「そうですよぉ。さてぇ、遺体確認をしましょうかぁ」
「そうだな。早く遺体を確認して、今追っている件と関連性があるかどうかを確かめたい」
二人はそう言うと、周辺を見渡しながら遺体へと足を運ぶ。
遥は、幾層にも分かれる脳の記憶を検索しながら、そんな二人を案内した。
「ん?」
何かに違和感を覚えた敏郎は、首を傾げながら立ち止まる。それに気付いた瞭は、その視線の先を見つめて、敏郎と同じ疑問を抱き、足を止めて凝視する。
「こちらです」
再度遺体と対峙した、遥の悲痛さが混じる声で我に返り、二人は遺体へと歩き始める。
敏郎は、一時その疑問を脳裏の片隅に押し込めると、右膝を付き、手を合わせた後、静かにシートを捲る。
「……ビンゴ……」
遺体を数秒間見渡した敏郎は、同情心や無念さを目に宿したが、微かな瞬間、好奇心を宿す目で薄っすらと口を緩めると、他者には聞こえないほど小さく呟いた。
勘の鋭い遥は、その一瞬を肌で感じ、敏郎の持つ異常性の一端に触れてしまうことで、未だ纏わり付く恐怖が、具体的な形として成長していく姿に身を震わせた。
「トシ、いつも注意してるだろ。遺体を前に、そんな顔で口癖を出すな」
重々承知なのか、恐怖に絡め獲られた遥の表情を見て、瞭は敏郎を窘める。
「え!? あっゴメン。つい見入っちゃったよ。何とか抑えたつもりだったんだけどな」
敏郎は頭を掻き毟りながら、ワザとらしく、だらけた態度を取って笑う。
語尾を伸ばす癖が出ないことと、異常とも取れる異質な笑顔が、この事件の虜となる敏郎を映し出していた。
「少し分かる気はするけどな。この遺体から醸し出す殺人の余韻、まさしく異常者だ。状況証拠だけ見ても、物的証拠が乏しく、知能の高さを示唆している。プロファイリングでいう秩序型の犯行だ……」
敏郎を窘めた瞭は、異常とも思えるほどの無表情な面持ちで言い放つ。完全にシャットアウトした感情のない顔とは逆に、その眼光は異常な光を帯びていた。
「お前の追ってる事件か?」
「否違う。頚動脈切断による出血性ショック死……外傷の切り口は似てはいるんだが、この傷の角度を見る限り、犯人は左利きだから違うな……殺害方法、衣服に滲む不可解な血痕と、現場に残る犯人の感情の余韻が違い過ぎる。それに……この犯人には…………」
遺体を凝視することで、敏郎と同様の狂気を内に潜ませる瞭は、饒舌に語り始める。
「ナタク!」
そんな瞭を、敏郎が強い口調で制止する。
「だな……これはお前の事件だ」
オモチャを取られた子供のように、ジッと瞭を睨み、敏郎が非難する。瞭は引き込まれそうになる意識を振り払う為に、頭を振り目頭を抑え、申し訳なさそうに敏郎に謝った。
恐怖すら覚える、入り難い異質な空間を醸し出す二人とは別に、遥は恐怖を振り払うかのように、先程の疑問に意識を集中し、記憶を洗う。
「あっ!」
突然、遥が声を上げる。その声で、先程同様に、驚きと苛立ちで周囲の人間の手が止まり、異常な空間を作っていた二人を現実世界へと引き戻した。
「突然どうしたんですかぁ」
敏郎と瞭は、遥に視線を送る。
「思い出したわ」
「何をですか?」
「自称殺人アーティスト『柳沢廣一』を自首に追い込んだ二人の刑事……」
『柳沢廣一』とは世間を震撼させた、日本犯罪史上類を見ない、最も残忍にして残虐な連続殺人犯である。
その殺害方法は、微細な外傷によって殺害された者から、拷問されて殺害された者まで多様性を持ち、立件された殺人罪だけでも二十にも上がり、立証されていない余罪が未知数あるとされている。そして、更に世間を驚かせたのは、被害者全てに前科があったことだった。そのことから、柳沢廣一を偶像視し、崇拝する信者までが現れ、『粛清殺人犯』とも呼ばれた。
が、後の供述でその呼び名は一変する。
『私の狙う人間は、権力や財力、そして暴力、そうした力を使い、人を踏みつけることに一切の罪を感じず、ふてぶてしく生きている傲慢な人間です。その、人とも思わない傲慢な人間が、力の身包みを剥がされ、脅えて命乞いをする姿、そこまでに至るプロセスが堪らなく好きなのです。想像しただけでも……身が震えます。基本、皆が悪人ですので、微かに持ち合わせる罪悪感も消失します。それに、被害者が犯罪者ということから派生して生まれる、副産物も見物ですね。世間の強い怒りや恐怖を和らげ、他の感情が入り込む隙間を作り、好奇心すら生み出します。その証拠に、事件後のマスメディアの反応は、被害者の人物像から、様々な見解がなされていましたね。見ていて楽しかったですよ。一つの作品に対し、多種多様な感情を抱かせ、そして、揺さぶることは……。この分野におけるアーティストなのだと気付かされました。それはそれとして、至福と言えます』
その供述で、アーティストと名乗ったことから、長期に亘る精神鑑定が今尚行われ、極限られた者にしか踏み入れない、凶悪犯罪者や異常犯罪者専用の、収容監視施設兼精神鑑定施設に収容されている。
某大学教授であり、犯罪学の第一人者として、数多くの事件解決に協力した経緯を持つ人間の自首とあって、警察組織への信頼を貶め、マスコミの懐を暖めた。唯一の救いは、柳沢廣一の供述に出てくる二人の刑事だった。
『私が自首した要因は、二人の優秀な刑事の捜査によって追い込まれたからです』
不適な微笑でそう供述したとの報道により、事件を解決に導いた二人の刑事が、辛うじて警察組織の面子を保つ形となった。
しかし、その二人の不幸は、捜査上の問題から、名前が公表されなかったが為に、二人の素性を知らない人達の間で、紳士的な美男子というイメージで偶像化されてしまったことだった。
遥はそれに惑わされ、名を知っていたにも係わらず、気付くのに遅れてしまった。
「追い込んだ……か……ハハハッ。どうだかな。なあ、トシ」
「ハハハッ。あれはぁ、追い詰めたとはぁ、言わないよなぁ」
遥の言葉を途中で遮り、再三に渡って賞賛される、その間違った事件の真相に、二人は顔を見合わせ失笑する。
「どうして笑うんですか? 私、可笑しなこと言いましたか」
中途半端に知能の高い者が患いやすく、キャリアと呼ばれる者の大半が感染している、自覚症状の薄い、自意識過剰という病に蝕まれていた遥は、軽んじられたと誤解し、被害妄想的に屈辱を覚え、二人に食って掛かる。
「確かにあの自首はぁ、俺達が原因なんですけどぉ、追い込まれたからじゃあないですよぉ。あの供述はぁ、建前ですからぁ。もしかしたらぁ、仮初であってもぉ、友好関係にあったぁ、警察組織へのぉ、配慮があったのかもしれないですけどねぇ」
敏郎は冗談交じりに答える。
「それはないよ。先生はエゴイストだからな。正確に言えば、エゴマニアという言葉が適切かな。まあ、どちらにしても、あなたのような、常人の精神構造をしている人にはわからない理由ですよ。長谷川警部補」
遥の心情を見越した上で、親が子供を見るように笑い、二人は遥に不可解な返答をする。
「どういうことですか。具体的にお願いします」
子供扱いされ、遥の屈辱心を更に煽る形になったが、その不可解な返答が、遥に冷静さを取り戻させる。
「それは難しいなぁ」
敏郎は、面倒臭そうに顔を顰める。
敏郎の返答では諦め切れないのか、遥は引くことなく、二人から目線を外そうとしない。
意思の強い眼光に睨まれ、気の強い女性に弱い瞭は、一瞬だらしない素顔を覗かせると、溜息と一緒に言葉を吐き出す。
「ハー、わかりました。個人的な興味から、この事件の進展を聞きたいので、後日、トシと三人でお会いしましょう。その時に、本人から直接聞けるように手配しておきます」
「えっ?!」
「できるんですよぉ。僕達はぁ、特別に許可されてるんですぅ」
遥の内心を瞬時に読み取ると、敏郎が答える。
「というか、私達しか、先生とまともに向き合えないからなんですけどね」
「どういうことですか?」
「百聞は一見に如かず。行けば分かりますよ」
物事を理解しないと気が済まない性質の遥は、立て続けに瞭を質問攻めにする。精神的な疲れによって、少し苛立ちを覚えた瞭は、不快な表情を一瞬見せると、冷静を装いつつ、遥の質問を強引にシャットアウトした。
「話は変わるけどぉ、なんでお前がぁ、現場に足を運んでいる上にぃ、一課の事件を追ってるんだぁ」
本来、管理職であるはずの警視が、現場に下りて捜査することは極めて異例であり、越権行為とも言える。
敏郎は瞭の悪癖を知る上で、茶化しながら、更に続ける。
「いくら出世に興味がないからってぇ、他の課が担当する事件にぃ、首突っ込む癖は止めた方が良いぞぉ。文句の言えない石動課長の身にもなれよぉ。たまに挨拶するけどぉ、胃が痛いって嘆いてたぞぉ。長谷川の親父の苦労も目に浮かぶよぉ」
「えっ?!」
警視庁刑事部捜査一課課長と、自分と瞭の上司の姿を思い出し、敏郎は同情の色を見せる。
遥はその名詞にハッとするが、場の空気を察し押し黙る。
キャリアの患う病とは違い、その有り余る知能によって特異な個性を持ち、幼少期に受けた深いトラウマで歪められた個性によって、異常な欲求や世界観を内面に秘めている二人は、キャリアが持つ、権力への異常とも言える執着心や、特有な自惚れや自尊心などは持ち合わせてはいなかった。むしろ逆に、劣等感に苛まれている者ほど、比例してそれらに執着心があるのだと心中を察するほどだった。その為、偉ぶることもなく、人を差別視しないというのか、関心がない二人は、捜査一課との諍いも然程なく、当時一課の管理官であった瞭と、二課の管理官をしていた敏朗(この時は、敏朗が越権行為をしていた)は、『高科廣一』の一件の係わりから、一課課長、石動源三とは友好的な交流があった。
その一件以来、足かせが軽くなった瞭は、自分の欲求を解消する為に、不可解な事件や知能犯による殺人が起きると、課に顔を出し、上司に内緒で捜査に参加することがしばしばあった。
そのせいもあり、石動課長は、瞭の上司に当たり、雲の上の存在にも当たる、長谷川審議官から、度々注意を受けていた。瞭とその上司の狭間で、捜査一課の課長の胃は炎症に見舞われ始めていた。
「今回の件は、許可を得てるんだよ。それより、お前はよくそんなことが言えるな。俺を盾にして、自分だけ都合のいい役職を手に入れたくせして……」
先程の遥に対する苛立ちが、茶化す敏郎の言葉で頂点に達し、瞭は、敏郎に対する不満と本音を延々とぶちまけた。
長谷川審議官とは、遥の父親であり、度重なり出るその名で眼を見開く遥は、二人の話の流れを止めないよう、喉元まで出掛かる言葉を飲み込み、沈黙を守る。
本来キャリアであっても、新人である遥が堂々と捜査に当たれる理由は、親の威によるものだった。
「そう言うなってぇ。埋め合わせはするからさぁ」
痛いところを突かれた敏郎は、瞭の肩を軽く叩き、遥に手招きをしながら歩き出す。
「おい! 逃げるのか」
「違うよぉ。仏さんを運ぶみたいだしぃ、邪魔になるからさぁ。それにぃ、早く捜査したいからぁ、所轄に保護されているぅ、第一発見者のところに行こうと思ってぇ」
敏郎は、現場検証も終わり、運ばれていく仏さんに手を合わせた。
仏を出汁にうまく交わされた瞭は、喉先まで迫った文句を飲み込むと、遥と共に手を合わせ、舌打ちをしながら渋々歩き出す。
「話の途中スミマセンが、二人は父のことを知っているんですか?」
入りにくい雰囲気ではあったが、あらかた話が終わるのを確認すると、喉元で塞き止められた言葉によって窒息しそうになっていた遥は、勢いよくそれを吐き出した。
「まあー、色々ありましてぇ、遥か上空にいる上司ですがぁ、親密な親交がありますぅ。且つぅ、父親のいない俺達にとってぇ、口煩い親父のような存在ですからねぇ。というかぁ、遥ちゃんはぁ、俺達のことをぉ、少しくらいー、親父ぃ……じゃないやぁ、審議官から聞いてないかなぁ。まあー、今までの流れからぁ、聞いてないよねぇ」
遥はいつの間にか、名前で自分を呼ぶ敏郎に不快感を露にしたが、優先順位の高い質問を優先させて、とりあえず聞き流した。しかし、それとは別に、嫌う父親を、親父と慕う二人の笑顔をみると、何故か誇らしげな感情が胸を打つ。
「家では、仕事の話どころか、日常会話もしないですから……」
そんな胸の内を認めたくない遥は、淡々と答える。
「年頃を越えた娘ともぉ、日常会話はなしかぁ。言うことを聞かない部下とぉ、冷たい娘ぇ、親父は苦労するなぁ」
しみじみと敏郎は答える。
「確かに。親の心娘知らずってことか」
自分の都合の悪い話を棚に置き、瞭が頷く。
二人は面白半分に遥をからかう。
「逆です。あの人は、私のやることに関心が無く、相談しても寡黙なままですし、今では会話もしたくないですし、顔を合わせることすらないです。自分の敷いたレールから外れた私には、興味がないんですよ!」
遥は敏郎と瞭に煽られると、冷静さを保つことも忘れ、語尾を強め、父親への不満をここぞとばかりに吐き出した。しかし、嫌悪しきれない父親への葛藤によって、遥の表情には、自己嫌悪の影が落ちる。
その表情を見て、二人は悪ふざけに対し、罰の悪そうな表情を浮かべて溜息を零す。そして、遥の心情を察し、同情の色に表情を塗り替えた。
「呆れるくらい不器用な親子だな」
上司と遥を脳裏に浮かべ、面白い程の似たもの親子に、瞭が呆れる笑みを浮べてボソリと呟き、敏郎は、笑いを堪えながら首を盾に振った。
「どういう意味ですか」
「そう言うことですよぉ。ハハハッ」
「そういうことです。ハハハッ」
遥の反応を見て、また、悪戯心に火が点いた敏郎と瞭は、意味ありげな笑みで顔を見合わせる。互いの企てが一致するのをアイコンタクトで確認し、笑いを噴出させながら、声をハモらせた。
「何で笑うんですか? それに、場所が場所なんですから、不謹慎ですよ」
遥は意味を理解出来ずに、怪訝な顔で二人を睨む。そして、緊張感のない二人に向けられる、他の関係者の視線から伺える言葉を代弁する。
「そうですねぇ」
二人もその視線に気付き、頭を掻き毟り声を潜めた。
「まあ、その話は、話せば長くなるので、それぞれの事件が片付いたら、お茶でも飲みながらゆっくりとお話しましょう」
瞭はイタズラっ子の表情で、声を潜めながら、楽しげにそう言った。
「親父の狼狽振りが目に浮かぶな」
思い描いた企みで未来を見る敏郎は、愉快げに小さく呟く。
「それじゃあ、俺は捜査本部に帰るよ」
廃墟の出入口をくぐった頃、刑事の顔に戻った瞭は口を開く。
「証言を聞いていかないのか」
「これ以上係わると、お前の事件も捜査したくなるんで、ここで別れるよ。それでは失礼します。長谷川警部補」
瞭は二人に答えると、腕時計を眺めながら、部下の待つ車の方角へと歩き出す。
「お前の事件も聞かせろよぉ」
去り行く瞭の背中に、敏郎は言葉を掛ける。
瞭は振り向くことなく、左手をひらひらと振って答えた。
「僕達も行きますかぁ」
「嫌です……とはいえないんでしょう」
遥が嫌味を口にする。
「一つだけありますよぉ」
敏郎はニッコリと笑い、嫌味を受け流しながら笑顔を返す。
「何よ……あっ! 結構です。まだあなたの助手の方がマシです」
「問題だなあー。父親よりもぉ、得体の知れない男を取りますかぁ」
「私からしたら、その日の気分で返答が変わる程の、悪い意味での、究極の選択なんですよ!」
死語ともいえる、昔流行った単語を交えて、遥は語尾を強める。そして、足を速めて前に出ると、乗りつけた車へと向かって行った。
「だよなぁ。ハハハッ……ってぇ、先に行かないで下さいよぉ。僕はタクシーできたんでぇ、足がないんですからぁ」
嫌われることに慣れきっている敏郎は、あっさりと肯定し、大きめな声で笑うが、先を行く遥に気付き、情けない声を上げた。
敏郎の情けない声が、緊迫して沸き起こる喧騒の中へと溶け込み、掻き消されて行く…………