1 依頼 (ポーカーフェイス)


「気配を絶って訪れる奴が普通か! 仮に普通でも、よく見ろ、ナイフにワイヤーが付いてるだろ。寸止めできるようにはしてあるんだ」

 雫はそう言って糸を引き、ナイフを手元に戻す。

「なるほど」

 男はそのままの表情で納得する。

「それより、お前だってこれは何だ」

 雫は、アームリストを貫き、腕に刺さる三本の鏢(宙国製手裏剣)を指を差して問い質す。男も雫同様、鏢を放っていた。

「さすがですね。私の气を透した鏢を、皮一枚で受け止めるなんて。あなたも气を操れるんですか」

「まあな。昔、宙国で出会った変な爺に習ったんだ」

 昔というには、新しすぎる過去を思い出し、雫は殺気を含む眼で男を睨む。

 氣(气)とは、物質に限らず、存在する全てのものに流れ発せられるエネルギーである。鍛錬により、内在する氣の量を高め、そして、それを留め、自由に操ることにより、自らの肉体や、物質を強化することができる。世界には、そのエネルギーを多種多様に応用する者も存在し、魔術師や錬金術師とも呼ばれている。

「それよりなんで避けなかったんですか。あなたなら簡単でしょう」

 そんな雫の殺気を受け流しながら、男は表情を変えることなく、口元を緩めたまま問い質した。

「うちはよく物が壊れるからな。経費は抑えたいんだよ。避けたらガラスが割れるだろう。ガラスって結構高いんだぞ」

 雫は、未だに穴が開き、ダンボールで補強された壁やテーブル、傷つき欠けるインテリアを見渡し、真剣な面持ちで嘆く。

「確かに。老虎でも飼ってるんですか?」

 部屋を見渡した男も同意する。

「あ?ラオフ?ああ、トラか。あれはトラというより、豹子だな」

 美鈴を思い浮かべ、雫は目の前の男同様に、薄ら笑いを浮かべて返答をする。

「大変ですね」

「それよりどうするんだ。まだやるつもりか? まあ、懐のやつを出さずに終わるつもりは無いだろうけどな」

 警戒心を解くことなく、雫は隙を見せない。

「気付いてましたか」

「それだけ氣が放たれていれば、当然だろう」

 男は、刃渡り三十センチ程のナイフを懐から取り出すと、それを手に身構える。

「えらい氣を練りこんでるな。纏う氣の質と量から、あんたは達人クラスだろうけど、そのあんたでも、その安っぽいナイフにそれだけ氣を練ろうと思うと、そこそこ時間がかかる筈だ」

 氣の質の異なる、生命でない物質に氣を透すことは難しく、それなりの鍛錬が必要とされる。達人クラスに至っては、容易にそれが可能ではあるが、男の持つナイフのように、多量の氣を練り込むのには、それ相応の時間を要する。

「あなたには時間を与えません。どうしますか、ポーカーフェイス」

 男は口元を緩めて襲い掛かる。

 雫は右手に持つナイフに、出来得る範囲で氣を透す。そして、襲い掛かる男のナイフを受け止めようと身構えた。

「甘い!」

 男が叫ぶと同時に、迅速に振り下ろされる一撃が、雫のナイフを両断する。寸前で、僅かに躱わした雫のシャツを切り裂いた。

「今のこの匕首は、鉄柱をも裂きます。あなたの実力はその程度ですか?」

 ナイフを断たれ、雫の表情にある感情が薄れていく。

「本気になりましたか。その表情、まさしくポーカーフェイスの由来道理ですね」

 過去のトラウマが、雫を復讐の機械へと誘う為に、表情から感情を奪っていく。

 殺気すら放たない無表情な面持ちから、ポーカーフェイスと呼ばれ恐れられ、殺す瞬間に吹き上がるあり余る殺気、そして、無表情で首を両断するその手口から、首を刈る死神とも呼ばれていた。

 空を裂き、男のナイフが雫を襲う。雫はそれを躱すと、男のがら空きになる鳩尾へと蹴りを放つ。それを左腕で受け止めた男の表情が微かに歪む。雫の蹴りの威力に押された左腕から、悲鳴の如き骨の軋み音が響き、男は力に逆らわず、腕を上空へと流し力を逃がすと、距離を取るために、後方へと跳んだ。

「私の气で包まれた腕を弾くなんて……お強いですね。ですが、今度は本気で行かさせてもらいます」

 戦闘態勢に入り、留めることなく放たれる男の纏う氣の量は凄まじく、弾丸すら通さないほど強化されていた。

「たいした蹴りではないけどな。足単体に、氣を凝縮したに過ぎない。それに、最初から本気で来れば、俺だって初めから全力で行くよ。まだ生きる目的があるからな」

 自身の体に氣を凝縮することは、相応の時間を要するが、さほど困難ではない。しかし、男に匹敵するほどの氣を纏う雫が、その氣を、部位に凝縮させたときの破壊力は尋常ではない。

「その年で、その气の量。そして、それを使い慣らすセンス……まさに化け物ですね」

 来た時同様の薄ら笑いを浮かべて喋る男は、腕に仕込む鏢を投じる。

 瞬間的に透されただけの、微かに氣を帯びた鏢には威力がなく、先ほど同様に、雫は避けることなく、アームリストで受け止める。当然の如く、雫の腕の皮だけを穿ち突き刺さる。

 ビュンッ

 腕に微かな痛みが走った瞬間、雫の首筋の空気が裂ける。鏢を投じたのと同時に、男も雫へと踏み込んでいた。

 キィーン!

 雫の首筋を捉え、舐めたかに見えたナイフが、甲高い金属音と共に静止する。

「な……その程度の气の透かしで、私の气を練りこんだ匕首を受け止めますか……恐ろしい匕首ですね」

 男は、自らの氣を大量に練りこんだナイフに、絶対の自信を持っていたが為に、初めてその表情を崩し、驚きで細い眼を見開く。

 その一瞬を見逃すことなく、雫は受け止めた匕首を上方へと弾き、がら空きになる腹部へと蹴りを放った。

 が、男はまた後方へ逃れる。

「このナイフは特別だ。と言っても俺にもよく分からない。分かることは、このナイフは、握るだけで体の一部と化すように、自然と、体と同調して氣を透していく」

 体勢を立て直す男から視線を外し、雫が見つめるそのナイフは、絡み合う二匹の龍の肢体が柄となり、二匹が共に宝玉を加え、一つの宝玉を守護するといったデザインの装飾が施されていた。

「气の透し易い物質はありますが、同調するというのは聞いたことがないですね。にわかには信じがたいですが、あなたと匕首との气の流れは確かに自然です。その程度の气の透かしで私の匕首と同等程度、气を集中させれば、恐ろしい威力をなしそうですね」

 恐怖と感嘆に満ちた眼差しで、男は溜息を零す。

「そうだな。氣を物質に透すのとは違い、体の一部に集中させるのは簡単だしな。氣を練るのには相応の時間を要すが、物質に練るよりも時間をかなり削減できる」

「最も恐ろしいのがそれです。実力が近ければ近い程、その時間は重要ですからね」
 男は生唾を飲む。

「それだけじゃない。このナイフ自体の強度も恐ろしく高い。現代科学でも精製できない、特殊な金属らしい」

「実力が伴わなければ、宝の持ち腐れですが、あなたは違いますからね。それだけの強度とあなたの腕、そして、私が匕首に込めた程の气を練れば、鉄柱なんてチーズを切るようなものですね」

「このナイフに切れないものはないよ。でも、今の俺でも使いこなせていない。後は俺の実力次第だな」

 氣を物質に透し、そのものの強度を増す限界は、在るようで、その実無いとも云える。扱う者の氣の総量が限界点となり、物質そのものの強度が高ければ高い程、その限界点が高くなる。ただ、物質には、それぞれ練り込める氣の総量に限界があり、許容量を超えれば、物質を内部から破壊してしまう。氣を物質に移行する術を会得する為には、それを見極めることが絶対条件とされる。

 最も必要とされるのは、氣を練り込む総量と、それに伴う技量なのである。そして、鍛錬によって引き出される氣の許容量と、それを操作する能力には個人差があり、相応の素質と才能、センスが重要視される。

「あなたの潜在能力は、人とは思えない、私が知りうる限りでは、あの化物の三人に匹敵します」

 雫はまだ発展途上であり、未だ、潜在する能力が秘められていた。それを見抜く男は、過去に見た化物を脳裏に浮かべながら、背中に嫌な汗を這わす。

「あの三人?」

「いえ、私事です。あぁ! あの三人で思い出したことがあります。その匕首、デザインからして、もしかして『双龍』と云う名ではないですか」

 頭を振った後、男は表情を戻し、そう口にした。

「そうだが。知ってるのか」

「はい。それは、言い伝えによれば、神の子が造りし神具と謂われ、星石がその材料だと伝えられるものです。意志有るその神具は、持ち主を選ぶとも云います」

「変な爺がくれたんだけどな。選ばれたわけでもないし」

「扱えるということは、選ばれたのでしょう。私の居た道場にも、本物かは分かりませんが、それとは別の神具が祭られていました。その道場主に聞いた話ですから、本当の話かは分かりませんけど」

「ありがちな作り話だな。確かに、この双龍は神がかりな強さだけど、無神論者の俺には、俄かには信じられん」

 そう言いながら、雫は来客用ソファーに腰を下ろし、テーブルを挟み、対面に置かれた二人用ソファーへ座るよう男へ勧める。

 男は雫の言葉に同意して肯くと、話の本題に入る為、ソファーに腰を下ろした。

「あなたの実力も分かりましたし、それでは、本題に入りましょう。私の名は、劉(リユウ)小龍(シャオロン)と言います。孤児の私には名前がなく、昔居た道場で呼ばれた名を使っています。姓は、宙国の英雄から勝手に頂きました。今は、剣会長の鍼灸師をさせて頂いております」

 丁重にそう言うと、小龍は自らの名の由来を、薄ら笑いを浮かべながら語る。先程から、人懐っこく口を開くことが多い小龍は、どうやら話し好きのようだった。

「俺は日守雫。俺も孤児で、しかも、名以外覚えてないから戸籍もないし、裏で偽造して、覚えてた名だけを使い、姓は恩人に付けてもらった」

 試されていることに気付いていた雫は、そのことには触れず、小龍同様の自己紹介をした。

 二人は先程とは違い、殺気もなく、普通なら笑えないような境遇を、人事のように笑う。

「山田さんから電話が入ったと思いますが、引き受けて貰えませんか?」

「俺の本業は殺しだからな。それに、あんたがいれば必要ないだろ」

「いえ、私は当主本人から用を承っているので。それに、不穏な動きを示している組織があり、この仕事には貴方ほどの手練れが必要なのです」

 夏盛りのこの季節に、クーラーのない事務所の熱気は高く、流れ落ちる汗を拭いながら、小龍は言う。

「あんた程の男が人の下に付くのか。それ程の人物か、剣権一郎ってのは。俺が知らないだけで、あんたは裏の世界では名が知られている筈だ」

 かなりの実力者である小龍は、フリーでもおかしくはない。裏の世界にまだ疎い雫は、疑問を投げつける。

「命を助けて頂いたんです」

「宙国人らしいな。儀というやつか」

「いえ、私自身の信念ですから」

「そんなもんかな。俺には無いな、そんな信念は」

 雫は呆れ顔で苦笑する。

「受けて頂けないでしょうか。報酬は十分用意させて頂きます」

「悪いね、金に興味はないんだ」

「そのわりに、備品や家具を気になさるんですね」

 事務所に散らばるそれらに眼を移し、小龍は、間髪入れず皮肉を口にする。