6(海族少年団)


 

「ハハハハハハッ、そりゃあ、お前が悪い。見たかったな、俺はその時いなかったからな。もし、俺がその場にいたら、あの言葉を口に出すことなく飲み込めて、悲劇が訪れることなんてなかったのにな……」

 最初は笑い声を上げ、後半は嘆き、海由おじさんは、後悔を孕んだ思い出に浸る。

 そして、僕達に会話の機会を与えずに、語り部となった。

   幾美伝説~海由の悲劇~(語り部 海由)

 俺の場合は、その何日か後の放課後での出来事だった。

『みどり樹さん』で晴一郎を待つ幾美ちゃんを見つけたんだ。

「誰ですか?それは」

 知らない名の登場に、僕は尋ねる。

「ああ、そうか。未来は『みどり樹さん』を知らないよな。説明するよ」

 『みどり樹さん』とは、小さい校門をくぐり、短いスロープを上がりきった校庭の隅にある樹で、長年、生徒の行き帰りを見守り続けていて、いつしか親しみを持たれるようになっていったことから、何期生かの卒業生が、卒業記念に親しみを込めてそう名付けたと、海由おじさんが言った。

 それからは、愛着を持って皆からそう呼ばれるようになり、新江の生徒達が、学校に来て、一番最初に挨拶するのが、その『みどり樹さん』だと言う。

「学校へ行く楽しみが一個増えたな」

「そうだろう。言葉は返ってこないけど、暖かい何かが返って来るのを皆が感じてるんだ。未来も学校に行ったら挨拶してみるといい」

 海由おじさんは、懐かしそうに言った。

「分かりました」

 僕の返事に満足して、海由おじさんは話に戻る。

「幾美ちゃん。誰を待ってるんだ」

「由兄には関係ないでしょう」

「ははーーん、晴一郎だな」

 晴一郎の名前が出たとたん、急に幾美ちゃんの顔に棘が無くなった。

「まだこないの?」

 その時の素直になった幾美ちゃんを見てたら、俺のイタズラ心が擽られたんだなあ、これが。

「最低ね」

「俺もそう思うな。この時点で、お前が幾美ちゃんに何されても、文句は言えないわなあ」

 佳美おばさんが呆れ顔で睨み、自分のことを棚に上げた海道おじさんが皮肉を言う。

「ちょっと茶目っ気を出しただけじゃないか。分かってくれるよな、未来」

 僕に助け舟を求めたが、僕としても、答えは『NO』なので、首を振り、船は出せなかった。

「俺は分かるな、生意気な舞百合を、たまに、仕返しとばかりにからかって遊ぶし」

 茂雄が横から船を出す。

「わかるぞ、舞百合は幾美ちゃんを崇拝してるらしいからな。嘘泣きはしないまでも、あのビンタは痛すぎる」

 貞治は殴られた時の余韻を思い出したのか、頬を押さえながら船を出し、深々と頭を垂らす。

「そうだろう。お前ら話がわかるなあ」

 海由おじさんは、共感した二人をホメちぎる。

「舞百合ちゃんって、そんなに恐いの?」

「福ちゃんは知らなくて当然か。あいつはすぐ怒るし殴るんだよ。『じゃじゃ馬百合』って言われてるのは、流石に福ちゃんも知ってるよな。語呂が合うから言いやすいし覚えやすい」

 怯えを含んで問う福ちゃんに、貞治が返答をする。

「舞百ちゃんがすぐ怒るのは、貞君が原因であることが多い。だけど、じゃじゃ馬百合と呼ばれるのは仕方がない」

 舞百合と呼ばれる娘を庇いつつ、空もそのお転婆振りを認めた。

「空坊に言われたら、あの子も認めざる負えんな。ハハハハッ」
海道おじさんが笑い声を上げると、

「自分の娘のことで、よくそんなに笑えるわね。あなたからも、少しはおしとやかになるように言ってほしいわ」

 佳美おばさんが口元を緩めて微笑み、呆れも含めた言葉を発する。

「ハハハハッ、あれは無理だよなあ。なんたって、幾美二号だもんな。幾美ちゃんにとっての晴一郎のような存在がいれば、少しは歯止めが利くんだろうがな」

 白い歯を見せて、海由おじさんが笑った。

「未来ちゃん、ごめんね。舞百合は茂雄の二つ下の妹なの。今度紹介するわね」

 知らない名前の応酬で、首を傾げながら会話を聞いていた僕に気付き、佳美おばさんが説明してくれた。

「分かりました…………うん?」

「どうかしたか」

 返事をした直後、ふと、なにか違和感のようなものを感じて僕が首を傾げると、茂雄がそれに気付き、僕に尋ねる。

「えっ! うーん、なんかおかしいな? と思って……」

「気のせいよ、未来ちゃん。それより話を続けましょう」

 少し慌てる感じで、佳美おばさんが横から答え、話を急かす。

「そうだな、いつまでたっても終わりゃしねえからな」

 海由おじさんはそう口にして、本題に話を戻す。

 そして、イタズラ心から出た言葉が、

「教室で、女の子と楽しそうになんかしてたぞ。羨ましいことに……」

 羨望の眼差しで俺が言ったら、いつもの幾美ちゃんなら、信じずに怒り返すのに、その時は本気にして、唇を噛み締めて哀しげに俯いたんだ。

 おちょくるつもりで怒らせようとしたのに、その時のその反応で、俺は罪悪感を覚えたんだけど、いつもやられっぱなしだなって思った俺は、罪悪感よりも、仕返し心の方が少し勝ったんだなあ。

「振られたな」

 肩に手を置いて、俺は勝ち誇った。

 幾美ちゃんは、黙ったまましおらしくなり影を落とすと、唇を噛み締めて涙目になる。

 ここだっ! と思った俺は、

「ウソだよ~~~ん」

 って言った瞬間、いつもの奴が、いつもの倍早く飛び込んできた。

 多分、海道の話で出た、往復ビンタに良い手応えを感じてたんだろうなあ。あまりの間の短さと鮮やかさに、まさか往復で『喰らった』とは思えなかったけど、最初に衝撃を受けた方向に首が捻じれ、空を仰いでいたのと、両頬に奔る、痛みというより熱い衝撃の余韻が、往復ビンタだと理解させたんだなあ。

「空が青いなあ……あっー! いってーー!」

 海道同様、俺も現実逃避してたな。あまりの痛さに、直ぐに我に返って、ピーーーという耳鳴りを打ち消すように、大声で叫んでたよ。

「どうしてそんな嘘つくのよ!」

 華麗に決まったビンタの余韻に浸ることなく、幾美ちゃんが耳元で叫んだ。
未だに響く耳鳴りに負い打ちを掛けられた俺は、幾美ちゃんの叫びと耳鳴りの相乗により、鐘の内部に頭を入れられて、そのまま打ち撞けられたような感じだった。

「お……面白いかな…………と思って」

「面白い!?」

「あ……いや……ち……違う…………」

 凄まれ、尻餅を着いて怯んだ俺は、痛みの強い方の右顎を押さえながら、左の手の掌を広げて腕を突き出して翳し、死に物狂いで幾美ちゃんを制止させたよ。

「酷い……昨日、晴兄と喧嘩したから、謝ろうとして待ってたのに。からかうなんて最低…………」

 いつもと違う理由を理解した俺は、幾美ちゃんが晴一郎に抱く想いを知っていただけに、今度は罪悪感が圧勝した。

 両手で顔を覆ってしゃがみ込み、泣き崩れた幾美ちゃんに俺が戸惑っていると、居残っていた、福と康が通りかかった。

「由君! こんなところで何してるの? 帰ったんじゃないの」

 福が俺に声を掛けてきたから、助けを求めるように、俺は渋々幾美ちゃんの方に顔を向け、福と康の視線を誘導する。

「あー! これはヤバイ! これはヤバイぞ! 俺達は関係ない! 福ちゃん逃げるぞ!」

 幾美ちゃんのこのような状況は、百パーセントが厄を帯びている。
康は叫ぶと、福の腕を取って、迫り来る厄から逃げようとした……が、既に遅し……

「康兄と……メガネっ子……ちょっと……うぅ……待って……」

「はい!?」

 突然指名を受けた二人は、裏返った声で同時に返答すると、無念そうに肩を落とす。

「そこに……うっ……縄があるから、由兄を……みどり樹さんに縛り付けて」

 幾美ちゃんは、顔を覆っていた手の片方を外して指差した。皆がその先に視線を向けると、片づけ忘れたのか、円形に纏められた縄が置いてあった。

「えっ? う……うん」

 指名を受けた二人は、視線を交わし合うと、意を決して頷き、代表して福が返事をした。

 俺は数分後、それを片付け忘れた奴を恨んだね。

「悪く思うなよ。これは、幾美ちゃんを泣かせたお前が悪いんだからな」

 康が俺にそう言うと、福は渋々それに同意して、一度だけ頷く。罪悪感から、抵抗もせずにあっという間に縛り付けられた俺は、生まれて始めて鬼を見たね。

「あーーー! 騙したなー!」

 顔を上げた幾美ちゃんは、舌を出して意地悪く笑った。

「お互い様でしょう。どうしようかなー」

「俺達はこれで……福ちゃん行こう」
気まずい雰囲気に、俺に同情するように見つめる福の腕を取った康は、逃げようとする。

「待ちなさい! いいこと思いついたから。私を怒らせたら、どうなるかっていうのを見て行きなさい」

「は……はい」

 二人はビクンッと身体を硬直させ、今度は息を呑み、寸分狂わず同時に返事をする。

「これから擽りの刑を執行します」

 縛り付けられた俺の前を、左右に行ったり来たりと歩きながら、幾美ちゃんは下校して行く生徒達に宣言する。遅がけの下校時刻とあって、少ない人数ではあったが、それでも十数人が足を止め、ある者は指を差して笑い、ある者は同情、そして、苦笑いと、俺を見世物扱いしていた。

「それでは助手を紹介します。秀才のメガネっ子と丸顔の康兄です。拍手ーーー!」

 強制的に観客にされた下校中の生徒達は、満更でもなく、悪乗りして拍手喝采で場を盛り立てた。場の乗りから、助手に任命された二人は、戸惑いながらでも、その拍手に答え、手を振った。
 そんな二人に内心ムカッと来た俺は、二人を睨んだ。福は、片手で俺を拝むように声を出さずに謝ったが、逃げようとしていた康は、場の雰囲気と同化して、幾美ちゃんの助手に成り切っていた。

「メガネっ子は、片方の靴と靴下を脱がして、足の裏を康兄が擽りやすいように前に向けなさい。私は、この罪人の背後から両脇腹を擽るから」

 そして、俺の足を掴みしゃがんだ福は、福と同じようにしゃがみ込み、落ちていた小さな棒切れを指で摘む康へと、足の裏を向ける。

 幾美ちゃんは、俺の眼前でもう一度意地悪く微笑むと、背後に移動する。

「畜生! この鬼! 悪魔!」

 俺は最後の抵抗を見せ、大きく叫んだ。

「どこかで聞いたセリフね。あぁ、そうか。双子というだけあって、言うことも同じね。ウフフフッ」

 この時は何のことを言っているのか分からなかったが、そんなことお構いなしに、幾美ちゃんは余裕綽々と俺をあしらい、嫌味な貴婦人張りの笑い声を上げた。

「それでは、皆々様方! 私、幾美の為の、幾美による、報復の擽りの刑を執り行います。それでは、もう一度拍手をお願い申し上げます」

 女王様のような振る舞いで、これから行われるショウの挨拶をする幾美ちゃんに、一瞬、観客の表情が恐怖に歪み、間を空ける……が、これから起こる、俺の醜態を見る楽しさの方が勝り、拍手喝采で幾美ちゃんを盛り立てた。

「うぎゃー! ハハッ……ああ……ウウアぁあ……ハヒャヒャハヒャあーー! も……もううう……しませんから……フヒャーヤヒャハッ……やめてくれー」

 悶絶の表情で、俺は懇願していたね。

「ハハハハハッーーーきったないなー! ハハハハッ」

 数分間必死に耐えた後、果てしなく続くその行為に、涙と涎を流しながら、何とか人語を捻り出し訴える俺を見て観客が笑い、一番大きな声で、年少組みが腹を抱え笑い転げていた。

「本当にもうしない?」

 俺の懇願に耳を傾け言うと、念を押すように、更に続ける。

「誓える!?」

 静かではあるが、脅迫に近い威圧感のある力の籠もった言葉で、幾美ちゃんは俺に迫る。

「うう……もう……」

 耐えながら、ふと、学校の入り口に目を向けた俺は、救世主を発見した。ここで幾美ちゃんに『もうしない』と誓ってしまえば、俺の人生の楽しみが一つ減ることになる。この時の難は、それすら誓ってでも逃れたかったが、誓わずして逃れる方法を見つけた俺は、涎まみれの口元が緩んだ。

「どうしたのよ。誓わないの!」

「誓わなくても……ふひゃっ……いい魔法の言葉がフフヘヘヘ……使えるようになったんだ…………」

「ふ~~ん」

 不適な笑みを浮べた俺を見て、勝ち誇っていた幾美ちゃんは不機嫌な声で返答をする。すると、擽るのを止め、眼前に立ち尽くし、右足を大きく振りかぶった。

「あっそう! それなら唱えてみなさいよ! えいっ!」

 幾美ちゃんは、覚えた苛立ちを解消するために、振りかぶった右足で、俺の股間を蹴り上げた。

「うぎゃーーー!」

 俺は縛られた身体をくの字にさせて、痛みに耐えながら足をバタつかせた。

「いてててててっ……」

 すると、観客の数人の男子が、想像に容易いその光景を目の当たりにして悶絶の声を上げ、

「ハハハハハハハッ」

数人の女子が笑い声を上げる。

 観客の男子が皆、自らが受けたように股間を押さえて顔を歪ませ、女子は俺の悶絶する姿を見て、同情する者三割、笑う者が七割の割合で、それぞれ声を発した。

「さあ、どうぞ!」

 苦しむ俺に、スッキリと澄ました顔で、幾美ちゃんは掌を差し出して、魔法の言葉を唱えるように促した。

 勝ち誇る幾美ちゃんを尻目に、俺は校舎の方角へと大声でその言葉を発した。

「晴一郎ーーーー!」

「えっ!?」

 その言葉にハッとした幾美ちゃんは、俺の声の先に視線を送り、女王様から撫子へと変貌する。観客も、それに視線を向けた後、豹変した幾美ちゃんを見る。

 その意味を知る者は、俺を主体としたショウから、幾美ちゃん主体のショウへと様変わりするのを感じ取った。

「晴一郎! 早くここへ来てくれ! 俺はもう限界だ!」

「ずるいよ……由兄…………晴兄を使うなんて……」

 唇を噛み締め、イソギンチャクのようにしおらしくなった幾美ちゃんは、俺にだけ聞こえるように、ボソリと呟いた。

「晴一郎走れ! 早くしないと、ジャジャ幾美に殺される!」

 俺は仕返しとばかりに、半泣きの声色を使い、ワザと大袈裟に叫び、幾美ちゃんの印象を悪くする。

「何だよ、海由……何やってんだ?」

 俺の切羽詰った大声に、晴一郎が小走りで向かってきた。

「見りゃ分かるだろ。幾美ちゃんに縛られて、苛められてるんだよ。それより、早く解いてくれよ」

 俺は、地獄からの脱出に安堵する。

「どうせまた、幾美をからかったんだろ。でも、仕返しにしては、ちょっと度が過ぎてるけどな」

 呆れ顔で、晴一郎は幾美ちゃんの顔を見た。

 晴一郎に顔を向けられ、幾美ちゃんがしおらしく項垂れる。

「だろう。もっと言ってくれよ」

「そんな……違うの……晴兄。悪いのは由兄なのに……」

 地面を見つめた後、幾美ちゃんは涙目で晴一郎に訴え、また地面を見つめた。

「ハー、わかったから……」

流石の晴一郎も、困った顔で頭を掻き毟ってたな。

「幾美ちゃんは、なんか、お前に用があったそうだぞ」

 寛大な俺は、幾美ちゃんの悪事を許して、架け橋になってあげたんだなあ。
その後どうなったかは、流石に遠慮して、康の野郎を追い掛け回しに行ったから知らないけどな。

 そんな自分の器の大きさに、惚れ惚れした瞬間でもあったな…………
――――――――――――――――終わり