原作者 ぶさいく
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
「そろそろ本題に入るか。この伝説の詳細を話すのは、これが初めてだ。しっかり聞いてくれ」
気を引き締めた顔をした海道おじさんが、声のトーンを落とし、怪談を話す時のような囁き口調で、静かに語り始めた。
呆れた顔で台所へと移り、洗い物をしながら聞き耳を立てる佳美おばさん以外は、広いテーブルに顔を寄せ、話に聞き入る体勢をとる。
幾美伝説~海道の悲劇~(語り部 海道)
事の起こりは、パジャマ事件が発端だった。
ある早朝、晴一郎の家の階段下にある堤防で、皆が待ち合わせをした時の事だった。
珍しく遅刻者が出なかったが、とりあえず、全員が揃ってるか点呼したんだ。一人ずつ名を呼び確認して、幾美ちゃんの番が来たその瞬間…………
ババン!
「キャアーーー!」
「うわあーーーー!」
海道おじさんが、突然テーブルを叩き、高い声を出したつもりだろうけど、中途半端な低い声で叫び声を上げる。そして、それでも十分に皆は驚き、同時に叫び声を上げた。
「どうだ、吃驚しただろう。ちょっと怪談風にな。ハハハハッ。それにしても、お前らは肝っ玉が小さいなあ」
そう言うと、海道おじさんは高らかに笑い声を上げた。
「ふざけるな海道! 俺まで吃驚しただろうが!」
右側の真横に居た海由おじさんが一番吃驚したらしく、左耳の穴に人差し指を突っ込みながら怒鳴った。
「そうだ! 親父! そんな効果音は要らないんだよ! それに、怪談なら身構えて聞くし、それでも悲鳴を上げて、そう言われたら仕方がないけど、今の話には関係ないだろう!」
余程腹が立ったのか、茂雄は吃驚した分、激しく捲くし立て、更に続ける。
「無防備のところに、そんなことされたら、誰だって吃驚するのは当然だし!」
「そうだよ、誰だって吃驚するよ!」
本当に驚いたのか、おとなしい福ちゃんも、珍しく声を張り上げた。
「おじさん。悪ふざけが過ぎるよ」
空がおっとりとした口調で、海道おじさんを窘める。
眼を見開いた空の表情からは、吃驚したのは確認出来たけど、その喋り口調には緊張感がなく、僕は、驚いた怒りよりも、そのギャップの方が可笑しくて、込み上げてくる笑いを抑えるために口元を押さえる。
「空は親父と一緒だな。あいつに言われると、ちょっとした悪ふざけでも罪悪感を植えつけられちまう」
皆に言われ、更には空に窘められたことで、空の父親を引き合いに出し、海道おじさんは子供のように口を尖らせた。
「空が言うときは、悪ふざけが過ぎるときだけだよ、親父!」
取り残された僕以外の皆が、茂雄のその言葉に同意して喝采の拍手をすると、海道おじさんは顔を更に曇らせ、台所に居る佳美おばさんに助け舟を求める。
「あなたの負け。諦めて話を進めましょうね」
佳美おばさんも吃驚し、内心腹が立っていたのか、笑う口元とは裏腹に、眼が笑っておらず、棘のある笑顔で、ある意味恐い、優しい口調で微笑む。
「ハイ! それじゃあ話を進めるぞ」
尻に敷かれる海道おじさんは、肩を落としたが、気持ちを切り替えるために一声上げ、悪びれることなく、開き直って話を始める。
「昔はあんなんじゃなかったんだけどな」
海由おじさんは、僕の耳元に手を添えて囁いた。
「お互い様だ。海由!」
「俺は昔からだ」
海由おじさんは恥かしげもなく、余裕の表情で、悠々と躱した。
どっからだったっけ……えーっと、どっからだったっけ……ああ、そうだ、そして、寝ぼけていた殆どの者が、その時一気に眠気が冷めて、眼を引ん剥いたんだ。
なんとそこには、可愛らしい、ピンク色のパジャマ姿の幾美ちゃんが立っており、その手には、幾美ちゃんには不釣合いな、女の子らしい、ヌイグルミが握られていたんだ。
「プッ!」
この笑いには、あまりのオッチョコチョイさと、もう一つ、別の笑いの意味が含まれていた。
それは、初めて幾美ちゃんと出会った時、見た目の可愛さと、男勝りの性格によるギャップで驚き笑ったが、その姿が定着していた今、その外見に合った可愛らしいパジャマ姿と、女の子らしいヌイグルミを抱く姿が、逆に、普段とのギャップを作りだし、その新鮮さがスパイスとなって増幅された、可愛らしい姿への笑いだった。
そのことが脳裏を駈け巡った俺が一番に噴出すと、皆も同じ思いだったのか、それが捌け口になって、伝染したかのように笑い声を上げ始めた。
「……皆酷い!」
あまりの恥かしさから、少しの間を開け押し黙っていた幾美ちゃんは、涙を溜めて睨むと、皆に抗議した。
この時の幾美ちゃんは、ウソ泣きじゃなかったな……
「親父、質問! 何でウソ泣きじゃないって分かったんだ。幾美ちゃんのウソ泣きは、天下一品なんだろう?」
母のオッチョコチョイさに皆が笑い声を上げ、一通り皆が笑い終えると、見計らったタイミングで話を遮り、茂雄が手を上げる。
「晴一郎がそう言ってたからな。晴一郎だけは、幾美ちゃんのウソを見極めらたんだ」
「だったらその方法を、晴ちゃんに聞けばよかっただろう」
皆が思ったことを、茂雄が代弁する。
「聞いたに決まってるだろうが。でもな、晴一郎に聞いてみたけど、見たらなんとなく分かるとしか言わなかったんだ。誠一郎曰く、直感だから、言葉では説明しづらいとのことだ。……もういいか? 話を続けるぞ」
リズム良く進んでいた話の脱線で、ほんの少し不機嫌になった海道おじさんはそう言うと、話しを元に戻そうとする。
「ごめんなさい。実は、僕も言いたいことが……」
「なんだ」
出会って間もない僕に対しては、海道おじさんは遠慮しているのか、機嫌よく笑顔を向ける。
「そういえば、僕もさっきパジャマで家を出ちゃいました。階段を下りる途中で気付いて、一回家に戻ったんです。その時、おばあちゃんに、そのパジャマ事件を聞いていたので、本当は、僕は母さんを笑えないんです」
一緒に笑っていたけど、僕はさっきの出来事を思い出し、罰が悪く、母に懺悔する形で、先程の母の事を話した時に省いた、セカンドウソ泣き体験の発端となる話を告白する。
「途中で気付いたんだろ。それならマシだよ。誰にも間違いはあるからな。まあ、少し幾美ちゃんのオッチョコチョイの血を受け継いだんだろう」
海道おじさんが、当時のその姿を思い出し、懐かしそうな表情で言った。
「僕を見て笑った母さんに、僕もそう言って家から逃げてきました」
「ハッハッハッ。幾美ちゃんはそのことに気付かずに、皆の前に姿を現したからな」
「確かに。でも、俺があの時笑ったのは、恥かしそうな顔をした、幾美ちゃんのその寝惚け振りの可笑しさが七割で、後の三割は、幾美ちゃんの可愛さに見惚れつつ、やっぱり幾美ちゃんは女の子なんだなと、当たり前のことを思った、自分自身への笑いだったんだけどな」
海由おじさんが、当時を振り返り、その記憶を辿りつつ、腕組みをし、眼を瞑りながら回想する。
「少しの間、幾美は『じゃじゃ幾美』よりも、『パジャ幾美』って、影で言われてたものね。直接言えない男の子達の情けなさが可笑しかったわ」
佳美おばさんもニッコリと笑い、当時を回想する。
「それだよ。つい、口走った事が原因で、俺は泣かされたんだ。あの時初めて、幾美ちゃんのウソ泣きの力と恐さを知ったんだなあ……」
海道おじさんは大袈裟に言うと、肩を竦める。
「分かるぞ、海道。お前の気持ちは……。外見同様、鏡写しでよく分かる」
海由おじさんも、海道おじさんの肩を軽く叩き、沈んだ表情をする。
そう言うわりには、二人のその口調には悪意も皮肉もなく、その当時を振り返り、笑いへと転化する為の演技として見て取れた。
「ワザとらしいわね、二人とも。それに、幾美をからかったあなた達が悪いくせに」
佳美おばさんも含み、ツッコミを入れられた二人の表情は、屈託のない、子供の笑顔だった。
「でも、あの仕打ちはないよなあ、海由」
「そうだよ、俺なんか、あれから数日食欲が半減したからな」
二人して、大人気なく、そして、大袈裟に非難する。
「で、それからどうなったの」
なかなか進まない話を進めるために、空が口を開く。
「そうだったな。話を進めるぞ」
その日から、当分の間、あだ名は「ジャジャ幾美」改め「パジャ幾美」となる。
皆は幾美ちゃんを恐がってた部分はあったけど、仲間として、それ以上に好いてたから、直接からかう者はいなかった。影で、悪意無く笑い話として話題になったことはあったけどな。
それから何日かして、つい、俺は直接幾美ちゃんに口走っちまったんだ。
それは、ちょっとした口喧嘩から始まった。
「道兄! ちゃんと掃除してよ! 佳姉が帰れないでしょう」
今も同じだが、その当時も、一年から六年まで一クラスずつしかなく、一つ年下の幾美ちゃんは、佳美の帰りを待つのに、教室まで来ていた。
それで、同じ掃除当番だった俺と仲間が遊んでいたら、ケチを付けてきたんだ。
「幾美は間違ってないわよ」
呆れた佳美おじさんは、口を開く。
「分かってるよ、そんなこたあ。でもその時はそう思ったんだよ」
図星を突かれ、少し不貞腐れた口調で海道おじさんは言い、話を続ける。
で、俺は言い返したんだ。
「幾美ちゃんには関係ないだろ」
「関係あるわよ! 今日は佳姉と料理するんだから! 早く掃除しなさい!」
「アハハハハハッ、ジャジャ幾美が料理? 似合わねー!」
瞬間、幾美ちゃんの額に青筋が浮き出たと同時に、場の空気が加熱する。
「どういう意味よ! 私だって料理の一つや二つするわよ! そんなことはどうでもいいじゃない! は! や! く! 掃除しなさいよ!」
俺の眼前で、可愛い顔を歪ませてビックリマークのオンパレードだ。さすがに、たじろいだ俺は言葉を失った。
そして、悔し紛れに何とか捻り出した言葉が、俺自身が選ぶ、今世紀最大の最悪を呼び込んだ。
「五月蝿いな。しつこいぞ! このパジャ幾美!」
瞬間、加熱した周りの空気が一転して冷却されていく。
周りの仲間は、迫り来る危機を察知した動物のように大移動を始め、背筋が凍るような雰囲気の中、何も無かったかのように掃除を始めた。
「あっ……おい! みんな……逃げるな、俺を一人にするなよ……」
あの時のあいつらは、俺をあっさり見捨てやがった。なんて薄情な奴らだと思ったな。幾美ちゃん相手だから仕方なかったけどよ。
「ああ、言わなくても分かってるよ。自業自得なのはな」
周りの非難の目に気付き、海道おじさんは呟いた。そして、何もなかったかのように話を戻す。
そうしたら、幾美ちゃんが顔を覆いしゃがみ込んだ。
俺はビンタを免れて、ホッとした瞬間、それは起こった。
「酷い道兄……人の失敗をあだ名にするなんて……」
事態は最悪で、幾美ちゃんが泣き出したんだ。が、そう思った時が、幾美ちゃんの術中にハマッた瞬間だった。
パジャマ事件が脳裏を過ぎり、それと照らし合わせた俺は、今度も確実に本泣きだと思ったよ。
実際、酷いことを言ったと自覚した分、罪悪感があったから、そう思ったんだよな。
「泣かしたわね、道ちゃん。私は取り持たないわよ」
佳美が幾美ちゃんを援護しつつ、ハッキリと俺に言うから、俺はどうしていいか分からずに立ち竦んだ。
そして、仲間からも見放された俺は、最終的に謝る羽目になった。
「ゴメン、幾美ちゃん。俺が言い過ぎた」
「いや! 許さない。雅ちゃん達、道兄の手足を押さえつけて。お願い……」
「えっ! ……分かった。よかったぁ、海道のせいで、俺達まで怒られると思ったよ。俺達は、いつでも幾美ちゃんの味方だから、そんなことお安いご用さ」
奴らは、俺を見捨てたばかりか、あっさり寝返りやがった。三人に押さえつけられた俺はもがいたが、幾美ちゃんの一言に大人しくさせられた。
「道兄……少しの間、大人しくしてれば許してあげるわ」
仕方なく、大人しくした瞬間だった。顔を上げた幾美ちゃんは、満面の笑顔で舌を出した。
「騙されたー! 畜生ー! この鬼! 悪魔!」
俺は、ありったけの悔しさで叫んだ。
「今置かれている状況を、道兄は分かってるの! それじゃあいくわよ」
幾美ちゃんは、右手を面一杯広げ、腕を大きく振りかぶった。
俺は、恐怖に震えながら目を瞑り、歯を食い縛る。
バッシーーーーン!
「いってーーーー!」
爽快な一発を喰らい、あまりの痛さに、チョチョ切れて零れた涙を一滴垂らす。その反面、恐怖からの開放でホッとした俺は、力を抜いた。
が……その瞬間、ビンタされた逆の方向から風きり音が聞こえた。その時既に遅し。無防備の頬に、引き返してきた右手の甲が大きくぶつかる。
無防備の状態で受けた、その引き返してきたビンタの威力は行きの倍で、やや下方から迫ると、角度の付いたビンタの衝撃で、首が上方へと跳ね上がり、俺は天を仰いだ。
「あんな所に穴開いてらー」
ショックと想像以上の痛みで、現実逃避したかのように、間違った冷静さに見舞われた俺は、視線の先にある教室の天井を見つめ、丁度視線の先にあった小さな穴を見つけると、そう呟いていた。
「ハー、何を言ってんの?……最後に、えいっ!」
現実を逃避していた俺に、幾美ちゃんは首を傾げたが、気に留めることなく、止めの一撃と、俺の股間を蹴り上げた。
「うっ……ううっ…………なんで……ここまでする……んだ……よ」
一気に現実に引き戻された俺は、痛みに耐えながら幾美ちゃんに訴えると、掴まれた腕をそのままに、膝を折りしゃがみ込む。
その痛みを知る仲間達は、自らが受けたかのように、顔を顰め股間を押さえたので、俺は解放された。
股間と顔を抑えて悶絶し、俺の意思に反して涙が流れる。
「誰も一回なんて言ってないでしょう。最初の一回がジャジャ幾美。二回目がパシャ幾美。三回目が『畜生! この鬼! 悪魔!』って言ったお返しよ。どお?」
両腕を腰に当て勝ち誇り、前傾姿勢で俺を見下しながら、幾美ちゃんは可愛い笑顔を向けた。
「降参します……」
そして、俺は文句も言えずに、全面降伏を宣言した。
その時いた仲間達も、あまりの俺の痛々しさに、その日の出来事を封印した。
その後の何日かの間、それが女子達の間で語り草となり、笑い話にされたとさ…………
――――――――――――――――終わり。