原作者 チキン主義
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
臭気と湿気で淀んだ空気が、獄中さながらの地下通路に停滞している。
滴り落ちる水滴が地を打ち、静寂した通路に迫り来る、死を運ぶ風に対し、微かな音響となって警笛を鳴らしていた。
「042番は第三通路だ!」
突然、静寂を打ち破り、高らかに警報が鳴り響くと、各所の通路から、深紅の軍服を着た男達の叫び声が慌ただしく上がる。
番号で呼ばれた者を通路の奥で発見した一人の男は、交錯する声によって、雑音を撒き散らすだけの機器に成り下がったインカムを耳から外すと、マイク部分を口元に押し当て、悲鳴の如く、一番大きな声量で甲高く叫んだ。
男が凝視する、鋼鉄製の扉が並ぶ薄暗い通路の先から、淀んだ空気を裂き、一陣の風の如く、一人の少年が疾走し迫り来る。
男は少年を確認すると、無駄の無い、洗練された動きで拳銃を構え、人体の各急所へと狙いを定めて銃弾を弾く。
連続する爆音が通路に響き渡り、銃身から弾かれた銃弾は、針穴を穿つ糸のように、正確に急所へと吸い込まれていく。
少年は飛来する弾丸に対し、躊躇する素振りを見せるどころか、疾走する速度を落とすこともなく、男へと無表情で迫る。
放たれた数発の銃弾は、部屋全体を覆う臭気に幾つもの風穴を穿ちながら、少年の肢体へと突き刺さった……
「なに!?」
かに見えた弾丸は、少年の身体をすり抜け、男の絶叫と共に、微かな兆弾音を響かせながら、薄暗い通路を支配する闇の中へと吸い込まれていった。
少年は疾走する速度を急激に上げ、残像を見せ、男を翻弄する。そして、左手に握るアーミーナイフで、男の頸動脈を寸分の狂いなく薙ぎ払った。
敷かれた管の崩壊によって、自由を得た血液は、兵士の意思に反して体外へと吹き上がる。
男は吹き上がる鮮血の音を聞き、事の重大さにようやく気付いた。
「う……あぅ……」
言葉にならない呻き声を上げ、血の流れを止めようと、必死に首を抑える男は、自らの生暖かい血の池へと、膝を折り、崩れ落ちた。
崩れ落ちる男に目もくれず、無表情で擦り抜けた少年は、正面のL字通路を減速することなく、滑らかな線を描き疾走をする。
「撃てー!!!」
通路の先には、先程の男同様に、深紅の軍服を着た男達が待ち構えていた。そして、少年の姿を確認すると同時に、一斉射撃で出迎えた。
前列に二人の男が膝を折り、後列に三人が直立して陣形を組む。そして、五人の男達は、無駄のない動きで弾丸を弾いた。
狭い通路を埋め尽くす程の弾丸は、風を裂き、少年に飛来する。しかし、少年は、先程と同様、眉一つ動かすことなく、無表情で疾走する。
「鬱陶しい」
少年は無表情で呟くと、ナイフを握る手に適度な力を込め、ナイフを前方へと構えると、ハエを払うが如く、銃弾の軌道を弾き逸らし、捌ききれない弾丸を、皮一枚を犠牲に躱していく。
体全体を掠める弾丸が少年の衣服と皮を裂き、微かに飛ぶ鮮血は、深紅の華となって、咲、散っていく。
走る痛みを気にも留めず、少年は更にスピードを上げた。
「042番はどこだ!!」
人知を超えた少年の動きを眼で捕らえ切れない男達は、恐怖を滲ませ、異口同音に声を上げた。
通路には、ただただ弾かれる弾丸の音と兆弾の音が響き渡り、それが更に、男達に恐怖にスパイスを与える。
今度は、少年が殺意ある風となり、男達に逆襲する。
「撃てー!! 撃ちまくれー!!」
恐怖で我を無くした男達は、発狂したのではないかと思われる程に捲し立て、半狂乱で手当たり次第に弾丸を弾いた。
ビュンッ。
男達の合間に、大気を裂く微かな音を残して風が通り抜ける。
瞬間、男達は、殺伐とした、美の欠片すらも存在しない異質な空間に、鮮やかな真紅の華を咲かせた。
すれ違いざまに放った少年の攻撃が、カマイタチの如く襲い、男達の頚動脈を、ほぼ同時に、そして、寸分の狂いなく切り裂いていた。
自ら生み出した血雨を浴び、皮肉にも、ブラッディーアーミーと銘打つ深紅の軍服を、真紅に染め上げる。そして、血の池と化した地へと、折り重なるように崩れ落ちた。
少年は、微かな感情の揺らぎを見せるが、それを振り払うかのように走り出し、すれ違いざまに掠め取った拳銃を、右後ろのベルトに収める。
少年は足を緩めることなく、ジェットコースターを体感するような速度域の中、FPSゲームをノーミスで完全クリアするかの如く、並み居る兵士達を鮮やかに殺していく。至近距離の者は狂いなく頸動脈を薙ぎ、遠距離の者は奪った拳銃で正確に眉間を打ち抜く。
まだ十代前半であろう、少年の洗練された殺しの手腕は、とても少年とは思えなかった。
迷路のように入り組んだ通路の出口を求め、骸の山を築きながら、当て所なく、少年は走り続ける。
少年の衣服は、幾つもの弾丸によって裂かれ、同時に裂かれた皮膚から滲む血液によって、赤黒く変色していた。
少年を止めるべく、立ちはだかり殺された者達は数十人に上り、単純計算でも、少年の傷一つに対し、二・三人の死の割合であった。
同情するに値しない裏社会で生きる者達であっても、まるで、自らの死に花を添えるかのように、自らの撒き散らした真紅の華に埋もれる姿は、同情以上に哀れみを憶える。
静寂を取り戻した通路に、冷たい空気が舞い落ちるのを感じた少年は、ナイフを持つ手の力を緩めて足を止める。
「フーーー……」
大きく息を吐いた少年は、体全体を弛緩させると、壁を背にもたれかかる。
驚くことに、だらりと下がる手に握られているナイフは、数十人もの命を奪ったとは思えない程に血痕が付着しておらず、刃毀れすらなかった。常軌を逸脱したスピードとタイミングによる一撃が、刃を毀れさす間を与えない破壊力を生み、液体である血液すらも両断していた。幼さの残る容姿とは裏腹な、驚異的なスキルを要する証明だった。
「あそこは……夜戦訓練場か…………厄介だな」
一呼吸ついて、歩みを始めた少年は、眼前に迫る鋼鉄製のドアを確認し呟いた。
力を溜める間を開けた後、鋼鉄製のドアを蹴破る。すると、その眼前は暗闇に覆われていた。
少年は、躊躇することなく足を踏み入れていく。
「ん?」
が、数メートル進んだとき、人の気配を感じ取り、背後に回り込まれないよう、向きを変えることなく入り口へと跳躍する。
「一、二、三……六人か」
夜戦訓練場は、五百平方メートル程の空間があり、夜間戦術を主として、月明かり程の光さえ一切ない暗闇という、実戦よりも過酷な状況で行う訓練場で、暗闇という恐怖の中、視力に頼ることなく、ただ生き延びるという能力を、死と隣接した、精神を酷使する緊張感の中で見に付け養うことを目的とした場であった。そして、それに伴い、闇に紛れ、殺気と気配を絶つ能力が重要視されるこの訓練は、暗殺術の訓練をも兼ね備えていた。
死を厭わず行われたこの訓練では、半数以上の訓練生が死へと誘われ、生き残った者は、飛躍的なスキルアップを為す者か、精神に異常をきたす者かに分類された。
「さすがは042番。訓練生の中で、ナンバー1の実力者なだけはありますね。その年齢でのその強さは、驚嘆よりも、むしろ恐怖を覚えますよ」
闇の中に設置された、赤外線暗視カメラから少年を除き見る男の声が、スピーカー越しに響き渡った。
「何が訓練生だ! ワイズナー! お前達組織の人間が、無理やり誘拐してきたんだろう!」
声の主に向け、少年は声を荒らげて怒声を浴びせる。しかし、冷たく佇む暗闇が、その怒気を帯びる熱を吸収して奪い取ると、音の振動だけを残し、虚しく部屋に響き渡る。
「ワイズナー館長と呼んで頂きたいですね。と言っても、もうあなたは用済みですから、ここで死んでもらいますがね」
その言葉を合図に、空気を裂き、ナイフが飛来する。
少年は、最小限の動きでナイフを躱すと、立て続けに、それは少年に襲い掛かる。壁沿いに走り躱した少年は、壁に突き刺さるナイフを引き抜き、暗闇へと潜む気配へと放つ。
カキィーン。
何者かがそれを弾くと、六人が一斉に動く。
まず、四人が少年を囲み、ナイフで切りかかる。気配だけでそれを感じなければならない状況で、敵である者達と少年は、互いに、見えているかのように、的確に相手の動きを捉え、展開していく。
意を決し突進した少年は、前後左右から空を裂き迫るナイフを弾き、躱しながら、振り返ることなく、背後に迫る敵に、数十センチの至近距離から銃口を向ける。そして、避ける間を与えない迅速さと正確さで、眉間を打ち抜き、崩れる骸を跳び越えて、そのまま背後へと下がる。それを追うように、前方から突進する影を感じ取ると、今度は少年が影を迎え撃つ。
「遅い!」
少年は、叫び、急激にスピードを上げる。そして、突進する影に攻撃させる間を与えず、瞬時に背後へ回り込むと、ナイフでその影の首を払う。それを感じた二人の影は、左右に逃れようと跳び下がる。
それを逃さず少年も跳ぶ。右に逃げた影を追い首筋を薙ぎ、左に逃げた影の眉間を拳銃で打ち抜く。
間髪いれず、残りの二人が襲い掛かる。
一人は、体勢を低くし、地面すれすれに身を屈めながら走り下方から襲い掛かる。もう一人は、人智を超えた跳躍力で頭上から襲う。
「ふん」
少年は鼻を鳴らすと、下方から迫る影へと、恐るべきスピードと威力ある蹴りを放ち、その影の首の骨を砕きながら、そのまま頭上に突き上げ、頭上から来る影にぶつけた。
体制が崩れ、落下する影に裏拳を放ち、首を三百六十度回転させ絶命させる。
「…………」
降りかかる火の粉を払い終えた少年は、なぜか、沈黙を纏い立ち竦む。
「どうですか、殺気の無い者を殺した感想は。と言っても、別に気にする必要は無いですよ。そのように、私達が改良したのですから」
殺気のないことへの疑問が、少年の脳裏に戸惑いを植えつけてはいたが、少年の生まれ持つ、超五感から生まれる直感が、危機を悟らせ、行動に移させていた。それでも、殺気のない敵への行為の後には、罪悪感が沸き起こり、自己嫌悪による苛立ちと疑問によって、表情が暗く淀んでいた。
「どういうことだ?」
自我を持つ人である以上、殺気など消せるはずは無い。
戦闘において、気配を絶つ能力は、如何に殺気を放つ間を縮め、相手を死に至らしめるかであり、プロとしての技量を映す目安となる。一流のプロでさえ、殺すほんの一瞬、殺気を滲ませる。
「プロというのは、一流であればある程、殺気には敏感でしてね。気配には当たり前のように敏感ではありますが、それでも殺気を重視してしまう。殺気が無ければ安全だと思う癖があります。そして、そこに隙が生まれます。たとえ、戦闘能力に差があっても、それをうまく利用出来れば、殺せなくとも、傷ぐらいなら与えられます。まあ、それ相応の戦闘能力は必要ですがね」
ワイズナーはもともと話し好きなのか、進んで口を動かす。
「その結果がこれでは意味がないな」
「それは、ただの実験体です。最初の課題は、生きた機械を作ることですから。実力よりも、まず、それを優先させました。完成すれば、絶対服従の、それも、生きた殺人マシーンの誕生です」
話す口調だけで表情が想像できる程、陰湿な笑い声を上げ、ワイズナーは更に続ける。
「神は偉大です。人の力では、人間の脳のような、コンパクトな機械は到底作れませんからね。今回は、君のよく知っている者達で試させてもらいました」
ワイズナーは意地悪く高らかに言い放った。
「まさか…………」
「そう、そのまさかですよ。気配すら消せないクズの訓練生です」
「キサマー!」
それは、少年と同じ、誘拐されてきた訓練生だった。自ら仲間を殺めてしまったことへの罪悪感と、それをさせたワイズナーへの怒りが、少年を震わせた。無表情で男達を殺せたのは、この場へ連れてきた大人達への復讐心からであった。
「おっと、今度は本物ですよ。気配も消せますし、それ相応の実力もあります。本来なら、042番、あなたが最後の完成品の予定ではあったのですが……。でも安心しなさい、とりあえずは、完成しましたから。あなたで性能検査をさせて頂くことにします。では、死になさい。ハハハハッ!」
勝ち誇り、声高揚に、ワイズナーの馬鹿笑いが室内に響き渡る。