原作者 無味無臭
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
「えっ?! 何故ですか?」
一人の人物について調査を依頼された高科は、驚きで声を上げる。
「あの中で一番引っかかったのは、あの人だけです。しかし、あの中に犯人が居ると決まったわけではありません。あくまで疑わしいというだけです。他の人間は百パーセント白でしょう。それだけは断言できます」
瞭は、頭に?マークを浮かべる高科に対し注釈を入れる。
「いつもの勘ですか?」
「はい。ほんの一瞬ですが、あの人が僕に向けたあの視線、明らかに警戒心が現れていました」
真剣な面持ちで回想し、瞭は鋭く答えた。
「しかし、突然刑事が来たら、誰でも警戒はしますよ。下手なこと言って疑われたくないですから。警視の考え過ぎではないでしょうか?」
経験からの見解を口にし、高科は反論する。
「そういう見方も出来ますが、あの視線は、そういった自己防衛ではなく、こちらの真意を覗こうとするものでした。引っかかりませんか?」
自らの見解を口にし、瞭は逆に高科に質問する。
「そう言われると困ります。僕はそういった視線を受けませんでしたから。何故僕ではなく、駄目刑事の警視に目を向けたんですか?」
高科は、また質問で返す。
「高科さんは、聴取をするだけの感覚でいたからでしょう。僕の場合、気付かれないように、彼らの動向に重点を置いて観察していましたので、それに気付いたのだと思います」
「もしそうなら、容疑者は何らかのアクションを起こすのではないでしょうか」
瞭の言う人物に何も感じなかった高科は、不満顔で答える。
「あの人は、疑念を抱いただけです。その証拠に、その後は何の変化もありませんでした。まあ、犯人ならば、疑念を抱いた時点で他の土地に移ろうと考えたでしょうが、今動けば疑惑を持たれることも承知しているでしょう」
「それまで待ってから、容疑者かどうかの判別をするんですか?」
容疑者への不満と、直ぐに動けない不満を、高科は瞭にぶつける。
「いいえ。今の段階だからこそ、あの人の嫌疑を判別するために、過去を調べる必要があるんです」
「あっ!」
不満から、話に熱中しすぎて話の起こりを忘れていた高科は、目から鱗が落ちたような顔をする。そして、罰が悪そうに苦笑いする。
「情を持つことはいいことですが、時として、真実を遠ざけます。客観性を重視する刑事という仕事においては致命傷ですよ。高科さんは、情が強すぎるので、もう少し抑えたほうがいいですね」
高科の真意を読み取り、瞭は言った。
高科は容疑者に成りうる人達に親近感を持ってしまい、疑うことが出来ずにいた自分を反省した。悪い癖が出たことで、瞭の言葉が身に沁みる。
「それでは、手配してきます」
少し間を置き、高科は項垂れながら部屋の扉へと歩き出した。
「よろしくお願いします。あと、僕はこの後用事がありますので、少し外出します」
「どちらへ? 私の仕事は警視のお供なので、直ぐに戻りお供します」
元気無く高科は答える。
「別によろしいですが、先生の所ですよ」
「ええっ! そうなんですか! それなら遠慮しておきます。それでは、お帰りになるまでには、調査結果をデスクに置いておきますので」
瞭の言葉に、その人物を思い浮かべた高科は、恐怖の顔を浮かび上がらせ、逃げるように部屋から出ようとする。
「あっ! 待ってください!」
「何ですか?」
顔を引き攣らせながら、高科は振り返る。
「もし不振な点があれば、数人の刑事を連れて、そのまま自宅に赴き、家宅捜索してください。後のことは、僕が責任を持ちます。何か見つかれば、もちろん僕の携帯に連絡は入れて下さいね」
「はい! 分かりました」
高科は瞭の言葉に目を輝かせ、逃げる様にではなく、興奮して走り去って行った。
「ハー。今注意したばかりなのにな。疲れるなあ……。ハー、死にたい」
瞭は、いとも簡単に感情に流される高科を見て、大きく息を吐き出すと、椅子の背もたれに体重を乗せて静かに天井を眺める。そして、最後に口癖を呟いた後、数分間天井を仰ぎ続ける。
視線だけを横にずらし、時計を見た瞭は、『先生』こと『柳沢廣一』に会いに行くため時間を確認する。まだ時間に有余があったので、瞭はそのままゆっくりと眼を閉じた。
事件の終点までの、唯一の休息時間が静かに流れて行った。
施設の近隣で待ち合わせをしていた敏郎と遥は、対照的な顔色で対面を果たし、遥の車へと乗り込む。
「大丈夫ですかぁ? 目が赤いですよぉ。仕事が忙し過ぎてぇ、恋人にでも振られましたかぁ」
敏郎は寝不足で目の赤い遥を見て、セクハラにも当たる、不謹慎な言葉を口にする。
(あなたのせいです!)
本音と怒りを押し殺し、
「いませんし、寝つきが悪かったのが原因です」
引き攣った笑顔で遥は答える。
「僕はぁ、一仕事終えてぇ、枕を高くして寝れましたぁ」
敏郎は眠気のない澄んだ目を遥に向ける。
「そうですか。それにしても、なんだか楽しそうに見えますね」
切れそうな堪忍袋の緒を必死で取り繕い、遥はいつにも増して楽しげな敏郎に尋ねる。
「そう見えますかぁ。先生に会えるからでしょうねぇ」
連続殺人犯を先生と呼び、敏郎は無邪気に笑う。
「前々から思っていたんですが、何故、殺人犯を先生と呼ぶんですか? ものすごく不快ですし、刑事であるあなたが口にすることで、重大な問題になりかねません」
遥は率直に感想を口にする。
「命の恩人であり、十数年教えを受けてきた人が……その人が犯罪者だからといって、簡単に呼び捨てに出来ますか?」
語尾を延ばさず敏朗は語る。
「どういう意味ですか?」
「言葉通りですぅ。許せないこともありますがぁ、今僕がこうしていられるのはぁ、先生のおかげですぅ」
敏郎は見せたこともない真剣な眼差しで答えたが、照れ隠しの為に口調を戻す。そして、目を見られたくないのか、外の景色に目線を移した。
「……私達の仕事は、そういうものだと思います」
遥は敏郎が垣間見せた本心に心を擽られ、言葉を詰まらせながら、強い口調を和らげた。
「でしょうねぇ」
そんな遥を横目に、仮面が外れていることに気付いてはいたが、未だ感情のコントロールが不完全な自分を恥じ、敏郎はいつものだ
らしない顔に戻ると、ヤル気のない口調で呟いた。
「須藤警視もそうなんですか?」
いつも通りの敏郎に戻ったことで、質問しやすくなった遥は、瞭のこともついでに尋ねる。
「あ~、もしかしてぇ、ナタクに気がありますぅ。駄目ですよぉ、あいつにはぁ、花美ちゃんがいますからぁ」
「違います! 警視も『先生』と呼んでいたので」
花美という女性のことも気になったが、本筋を優先し、遥は切り返す。
「あいつはぁ、小学校の終わり頃からかなぁ。ある事件をきっかけに知り合ってぇ、先生にカウンセリングを受けたときからですぅ」
懐かしそうに敏郎は語る。
「カウンセリング?」
「詳しく俺から言うと問題だからぁ、気になるならぁ、あいつに聞いて下さいねぇ。そのことになるとぉ、怖くなるのでぇ、聞かないほうがいいですがぁ」
遠まわしに話をシャットアウトすると、敏郎は、笑顔を遥に向ける。
「意地が悪いですね」
確認できないことと知りつつ、意味深な言葉を交えて語った敏郎に意地の悪さ感じ、遥は睨む。
「からかい甲斐があるんですよねぇ。長谷川親子はぁ」
「どういう意味ですか!」
前半の言葉よりも、父親と同類視されたことに腹を立て、遥は怒鳴る。
「あっ、そこを右折して下さい」
突然言われ、遥はそれに従う。
「はー、びっくりしたぁ」
わざとらしく言い、遥の怒りをかわした敏郎は、出てもいない額の汗を右腕で拭う。
それだけの為に急ハンドルを切らした敏郎に呆れ果て、遥は追求を断念した。
「で、どうすればいいですか?」
屈強な警備員に守られた大きな門の前で車を止め、遥は敏郎に尋ねる。
すると、二人の警備員が車に近寄ってきた。
「ここは立ち入り禁止区域です。関係者以外は、立ち入りが禁止されていますので、お引取り下さい」
警戒心を露にしながら、警備員の男は重要な情報を口にしないよう、丁重な言葉遣いでウインドウを開けた遥に話し掛ける。
「僕の付き添いですぅ。遥ちゃん、手帳を出して下さいー」
敏郎はウインドウを下ろし、もう一人の警備員にそう伝えると、遥に指示を出す。
「ご苦労様です」
異常に対処できるよう、一歩引いて様子を伺っていた別の警備員の男は、敏郎の顔を見ると挨拶をする。そして、遥に話しかけた警
備員の男は、遥の手帳を入念に確認する。
「どうぞ、お入り下さい!」
無線で門の開閉を指示し、警備員の男は車を入り口へと誘導する。
「ありがとうございますぅ。警備のほう頑張ってくださいー」
敏郎が笑顔で挨拶すると、警備員の男達は一礼して車を見送った。
同じように残り二つの門を潜り、ようやく施設の駐車場に辿り着いた二人は、車を降りる。
「流石に厳重な警備体制ですね」
「凶悪犯罪者の巣窟ですからねぇ」
緊張感なく敏郎は答える。
「家族が面会したいと言ったときにはどうするんですか?」
「アポさえ取ればOKですぅ。まあ、そういった特異な家族はぁ、今のところいませんがねぇ。危険な場所でもありますからぁ。しかしぃ、彼らにも人権がありますからぁ、公判が控えている人間にはぁ、弁護士が会いに来ることはありますねぇ。ほとんどが国選弁護士ですけどねぇ」
「仕事とはいえ、弁護士も大変ですね」
「ほとんどがぁ、怯えて帰って行きますからぁ」
笑顔で敏郎は答える。
「警視は平気なんですか?」
「どちらかというとぉ、僕はそちらよりですからねぇ」
敏郎は冗談っぽく返答をする。
「そうですね……。っと、急に何ですか?」
それが冗談に聞こえない遥は苦笑して答えると、突然、扉の前に立ち止まった敏郎の背中にぶつかる。
「先生の場合は、特殊危険人物指定されているので、特別な用件以外は危険が伴うため、面会室での対面ではなく、独房での対面になります。最も警備が厳しく、一番深い場所に独房が置かれているので、辿り着くまでに、幾つもの独房の前を通りますから、気を抜かないようにお願いしますね」
扉を前に、初めてこの施設に訪れる遥のためにスイッチを入れた敏郎は、異常な光を帯びた眼を遥に向ける。
その眼と言葉で、抜けかけていた緊張感が遥の全身を覆う。
「分かりました。気持ちを切り替えます。行きましょう」
鋭い眼光で遥は返事をする。
「では、入ります」
強い緊張の糸を張り、敏郎と遥は施設に入る。
遥は施設内に充満する異常な臭気を肌で感じ、敏郎が施設に入る前に気持ちの切り替えを要求したことが、身に沁みて理解できた。
殺人現場など、殺意や憎悪の念が残る場所には、このような臭気が少なからず漂っている。
この場所は、まさにそういった負の念の集大成ともいえるほど、濃度の高い臭気に包まれていた。
施設に入ると、連絡を受けた男性と女性の警備員がボディーチェックを行い、金属探知機の中を通る。そして、警備員により検査の
終えた持ち物を受け取る。
二人は警備員に軽い挨拶を交わして歩き出した。
「凄いところですね……。警視の忠告がなかったらと思うと、ゾッとします」
少しでも気を抜いたら、気が滅入りそうな異質な空間に、遥は身を震わす。
「物事は最初が肝心ですから。まあ、遥ちゃんが敏感過ぎるのもあるんでしょうね。普通の人は、もう少し鈍感ですから、そこまでの反応は見せません。ここで働ける者の大半は、良い意味で鈍感な人間でしょう」
施設で働く人間を見渡し、遥は首を傾げる。
「そうでしょうか?」
肌で感じる恐怖感で、全ての人間が異常者に見えてきた遥は、素直に口を開く。
「中には多少敏感な人間はいるでしょうが、遥ちゃん同様、精神がそれ以上に強く、この場所を好んでいる人間です。そのほとんどが、精神科医ですけどね。その点、遥ちゃんは精神科医に向いているのかも知れませんね」
「この場所で、しかも、凶悪犯罪者や異常犯罪者の精神鑑定ですよね。ゾッとします」
「ここにいる大半の精神科医は、一般的な精神科医とは一線を画します。そういった人間の精神構造を解明することに魅入られ、仕事はついでにしか思っていません。正確に言えば、精神が強いのではなく、異常なんでしょうけどね」
「要はミイラ取りがミイラに成りかけているということですね」
「まあ、半分はそうですが、ミイラにはなり得ないと思います。求めるものは犯罪ではなく、あくまでその心理分析にありますから」
「その為に人を殺したいと思うのかも知れませんよ」
場の毒気に中てられたのか、長時間敏郎と行動してきたせいなのか、遥は顔色一つ変えずに言った。
「確かにぃ! 一本取られましたねぇ」
場の雰囲気に馴染んだ遥を観て、いつもの語尾を延ばす口調に戻ると、敏郎は少し驚いた顔で楽しそうに言った。
「でもぉ、遥ちゃんの口からぁ、そういう言葉は聞きたくないなぁ」
敏郎は冗談っぽく言葉を続け、回りくどく、場に染まる遥に忠告する。
「はっ!……そうですね。警視の様にはなりたくありませんので」
敏郎の言葉で自分の異常に気付いた遥は、気を引き締め直し、冗談で切り返した。
「遥ちゃんはぁ、こちらの世界は似合わないのでぇ」
「肯定するんですね」
「ハハハッ。僕の場合はぁ、毒気に中てられる方ではなくてぇ、中てるほうなのでぇ。遥ちゃんにもぉ、影響が出ているようですねぇ。申し訳ありませんー」
敏郎は悲観する様子もなく、笑顔で語る。
「…………」
遥は、少し伏目になり無言で返した。
「すいませんー。開けてもらえますかぁ」
敏郎は、正面にある、屈強な鉄格子の横に設置された画像付の内線機器で、管制室に連絡を取る。
管制官は映像で敏郎を確認し、天井に設置された監視カメラで、二人を俯瞰する。
「どうそ、お入り下さい」
管制官の声とともに作動音が鳴り、鉄格子の扉の錠が外れ、自動的に、重々しく扉が開く。
「行きましょう。先生はこの通路の一番奥です」
更に強い毒素を含んだ空間に足を踏み入れた瞬間、恐怖で足が止まった遥は、気持ちを奮い立たせ、口調以外、表情一つ変えずに歩く敏郎の後ろ姿を見つめる。
その恐怖の中、一抹の好奇心を孕む異常な感情を受け入れる覚悟をした遥は、敏郎の後に続いた。
数分後、遥にとって、一生かけてでも理解することの出来ない、怪物との対面が実現する。