12 (血の抱擁)


原作者 無味無臭

                     ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

 

 右面に並ぶ独房から、悪意に満ちた視線や罵詈雑言を浴びながら、二人は通路を歩いて行く。

 この場所の独房は異様で、全てがガラス張りで中が窺え、唯一隠された場所が、アメリカ式のトイレで、中心だけ扉で隠された場所だった。

「調教の出来ていない動物園みたいでしょう。僕一人なら静かなんですけどね。女性の遥ちゃんを見て興奮しています」

 先程の理由とは違い、自らが場に馴染むため、あるいはスイッチ自体が不必要な世界に入ったからなのか、入口からスイッチの入った状態へと変貌した敏郎は、笑顔で遥に言った。

「笑えません。たとえそうだとしても、獰猛そうに見えるので、女性に限らないと思いますけど。それに、鈴木警視に対して大人しいというのは信じ難いです。理由か方法でもあるんですか?」

 遥は純粋な疑問を敏郎に投げ掛ける。

「方法はないです。何故だか、彼等は僕のことを怖がっているんです。見ていて下さい」

 そう言った敏郎は、その場で足を止め、負の感情を前面に押し出し、鋭い視線で通り過ぎた四つの部屋の内、騒いでいる囚人三人の眼を順番に見つめていく。すると、囚人達は次々に目を逸らし、おとなしく部屋の隅へと引き下がった。

「…………」

 その光景に、遥は眼を見張る。

「でしょう」

 敏郎は無邪気な顔で首を傾げながら、遥に向き直る。

「理由は分かりました……」

 この場所に来て、更に異常性に迫力を帯びた敏郎に圧倒され、遥は気付かれないように生唾を飲み込んだ。

 《怪物》の二文字が脳裏に浮かんだ遥は、背筋が凍り言葉を失う。

「話は変わりますが、中には大人しそうな囚人もいるんですね。少し驚きです」

 敏郎の視線で黙らさせられる囚人とは別に、囚人の中には、こちらを気にすることもなく読書に耽る者や、笑顔を向けるものまでいた。

 疑問を感じた遥は、間を置いて敏郎に話し掛けた。

「気を付けて下さい。そう見える者のほとんどが、狡猾な囚人です。騙され、引き込まれますよ」

 敏郎は楽しげに忠告する。

「ですよね。ここにいること自体が、それを証明しているのでしょうし」

 遥は素直に納得する。

「鈴木君。今日は女性同伴ですか? 特異な女性もいたものですね」

 数部屋の独房を過ぎたころ、五十代であろう囚人が二人に声を掛けた。

「ですよね。僕もそう思います」

 躊躇なく、敏郎は囚人に対し答える。

 さすがの遥も、そのナチュラルさに眼を点にした。

「親しそうですね」

「親しくはないですよ。彼とはたまに話をするくらいですから。僕が囚人と会話することは禁止されていませんし。それに、強化ガラスの壁が、弱い僕を守ってくれるから安心です」

 敏郎は遥に説明し、一つ手前の部屋に居る、黙らせた囚人に同意を求めると、顔を向けられた囚人は、大袈裟に首を縦に振った。

「弱い……ですか。ハハハッ。私はこの場所に来るまで、柳沢教授以外に恐怖を感じたことがありませんでした。しかし、あなたと彼に会って、それに近い恐怖を感じたんですが……」

 目の前の囚人は、呆れた顔を敏郎に向ける。

「あなたが自身を過大評価しているのか、僕を過大評価しているのか、それとも世間知らずなのかが原因ですよ。僕より怖い人間なんて、世の中には大勢います。確かに先生は怖いですけどね」

 敏郎は、先刻黙らせた囚人に向けた眼で囚人を見る。

 囚人は少し気圧されたが、意に介さず平然と口を開く。

「かも知れませんね。しかし、あなた達を敵に回した眼(アイ)コレク……」

 が、囚人は言い掛けて言葉を失う。

 そこには、微かに殺意を帯びた眼光の敏郎がいた。

「アイコレ?」

 その眼を見なかった遥は首を傾げた。

「いいえ、何でもありません。お気になさらずに……」

 囚人は言葉を濁しながら、遥にそう告げる。

「行きましょうか」

 にっこりと笑い、敏郎は遥を先に歩かせる。

「では、木村さん。失礼します」

 遥に向けた顔で、敏郎は囚人に挨拶をした。

 囚人は脂汗を滲ませ、安心しきった顔で軽く会釈をし、体を弛緩させ力なくベッドに腰掛ける。

「あの囚人は、どんな罪状なんですか?」

「聞かないほうがいいですよ」

 あまり恐怖や危険性を感じなかった遥は、敏郎に尋ねる。すると、即答で敏郎は答えた。

「ここにいるべき犯罪者には見えなかったので」

「既に騙されていますね。この場所にいるべき人間だからこそ、いるんです」

「では、彼は何を?」

 自覚のない遥は、騙されていると言われ、少しムキになり、語気を強めて敏郎を問い質す。

「『堕ちた政財界の星』と言えば分かりますか」

「えっ!」

 遥は大学生だった五年前の事件を思い出し、顔を引き攣らせ言葉を失った。

 天才的な頭脳で手腕をふるい、最年少で某有名大学の教授となり、その後、その時に得た人脈を利用し、政界と財界のパイプ役として辣腕をふるった異色の大物で、政財界の顔として知られた人物である。

 名前は木村宗一といい、強盗によって娘夫婦と孫を殺害された経緯から、殺人者と生まれ変わる。そして、その殺害された被害者が世間を凍り付かせた。

 死刑が確定とまで言われた、娘夫婦殺害犯に付いた人権派と呼ばれる弁護士達が、自らその引き金を引き、被害者遺族となる。

 死刑を反対する弁護士達が団を結成し、手段を選ばない手法を用いて被告の死刑を阻止しようとした。

 弁護団は木村宗一の被害者意識を無視するどころか、重箱を突くような娘夫婦の落ち度を拾い上げ、木村宗一の精神を尽く破壊した。

《文献や参考資料を読んだだけで、近しい者を失った被害者心理を理解した気になっている、想像力の欠如した人間に死刑を反対する資格はない。ましてや、それを冒涜する人間は論外だ。同じ痛みを伴ってこそ、その資格が得られるべきだ》

 この言葉通り、木村宗一は、その天才的な頭脳を駆使し、警察が介入する間を与えず、迅速に、参加した弁護団の家族を殺害した。その数は、十五人に上り、あるものは妻を殺害され、あるものは子供、最大の被害者は、弁護士団のリーダー的な人物で、家族全てを失った。その後、弁護団は解散し、否、存続が不可能となった。

「彼の復讐はまだ終わっていません。未だ狂気を内に秘めています。僕ですら恐怖するぐらいの……。知能の高い犯罪者は、その狂気を簡単に隠すことができ、僕等でもそれを見抜くのは難しいんです。一般人には到底見抜くことはできないでしょう。ものの見事に騙されてしまうのがオチです」

 青ざめる遥に追い討ちをかけ、教え込ませるように敏郎は講義する。

「肝に銘じます」

 その真意を見抜き、遥は答えた。

 見ることはないと、半ば諦めていた女性が通路を歩くことで、囚人達の視線が遥に集中する。ある囚人はガラスを叩き、別の囚人は罵声を上げる。さまざまな表現で荒れ狂う囚人を無視して歩く遥に囚人達は憤慨するが、隣にいる敏郎に気付き、敏郎の笑顔を見ただけで借りてきた猫と化した。

 囚人達は、敏郎に対する恐怖心から、挑発は労力の無駄使いだと理解していた。

 入口での敏郎の芝居がかった行動は、遥へ解り易く説明するためのパフォーマンスだった。

 そんなことが数回繰り返され、終点が見え始めたころ、今日最大の被害者が口を開く。

「おい、そこのねーちゃん。俺は悪くないんだよ。あいつらが俺の醜い顔を見て笑うからいけねーんだ。出してくれよ。人を見下して、貶して、優越感に浸って……。だからそいつらの眼を刳り貫いただけなんだ」

 囚人は懇願する。その情けない声に釣られ、遥は囚人の方へと顔を向けた。

「黙れ、フェイク野郎」

 それまで、視線を送り囚人を黙らせていた敏郎が、目の前の囚人を静かに罵る。

 怒りと憎悪が凝縮され、良質な糧によって膨れ上がった殺意が、敏郎の全身から発散される。

 哀れみ、罪悪感、悲しみ、想いといった、負の作用を鈍らす、様々な正の感情の一切を排して育んだ『生粋の殺意』という豊潤な果実の薫りに惹かれ、敏郎の内面の淵に蠢く狂気が、理性の枷によって押さえつけられた片鱗ではなく、その全容を晒した。

 煮え滾る熱を帯びた敏郎の殺意とは逆に、場の空気は凍りつく。

 数瞬前まで場を包んでいた負の臭気ですら、心地よく感じられるほどだった。

 遥は間近でその殺意に中てられて体を弛緩させると、全身から冷たい汗を噴出させる。 生きた心地のしない程、恐怖に見舞われた遥は、腰を落とさないように気を保つので精一杯だった。

 一つの独房を省き、他の独房の囚人も、動くのを止め息を潜めた。

「ひぃいいいい……あ……あく……あく…………悪魔ぁあああ…………」

 その殺意をまともに受けた囚人は、言葉を失い、腰を抜かし、更には失禁する。そのまま後ずさり、なんとか搾り出した言葉は、恐怖によって呂律が回らず、唯一言葉になった単語以外は、悲鳴にしか聞こえなかった。

 少し冷静になった遥は、凶悪犯罪者は敏郎の眼光だけで大人しくなるのではない、と云うことを肌で理解する。

 敏郎に潜む凶器は、遥が想像していた範囲を軽く飛び越えていた。

「悪魔だと。その悪魔に喧嘩を売ったのはお前だろう」

 敏郎の冷静で静かな乱暴口調が、更に恐怖を増幅させる。

「ひいいいいぃ………………」

 精神崩壊してしまいそうな程の恐怖に支配された男は、口から泡を吹き、また悲鳴を上げる。

 遥は動くことも出来ずに、只々、その光景を眺めるだけだった。

「敏郎。それくらいにしておきなさい。毎度の事とはいえ、同伴のお嬢さんが怯えていますよ」

 二つ先にある、一番奥の独房から優しい声が響く。

 その声を聞いた敏郎は、狂気を抑え、声の方角へと顔を向け口を開いた。

「先生、でも……」

 敏郎と柳沢が視線を交わし、少し沈黙が流れる。

「分かりました」

 敏郎は無理に感情を抑え、強いストレスを感じながら佇む。

「またな。フェイク野郎」

 そのストレスを吐き出すように、意思に抗い沸き起こる殺意を吐き捨てると、敏郎は歩き出した。

 遥は落ち着きを取り戻しつつある敏郎に安堵して、その後に続く。

「すみません、遥ちゃん」

 敏郎は、後ろを歩く遥に申し訳なさそうに謝った。

「いいえ。大丈夫です」

 未だ消えない恐怖から頭の回らない遥は、そう答えるのがやっとだった。

 隣の囚人は、敏郎と眼が合うのを恐れ、ガラスに背を向け、部屋の隅の壁を眺めていた。

 その光景を目の当たりにした遥は、凶悪犯罪者であろう男の素直? な反応に、笑いが込み上げてきた。ダメージを受けた精神が多少癒され、思考回路が正常に動き始める。

 そうして二人は、静まり返った通路を歩き、ようやく目的である独房に辿り着いた。

「久しぶりです、先生。こちらは、長谷川遥ちゃんです」

 瞭に接するような、距離感のない親近感を醸し出し、敏朗は柳沢に挨拶をすると、遥を紹介する。

 それを見た遥は、犯罪者となった柳沢に対する敏郎の信頼度は、未だ緩んでいないことを痛感した。

「よく来てくれたね。と言いたいところですが、あなたとは、二週間前に会ったばかりでしょう。しょうがない子だ。まあ、それは良いとして、久しぶりです。遥君」

 父親が子に接するような口調で敏郎に呆れ、遥に顔を向けると、柳沢は遥に挨拶をする。その挨拶に、遥の頭上には、明らかなクエッションマークが浮かんでいた。

「はじめまして……柳沢教授」

 不可解な挨拶に警戒した遥は、飲み込まれないように、気丈に振舞う。

 正義感旺盛で、犯罪者をこよなく嫌う遥ではあったが、敏郎に配慮したのか、柳沢廣一を『教授』と呼んだ。

「覚えていないようですね」

「どういう意味ですか。私は貴方とは初対面ですが」

 遥は、幾分威圧する視線で答える。

「そんなに警戒しなくていいですよ。捕って食おうとは思いません。リラックスして下さい」

 優しい笑顔で、柳沢は答える。

 木村宗一の件と敏郎の言葉が、遥の警戒心を緩ませない。

「大丈夫ですよ、遥ちゃん。先生に他意はありませんから。僕が保障します」

 敏郎が苦笑しながら遥を諭す。

「あなたの言葉も信じられません。先程のあなたは、明らかに囚人側の人間です」

 遥は、今現在の落ち着いた敏郎を目にしても、狂気を振り翳した、先程の敏郎に対して抱いた恐怖は拭い去れるものではなかった。その思いが、遥を疑心暗鬼にさせる。

 意図があるのかないのか、柳沢の挨拶に少し混乱している遥は、敏郎さえも敵視して言い放った。

「申し訳ないですね、遥君。敏郎は、未だに精神面に幼さがあります。そのせいか、感情に流されやすく、情緒不安定な状態にいるともいえます。生い立ちが原因とも言えますが、それを払拭できなかった私の責任でもあります」

 柳沢は全てを受け入れて、丁重に頭を下げた。

 その姿を見て、遥は少しずつ落ち着きを取り戻す。

「わたしも少し混乱していました。すみません」

 まじめな遥は、犯罪者である柳沢の礼儀に答え、丁重に頭を下げた。

「混乱を招いた私に非があります。お気になさらずに」

 遥の行動に感心した柳沢は、満足げに答えた。

「では聞きます。私と教授の接点は何ですか?」

 敏郎の狂気を目の当たりにした後なので、免疫力が底上げされた遥は、今現在の場の雰囲気など意に返さず、普段どおりに柳沢に尋ねる。

「十五年ほど前、あなたの父親に自宅へと招待されたことがあるのですよ」

 にっこりと笑う柳沢の顔を見て、遥は記憶を辿るが記憶にはなかった。それよりも、どこにでもいる好々爺のイメージに驚きを覚える。

 敏郎のように、眼光の奥に負の光もなく、瞭のように感情を抑え込んだ、熱を持たない無機質な感もない。ごくごく普通で、恐怖を感じるような、異常な圧迫感はいっさい感じられなかった。