とは言い難いです。殺害後の行動を少し似せただけの、四流の紛い物です!」

 柳沢の言葉で過剰に反応した瞭は、語尾を強めて言った。

「そうでしたね。本物もあなた達が逮捕したのでしたね」

 柳沢は、瞭と敏郎がニューヨーク市警に研修に行った時のことを思い出して、笑顔で言った。

「アイコレクター……知っています。三年前の事件ですね。確か、女性刑事が殉職した……」

 遥は大学生時代に世間を賑わせていた事件を思い出し、口を開く。そして、後半の自分の言葉にハッとする。

「孤児院で共に暮らした、僕にとっては姉のような存在です」

 複雑な感情を交え、敏郎が口を開く。

「俺にとってもそれに近い存在でしたね」

 瞭が続く。

「あの男は、私がカウンセリングをした患者の一人で、外見に対して、長きに亘り、不特定多数の女性から誹謗中傷されたそうです。そのことで、強いコンプレックスを抱くようになり、私のところに来た時には、鬱病になりかけていました。その時に、私がアメリカで起こった事件を思い出し、アイコレクターの存在を教えたのです」

 柳沢は笑顔で語る。

「……?」

 後半の話に違和感を覚えた遥は、首を傾げる。

「先生が唆したんですよ」

 瞭がその疑問の答えを口にした。

「あいつだけじゃないです。先生は、多数の人間を犯罪者に仕立てています。木村宗一もその一人です」

 淡々と、敏郎が続く。

「…………」

 衝撃の事実に遥は言葉を失う。何気ない日常会話のように口にした柳沢に対し、ただただ恐怖した。

「夏輝に危害が加えられるとは、想像も付きませんでした。私の責任です……」

 数多くの人を殺めても、反省すらしない男が、教え子の死に対し罪悪感を滲ませる。

「そういう気持ちをお持ちなのに、何故、手を下した人達に対する、謝罪や反省はないんですか?」

 柳沢のその態度に、遥は怒りを覚える。恐怖によって折れ掛けた精神を怒りで補い、遥は気を持ち直した。

「よく言われる質問です。それは、私が望んで殺したからです。夏樹の場合は、わたしの望まぬ結果ですから」

 笑顔に戻り、柳沢はそう言って遥を退けた。

「無駄ですよ。先生が持つ価値観の問題ですから」

 瞭が遥を諭す。

「しかし……納得が……」

 十分過ぎる程、理屈では理解できる答えではあったが、感情で納得できない遥は、口籠もりながら呟く。

「できないよ、遥ちゃん。そもそも、遥ちゃんと先生では、考え方が違い過ぎます。お互いが見渡せない距離を、それも平行線上に歩いているようなものだから、一生交わることはないです」

 敏郎も遥を諭す。

「あなた方は、大切な人を失って、怒りはないんですか!?」

 遥は怒りにまかせ、二人に食ってかかる。

「怒りはありますが、しかし、先生が殺したわけじゃないですから……」

 複雑な表情で敏郎が言った。

 親友と恩師の前なのか、いつの間にか、敏郎は素の表情を曝け出していた。

「それがあなたがここへ来た目的の答えです」

 瞭もいつの間にか無表情の仮面を外し、違和感のない表情を浮かべていた。

「では、その反省のために……」

「そうです。そして、夏姉と俺達に対しての贖罪の為、俺達を通じて自首したんです」

 多数の命を奪った男の自首の真相を知り、遥は苦虫を噛み潰したような表情で佇む。純粋なまでの歪んだ我を貫く柳沢に対し、遥は胸糞の悪さを感じ、吐き気すら覚えていた。

「長年俺達を騙していた先生には脱帽でしたよ」

「自信過剰気味だった俺達は、未熟だと思い知らされたからな」

 二人は悔しそうに語った。

「私から答えたかったのですが、二人に言われてしまいましたね。遥君、それで納得してもらえましたか」

 柳沢に気持ちの良い笑顔を向けられ、遥はゲテモノ料理を食べさせられたような表情で、渋々頷いた。

 それを確認すると、瞭は手に持っていた封筒を投函する。

 柳沢はそれを受け取り、その場で書類に目を通し始めた。

 遥はそれを横目に溜息を吐く。

「敏郎、そっちの事件はどうだ?」

 数十秒の間を置き、瞭が敏郎に尋ねる。

「ほぼ終わりかな。後は、捜査本部に丸投げだ。お前のほうは?」

 敏郎のその言葉に、遥は目を見開いて、勢いよく顔を向ける。そして、抗議しようとしかけたが、そのタイミングより半瞬早く、瞭が口を開く。

「ああ、今調べてもらっているが、決まりだろう」