原作者 無味無臭
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
無造作に停車された数台のパトカーのサイレンが響き渡り、本来は静寂に包まれ散るはずの、ビルを囲む林の平穏を乱している。そんな不快な感情を表すかの如く、パトカーの赤色回転灯に赤く照らされた、林に佇む木々達が不気味に浮かび上がっていた。
パトカーによるサイレンが止み、その騒音を引き継ぐかのように、今度は警察官や鑑識の人間などが入り乱れ、慌ただしい大音量の喧騒を撒き散らしていく。
「警部補、こちらです」
そんな喧騒も、一足遅く到着した女性警部補の登場で一瞬和らぐ。
挨拶に訪れた刑事以外の刑事の目には、負の感情が宿り、その表情は、明らかに嫌悪感が表れていた。
キャリアに対する負の感情に慣れきっている女性警部補は、気にすることもなく、その中を悠然と進む。
警察手帳を提示して、張られたロープを潜り、女性警部補は案内人の刑事に続いて二階へと上った。
「ここからは、この新人刑事が質問に答えます」
二階に上がると、新人であろう、まだ駆け出しで使い走りの若い刑事が(とはいえ、女性警部補よりは年齢は高い)姿を現し、案内役の刑事が口を開いた。
「わかりました。ありがとうございます」
「はい。それでは失礼します」
態度には表れていなかったが、他の刑事と同様だったらしく、案内役の刑事は、新人刑事に女性警部補を押しつけると、早々にその場から去って行った。
「よろしくお願いします。警部補」
残された新人刑事は、階級の高い女性警部補に恐縮しながら挨拶をする。しかし、その一方で、若さからなのか、稀に見る凶悪犯罪に興奮していた。
「よろしくお願いします。で、遺体の数と状態を詳しく説明してくれないですか」
「はい! 遺体は三体です。四階建てのこのビルは、それぞれ一室のフロアで造られていまして、二階から四階のそれぞれの一室に、一体ずつの遺体が見つかりました。今鑑識がくわしく調べています。それぞれの状況ですが、四階で発見された遺体は腐敗し、地面に落ちていたことから、ネズミや猫などの小動物にかじられ、既に白骨化しています。縛られたことで、ロープに残された手首から、大凡ですが、死亡推定時刻は一年程とのことです。そして、三階で発見された遺体は、辛うじて落下を免れ残り、腐敗の状況から、死亡推定時刻は半年前後と見られます。この階に吊るされていた遺体は、まだ数時間前の遺体で、死後硬直が始まっています。よし!」
新人刑事は、大きな声で返事をすると、噛むことなく、うまく報告できたことに自画自賛したのか、腰の辺りで握り拳を作り、肘を手前に引いてポーズを取った。
そんな新人刑事に目もくれず、女性警部補は報告を聞き終えると、考え込むように、遺体の横たわる場所へと歩いて行く。
新人刑事は続きを口にしかけたが、無言で遠ざかる女性警部補に戸惑い、必死の思いで背後に続く。
「それと、二階での被害者の身元は、持っていた身分証と免許証から、『前田瞳、二十八歳。吉田産業の総務部で働く、バリバリのキャリアウーマン』と分かりました……ああ警部補、まだ……」
大体の報告を聴き終えると、女性警部補は左手をひらひらさせて五月蝿い新人刑事を追い払い、肩まで伸びる髪を軽く束ねると、シートを被せられて横たわる、遺体の前で立ち止まった。
洒落っ気なく、細身の身体に地味なスーツを纏う二十代中盤の女性警部補は、華やかではないが賓のある美人女性で、心を表すような、意志のある鋭い眼光で遺体を眺める。
膝を折り、悲痛さを目に滲ませると、そのまま目を瞑り手を合わせた。
「………………」
黙祷する中、女性警部補は被害者に犯人逮捕を誓い、意を決して眼を開くと、布を捲り遺体を確認する。
「…………お久しぶりです。この遺体の死因を教えて頂けないですか?」
女性警部補は、遺体の近くにいた、知り合いである、年配の鑑識の男に話し掛けた。
「ああ、久しぶり。この遺体と三階の死因は同じで、頸動脈の切断による出血性ショック死でしょうな。それ以外の外傷は無いようですが、司法解剖しないと、ハッキリしたことは分からないでしょうな。と、検視の人が言うとりました」
「そう……あと、この被害者の首筋から胸元にある、物を擦り付けたのか、押し当てたのかわからないですけど、この不自然な血痕は何ですか?」
女性警部補は、遺体に付着する、塗りたくったような不自然な血痕に疑問を持つ。
「ワシは鑑識だけですからな、そういった理由のほうは、分からないですよ」
「そうですよね。ありがとうございます」
女性警部補は、知り合いに対して和らげていた表情をまた引き締めると、今度は、被害者が吊るされていた場所へと移動し、血痕が残る地面を見つめて、ゆっくりと天井を見上げる。
「物的証拠は出ましたか?」
今度は、遺体の吊るされていた周辺の地面を調べ終えた鑑識の男に話し掛ける。
「先程の遺体も調べましたが、足跡と毛髪以外ないですね。まあ、足のサイズから身長ぐらいは推測できるかもしれないですが、それはあくまで推測なので、手掛かりとしては乏しいと言えます。毛髪に至っても、先ず、科捜研で毛髪鑑定しなければ、確かなことは言えません。仮に被害者以外の毛髪であっても、犯人の毛髪とは断定出来ませんし……」
「そう……ですか……」
女性警部補は腕を組み、左手を顎先に押し当てると、怒りに燃える眼光で思案を巡らす。
「遣り切れないですねぇ。被害者はぁ、まだぁ、未来ある若い女性ですよぉ」
考え込む女性警部に、突然、語尾の母音を延ばす、貧弱そうで緊張感のない二十代後半の男が、天井を見上げながら話し掛けてきた。
「この緊迫した現場で、あなたはやる気があるの!? えっ? あなたは?」
緊張感のない無神経な男の言葉で、我に返った女性警部補は、込み上げていた犯人への怒りと、男に芽生えた怒りとを混同させ、怒りの矛先を男に向けて怒鳴る。そして、普段現場では見慣れない男だと気付くと、その男と視線を交わす。
「……………………」
吸い込まれそうな男の眼光は、深淵を覗いたような、底の見えない闇で淀んいた。
得体と底の知れない異様な男に、言いようのない不安と恐怖を覚え、全身を侵食していくのを感じた女性警部補は、身構えて距離をとり、疑心の眼で身分証の提示を要求する。
「申し送れました。僕は、警察庁から派遣された特別捜査官で、鈴木敏郎と言います。よろしくお願いしますぅ……あっ」
特別捜査官と名乗った男は、語尾の母音を伸ばす癖で怒鳴られたことで、気を付けながら喋ってはいたが、最後に失敗し、顔を顰めた。
「警察庁の特別捜査官? 聞いたことないわね」
鈴木の示した警察手帳で身分を確認し、自分よりも階級の高い『警視』だと分かり、女性警部補は不満げに恐縮する。
「でしょうねぇ。警察庁が管理するぅ、僕だけに与えられたぁ、まだ実験的な役職ですからぁ。縄張り争いやぁ、特殊な事件、様々な理由からぁ、捜査に弊害が生じる場合などにぃ、管轄にとらわれることなくぅ、独立してぇ、捜査の権限を与えられた捜査官なんですぅ。日本全国ぅ、ボーダーレスで捜査に当たることが出来るんですよぉ。警視庁の変人って言われていた僕にはぁ、うってつけの役職ですよぉ。これでもぉ、あなたと同じでぇ、キャリアだったんですけどねぇ。ハハハハッ」
敏郎は、人懐っこくよく喋るが、その眼光からは、凡人には感知できない程の、人間不信者が持つ、冷たい光が奥底に潜んでいた。遥が感じた恐怖の要因の一端が、その眼光だった。
「そう。で、何故あなたがここへ」
女性警部補は、へらへらと笑う男に苛々しつつ、相手との距離を測ろうと感情を抑え、無機質に返答する。
「遺体の発見情報からぁ、異常者の犯行か調べに来たんですぅ。特殊な事件にはぁ、異常者犯罪やぁ、猟奇殺人も含まれてるんですよぉ。って、素っ気ないなぁ。もっとお話しましょうよぉ。最低名前ぐらいは聞きたいよなぁ。そんなに僕って怪しいかなぁ」
自問するように男が首を傾げると、女性警部補が口を開く。
「怪しいですよ。私の勘が言っているんですけど、正直、手帳がなければ、あなたは、どことなく犯罪者寄りの匂いがするわ」
男との初対面で感じた、正体不明の恐怖を思い出し、女性警部補は冷静を装いながら、言葉を曖昧に飾ることなく、単刀直入に答えた。
「ふーん。データ以上の逸材だ……決めた! もし、今回のこの事件が、僕の課の管轄なら、あなたに助手をお願いします」
敏郎は、怒ることも悲観することもなく、新しく与えられたおもちゃに好奇の眼を向ける子供のように目を輝かせ、別人の如く雰囲気が変わる。女性警部補の有無を聞かずに宣言すると、左手で握り拳を作り、腰あたりに広げた右の手の平へと打ちつけた。
語尾を伸ばさずにスラリと喋り、隠すことなく、異常な眼光と雰囲気を前面に押し出す今の姿こそが、この男の本性だと女性警部補は直感した。
「お断りします。あなたに、そんな権限はないと思いますが」
「それがあるんですね、長谷川遥警部補」
敏郎は意味ありげな満面の笑みで、女性警部補に顔を向ける。
「人が悪いですね……。私のことを知っているのなら、そう言って頂きたいですわ」
不可解な存在である男ではあったが、その素振りや言動から、見下す感のあった遥は、勝ち誇るように笑みを浮べた男に対する怒りが沸き起こる。前髪で隠れる額に青筋を浮かべ、怒りを辛うじて抑えると、冷静を装い返答をした。が、その眼光は、怒りと屈辱感が滲み出ていた。
「そんな眼をしたら駄目ですよ。冷静を装うんなら、眼の色も変えては駄目です。あなたが僕をどう思っているのかを曝け出していますよ」
図星の遥は、全てを見透かすような、妖しく光る眼光に見つめられ、自分の内面が丸裸にされた錯覚に囚われる。屈辱感を通り越して、はじめに感じた恐怖が、現実のものとなって、全身を覆っているのに気付いた。
(何? この男……)
遥は恐怖すら覚える男に対し、好奇心が生まれる自分に対しても、危機的な恐怖を感じた。その強い好奇心と恐怖から、遥は内心で呟いた。
「何? この男……。って思ったでしょう」
「いいえ!」
少し冷静になった遥は、だらしのない身なりの男を全身で見据えると、先程芽生えた屈辱感の芽が伸びる。この男の存在を認めたくないという思いから、今度は、表情に怒りを滲ませ否定する。
「下に見ていた男に見透かされたことが、屈辱的ってとこですか」
敏郎は視線を合わせたまま、悪意なく遥の図星を射抜くが、それが逆に、育ち始めた遥の屈辱心の肥料となる。
「誰もそんなこと思ってないわよ!」
そして、幾度も穿たれた図星に亀裂が走り、屈辱感が敗北感に変わると、今までなんとか抑えていた感情が一気に溢れ出た。
すると、現場全体の大気が止まる。
普段、表情すら崩さない冷静さを持つ長谷川警部補の激しい感情の起伏を目の当たりにし、周囲の刑事や鑑識は、手を止めて驚きの眼を二人に注いでいた。
遥は、本来直情的な側面を強く持っている。刑事という客観性を重視する職業では、マイナス面の多い情緒を押さえ付ける為に、意識的に冷静な仮面を被っていた。
そんな視線に気付き、気まずさと恥かしさを感じた遥は、冷静さを完全に取り戻し、咳払いをすると、敏郎に近づき囁く。
「それよりも、どういうことか説明しなさい」
「それはですねぇ……。捜査の権限だけで言えばぁ、僕のいる位置はぁ、警察庁を長としてぇ、その下に位置するぅ、警視庁・各県警の間になりますぅ。だからぁ、僕にはそういう権限がぁ、上のお偉方から許可されてるんですよぉ。正確に言えばぁ、独立している課なのでぇ、全てにおいてぇ、権限が行使できるわけではないんですがぁ……。何ならぁ、調べてもらってもいいですよぉ」
いつの間にか元に戻っていた敏郎は、語尾を伸ばして答える。
遥はキャリアであっても、出向として警視庁署轄の刑事課で研修を行う新人であり、まして、警視という自分より階級の高い人間に対し、階級社会の警察組織では逆らうことが難しかった。
本来キャリアが刑事課に出向することはなく、警備か公安などの、キャリア専用のお飾りの課の椅子に座り、リスクなく研修を終えることが多い。まして刑事課で捜査に当たることは極めて異例だった。出世にあまり興味のない遥は、強行班に憧れがあり、我が儘により、この出向先を選んでいたので、不満を押し殺して仕方なく敏郎に従う。
「それじゃあー、遺体の確認をしたいのでぇ、案内をお願いできますかぁ」
遥は、先程の新人刑事側の立場に格下げとなり、嘘か真実かも図れない男を渋々案内する。
「あちらにいます」
その時、階段の方から若い刑事の声が微かに聞こえてきた。
二人は、同時にその方角に顔を向ける。
「よお、トシ」
「おう、ナタク」
現れた男と敏郎は、お互いを確認しあうと、共にあだ名で挨拶を交わす。数少ない心許せる親友に対し、敏郎の眼光から負の光が失せていく。
「始めまして、警視の周藤瞭と言います。よろしくお願いします」
だらしなくスーツを纏う敏郎とは違い、几帳面にスーツを纏う男は、警察手帳を懐から出して提示し、紳士的に挨拶をしたが、その仕草には、微かに不自然さが滲み出ていた。
遥は、身分を確認すると、二人のあだ名で何かを思い出し掛け、挨拶も忘れ、脳の奥底にしまい込んだ記憶を手繰る為に、目を細めて、男を睨む形で佇む。
「嫌われたなぁ、ナタクゥ。ハハハハッ」
「エー、そうなのか」
瞭は情けない声を出すと、姿勢よく繕っていた紳士の仮面が外れ、敏郎ほどではないが、緊張感のなさが顔を出す。
「彼女の顔を見ろよぉ。睨んでるだろぅ。彼女は意外と鋭いからなぁ、お前の内面に潜む悪魔に気付いたんだろうなぁ」
「お互い様だろう。お前だって怪物飼ってるじゃねーか」
まるで子供の会話だった。
瞭は先程のように、紳士ぶっていれば優男だが、その頼りなさそうな雰囲気から、人に苛立たしさを与える空気を持ち合わせていた。敏郎にしても同じことが言え、瞭は頼りなさが際立ち、敏郎はだらしなさが際立っていた。
「気にするなぁ、ナタクゥ。当然と言えばぁ、当然だけどぉ、俺も嫌われてるぅ。俺達はぁ、昔から人に嫌われるのには慣れてるだろぅ」
笑いながら、敏郎は瞭の肩を叩く。
「ハー、死にたい……」
すると、瞭はマイナス思考から生まれる、子供の時から続く口癖を零した。
「違います。お二方の名前の組み合わせで思い出したんです。大学時代の先輩に、そんな名前の天才二人がいたことを」
「遥ちゃんもぉ、あの大学に行ってたのかぁ。でもぉ、あの顔はぁ、そんな雰囲気には見えなかったけどなぁ」
敏郎は、遥が瞭に向けた顔の意味を否定する。
「はい。そうではなく、『ナタクとトシ』の組み合わせも、どこかで聞いたことのある名と思って……」
「よくあるアダ名ですよ」
親友の前で素になっていた瞭は、外れた仮面を被り直し、他人行儀な敬語で平然と答えた。