原作者 チキン主義
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
「ハアハア、嫌な夢を見だな」
ベッドから跳ね起き、十代後半位の、もしくは二十代前半位にも見える少年が、息を切らせ、眼を覚ました。
身長はそこそこ高く、百七十センチ後半位ある。身長のわりに、高校生としてでも通る位の童顔で、整った顔立ちだけを見れば、美少年といえた。常に殺気立った眼と、寝起きのせいで跳ねた、硬くも柔らか過ぎることもない髪の毛を気にすらしない洒落っ気のなさが、それを損なわせていた。
「ふん、薄れ掛けた復讐を忘れるな! っていう自己警告か? その機会が近いって俺の直感が感じ取ったのか? どちらにしても、願ったりだけどな」
鏡越しに移る自分に語りかけ、少年は口元を緩めた。
少年の名は日守(ひまもり)雫(しずく)といい、年齢は見た目よりも遥かに若く、十四歳である。この、一見十代後半にも見える外見を利用し、学校にも通わず、この年で、自宅兼事務所として住むこの場所で、探偵業を営んでいた。
商店街の一角に佇む探偵事務所での仕事は、表向き、浮気調査やペット探しが主ではあるが、実質は、裏社会での殺しの仕事が生業である。
商店街に住む住人は、未だ、雫の年齢に気付く者はいなかった。
「朝ごはんはここにおいドクです。買い物にいてきます。美鈴(みすず)より」
近くにある宙国(チャイナ)タウンに住む、事務を任せている美鈴という女性の、誤字脱字の目立つ、乱れた文字列の書置きが、テーブルに置かれていた。 その横には、朝から胃にモタレそうな、油の乗った料理が、良い匂いを漂わせている。
「まいったなー。これを朝から食うかー? 食わなきゃ泣かれるしなー」
この女性の名は、李(り)美鈴と言い、この事務所の責任者兼所長として名義を借りている人物の姪で、事務所の事務員をしている。 雫よりも年上で、年齢は十八歳。顔立ちは、眼は少し鋭いが、鼻筋が通り、細身の輪郭で、少し大きめの唇で微笑むと浮かぶ、両頬のえくぼが可愛らしい、気立ての良いチャイナ美人である。
雫は、名義を借りている人物から強引に美鈴を任せられ、雫の年齢上、名義を借りなければ営業ができないため、無下に美鈴を断れず、仕方なく事務員として雇っていた。
美鈴は、すぐ泣くのがたまにキズではあるが、武術を嗜み、その実力は、裏社会でも名が通っているくらいの強者である。泣くのとセットで暴れるので、壊れた備品や、置かれている壊れた家具の破片が、事務所に転がっていることが珍しくない。
ジリリリーン、ジリリリーン
雫の趣味なのか、いまどき珍しい、ダイヤル式の黒電話が鳴り響く。
重い朝食を食べながら、食事を邪魔されることを嫌う雫は、不快な顔色を浮かべ、それを無視する。
留守番電話機能の付いているはずのない黒電話は諦めることを知らず、延々と鳴り響く。二十回ほど鳴り響いた後、雫は青筋を浮かべながら、根負けして受話器を取った。
「はい! 今留守! 十分後に掛け直しな!」
モノを口に入れ、口をモゴモゴさせながら、明らさまな居留守を使い、雫は受話器を叩き切る。そして、何もなかったかのように食事を再開した。
「ゲフッ、ハー」
全てを平らげ、モタレる胃を宥める為、お腹を摩りながら、ゲップと共に溜息を零す。
ジリリリリーン
ちょうど十分後、ニンニク臭い、雫の溜息による空気汚染を警告するかのように、黒電話が警報の如く忙しく鳴り響いた。
「はい、李私立探偵事務所」
やる気の伴わない口調で、お腹を摩りながら、無愛想に言い放つ。
「あのー、私、剣財閥のお屋敷で執事をさせて頂いている、山田次郎と申すものですが……」
その言葉に、それまで、ゲップ交じりに相槌を打っていた雫の額に青筋が走る。
「あのなー、じいさん。朝っぱらから悪戯はやめてくれ! 剣財閥って言やー、世界にも影響を及ぼす、超が数個も付くほどの大財閥だぞ! こんなボロくて小さな探偵事務所に依頼なんかするかー!」
剣財閥とは、日の国(エデン)が誇る大財閥であり、エデンの産業を裏で牛耳り、経済界、政財界は勿論、その勢力は、エデンだけに留まらず、全世界のあらゆる産業にも多大な影響力を及ぼしている。全世界で、三指に入るこの大財閥は、当然の如く、裏の世界でもその名を轟かせ、当主こと、剣(つるぎ)権一郎(けんいちろう)の一声は、表裏の世界を動かす影響力を持っていると謳われている。巨大な資本を糧に、当主個人の軍隊を持っていると、裏の世界では有名であった。
「悪戯では御座いません。どうかお聞き届け頂けないでしょうか?」
「ハー、では聞くが、何をしろと。当主の浮気調査か? それともペット捜しか?」
明らかに怪しいその名を、ツッコむ気すらも起こらない程、怒りを通り越し、呆れた雫は、溜息混じりにそう吐き捨てた。
「いえ、お嬢様のボディーガードをして頂きたい所存です」
「はあ? 俺がやっている探偵業に、その分野は含まれていないよ。本業じゃないから、自らを守る程度の体術しか心得ていないんだよ。本物にしろ、偽者にしろ、そんなことは本業に頼みな」
「いいえ、そういう訳にはまいりません。裏の世界の貴方様を存じた上での所存です」
雫の眼に、一瞬殺気が灯る。
「言ってる意味が分からん。じいさんの勘違いだ。切るぞ」
そう言って受話器を切ると、雫はニンニク臭を撒き散らしながら、何回目かの溜息を吐く。
ジリリリンッ、ジリリリンッ
雫の愛用する高級デスクの引き出しから、デジタル音化された、黒電話の着信音がバイブ音と共に鳴り響く。よっぽど、黒電話に愛着があるようだった。
「今度はこっちか。久々の依頼だな」
雫は裏家業専用の、特殊な形状をした携帯電話を引き出しから取り出すと、口元を緩めた。
「こちらならよろしいですか。ポーカーフェイス様」
雫が言葉を発するよりも先に、相手、山田次郎の言葉が発せられた。
「じいさん何者だ! この携帯の番号は、表の人間には分からない筈だ」
「ですから、剣財閥のお屋敷で、執事をさせて頂いております、山田次郎と申します」
執事とは本当のようで、これまで言葉を乱すことなく、丁重な口調で話している。
「分かった、信じよう。しかし、偽名はよさないか。明らかにその名は嘘だろう」
表情や口調、感情の揺らぎや眼を見れば、雫ほどの洞察眼があれば、嘘を見破れる。その執事が嘘を言っていないと分かっている雫ではあったが、そのあまりにも狙ったようなふざけた名前に、本人の口から、その事実を聞かなければ、気分的に納得がいかなかだった。
「よくそう言われますが、本名なので信じて頂くほかありません。この名が不快と申されれば、私にとっても、謝罪するほかありませんが……」
「いや、そういうことじゃないんだ。気を悪くさせてすまないな、じいさん」
雫は、山田次郎の実直さに絆され、自己嫌悪に陥ったのか、寝癖だらけの頭を掻き毟りながら素直に謝罪した。
「滅相も御座いません。こちらこそ、至らずに申し訳御座いません」
「じいさんは謝ることないって。それより仕事の件だが、それは範囲外だからな、申し訳ないけど、ほか当たってくれ」
雫は、常に頭を下げる山田次郎を制し、仕事を丁重に断った。
「分かりました。しかし、あなた様を紹介して下さった者を、既に使者としてお送り致しましたので、その使者からの話を聞いて頂いてから、ご返答お願いできますか」
「らしいな。三百メートル程先で強い氣を纏った奴が、あからさまに気配を断った。俺を試しているのか……俺を推薦するくらいだ、まともな奴なわけないか」
面倒臭そうに言うその反面、雫は無邪気な笑みを浮かべる。
「え? と申しますと」
「いやこちらの話だ。それより、じいさんの言う通りにするよ」
すまなさそうに言う山田次郎を立て、雫は返答をする。
「有難う御座います」
雫は静かに電話を切った。
「ハー、めんどくさいな」
雫は、事務所に置かれた来客用のソファーに寝転がり、天井を見上げながら、テーブルに置かれた、数本のナイフを収納した革製のアームリストを両腕に着ける。
「おはよう御座いまーす」
数分が経ち、ドアを叩く音と共に、男の声が響いた。
雫は立ち上がり、ドアから少し遠ざかると、八メートル程距離を取り、口元を緩め返事をする。
「開いてるよ」
開かれた瞬間、雫は身に付けるアームリストから引き抜いたナイフを、それぞれの右指に三本挟み、玄関へと投じた。
「危ないですね。普通の人なら死んでますよ」
細い眼をした面長な顔の男は、口元に笑みを浮かべ、何事もなかったように、ナイフを眼前で受け止め、声を発した。
雫と同じくらいの背丈をし、チャイナ服を身に纏い、腰あたりまで延びる髪の毛は、三つ編みで束ねられ、万国共通でイメージされる、宙国人そのものだった。