「未来くーん! はあ、はあ、大丈夫ー」
既に小川屋に着いていた僕達に向かい、早歩きで来る福ちゃんが叫んだ。その後ろから、空が手を振る。
「何とか……」
力の無い声で返答する。
「凄かったなあ。あんなデカイの初めて見たよ。凄かったといえば、未来のあの顔。ほんと凄かった」
腕組みをし、貞治が笑う。
「仕方ないだろ、予備知識もなかったんだから。出てくる物が分かってたら、もう少しは冷静になれたけど、何も知らずにあんなの見せられたら、皆もああなるよ」
恥ずかしいやら腹立たしいやらで、僕は顔中が熱かった。
「鼻水出てたしな。顔はクシャクシャだし。ハハハッ、一瞬、俺は蛇より未来の顔が怖かったからな」
茂雄は貞治と顔を見合わせると、お腹を抱えて中腰で笑う。
「僕も見たかったな、未来君のその顔」
福ちゃんも、つられて笑う。
ふと、その横を見ると、空も笑っている。
なんだか僕も可笑しくなり、いつの間にか、全員が大声で笑っていた。
「でも、僕は図鑑以外で蛇を観るのは初めてだから嬉しいな」
福ちゃんは、僕がカニを観た時と同じような感動でそう口にした。
「福ちゃんは少し大袈裟だよ」
貞治が言うと、
「ううん、そうじゃないよ。当たり前に存在する、この自然に触れて遊ぶことは、都会に住む人間にとっては、それだけで普通じゃないんだ。まして、僕なんかは病弱で、外で滅多に遊べないから、すること全てが新鮮で、皆とこうして遊んでるだけで、冒険なんだ」
福ちゃんは眼を輝かせていた。
「名古屋にいた僕も、それが分かるよ。それに母さんが言ってた。普段、当たり前のように存在するモノやコトが、何よりも大切だったりするって。多分こういうことも当てはまると思う」
母の言葉が蘇る。正確ではないにしろ、少しだけど、母が言いたいことが理解できた。
「そういうもんかな。でも、福ちゃんにとっても、それが当たり前のようになるよう、俺達といろんな冒険をしようじゃないか」
茂雄は、福ちゃんに笑顔を向ける。
福ちゃんは、その言葉に感涙を浮かべ、それを悟る皆も、福ちゃんを励ます。
「こら、茂坊! 物を買わないんだったら、どっかお行き! 商売の邪魔だよ!」
皆の友情に水を注すように、小川屋のおばさんが怒鳴る。
性格を反映してか、目付きが悪く鋭く、嫌味のある口元が吊っていた。
性格がキツイだけで、棘の無い詩織ちゃんとは違い、このおばさんは、明らかに、陰湿めいたものがあった。
「別に入口にいるわけじゃないだろ。邪魔にならないところにいるし」
「五月蝿いんだよ。くだらない話ならほかでやっとくれ」
「く……くだらなくないよ!」
僕は怒りで怒鳴っていた。
僕は、今までの同級生からの仕打ちから、友達なんかいらないと思っていた。しかし、猛と和解し、豪詩に会い、今日、皆に会い、僕は、このような友達を、心の奥底では欲していたことに気が付いた。そして、それを否定するかのように、くだらないと言われ、今まで他人を蔑み、嫌っていた自分でも吃驚するくらい、無性に腹が立っていた。
もう、このとき既に、僕の中では名古屋でのことが過去となり、そういう思いが薄れていたようだった。
「私にとってはくだらないのよ。うん? あれ……な……あんた……あーあ、嫌な子に会っちゃったわ、もうどっかお行き」
僕の顔を見るなり、お化けでも見たかのような表情で口籠もりながら言うと、おばさんは、逃げるように店に入って行った。
僕は、行き場の無い怒りで顔を歪ませ、去って行くそのおばさんを睨みつけていた。
「未来、あんなの言わしとけばいいんだよ。捻くれ婆で有名なんだから。相手にするだけ疲れるだけだ。それより、お前知り合いなのか。未来の顔見て怯んだぞ」
怒る僕を諭すように茂雄は宥め、そして、捻くればばあの反応が気になったのか、不思議そうに尋ねた。
「知らない。たぶん、母さんの子供だって知ってたんだよ。ここでは、片親は肩身が狭いって、おじいちゃんが言ってたから」
「気にするな。少なくとも、俺達はお前の味方だ。……って、お前の母ちゃん美人だなあ。あれ、お前の母ちゃんだろ?」
僕を励ましながら、背後に視線を移した茂雄は、急に話しを切り替えた。。
僕が後ろを振り返ると、そこには母が歩いていた。
「あっ、うん」
「あら未来。何やってるの、こんなところで」
母は僕を見つけると、皆を見ながら近寄ってきた。
「こんにちは。僕は未来君の友達で、東川貞治と言います」
皆の前に出た貞治は、きざっぽく母に挨拶をした。やはり見たままの軽さがあった。
「よろしく、貞治君。ということは、君、茂雄君ね。二人とも、昔のお父さんを観てるようよ」
母は茂雄に視線を移した後、二人を見渡す。
「はい、小川茂雄です。よろしくお願いします」
豪詩と同じタイプだけあって、反応も同じだった。さすがに、僕とは言わなかったけど。
「福本健太です。よろしくお願いします」
福ちゃんも母に挨拶をする。
「あっ、麻美の子ね。まさか、麻美が眼鏡っ子と結婚するなんてねー」
母は、過去を回想しながら、一人声を弾ませた。
「父さんを知ってるんですか?」
「知ってるわよ。三年くらいここで暮らしてたから。眼鏡っ子……君のお父さんとも友達だから」
母は、懐かしそうに、三人を見てにっこりと微笑む。
「僕は、東海林空です」
空が口を開く。
「お父さんは相変わらず無口なの? みっちゃんは元気?」
どうやら、皆の親を知っているらしく、母は身を屈めて、一人一人の顔を覗く。そして、それぞれの親の面影を感じながら、皆の親の安否を問う。
「はい。いつも、母さんに急かされてます」
「フフフッ、皆相変わらずなのね」
母は、懐かしそうに口元を隠して小さく笑った。
「あと、可愛い女の子が一人いれば、あの頃の私達と同じね」
母は僕達と過去を重ねる。
「アアッ! もしかして……おばさん、伝説のジャジャ幾美なんじゃ」
茂雄の一言に、僕以外の一同に旋律が走る。
「皆はその人のこと、どういう風に聞いてるの?」
母は笑顔ではあるが、眼が少し怒気を帯びていた。それを感じ取ったのか、皆に緊張が走る。
「俺の父ちゃんは、喧嘩で女に泣かされたのは、後にも先にも、幾美ちゃんだけだって言ってました」
茂雄は恐る恐る語る。
「あの親父が喧嘩で泣かされたのか。信じられん」
顔を青くした貞治は、溜まらず口ずさむと、更に続ける。
「俺の親父は、あまりの痛さに、『幾美ちゃんの、あの往復ビンタが、今でも忘れられん』って言ってた」
二人は生唾を飲み込む。
「私はそんなことしてないわよ」
母は不満げに口ずさむ。
母のその一言に、母がジャジャ幾美であると確認できた四人は、少し後ずさり……
「怒らすと、詩織ちゃんより怖いと、父さんと母さんが言っていた」
空のその言葉が、追い討ちを掛けた。
「プッ」
空も『詩織ちゃん』と言わされているらしく、僕は、可笑しくて少し吹いしまった。そんな僕を他所に話が進む。
「あの詩織ちゃんよりか?」
茂雄は目を見開くと、皆も詩織ちゃんを知っているらしく、口を閉口させる。
「皆、よく聞いて。おばさんを見て、そんなことするように見えるかな」
母は笑顔で皆に訴えかける。しかし、その笑顔とは裏腹に、引きつる口元が、恐怖をより一層濃くしていた。
「未来もなんか言ってよ」
そして、僕に助けを求める。しかし、うそ泣きで騙された件を思い出し、僕は意地の悪い笑顔を母に向ける。
「じゃじゃ馬だったってのは、本当みたいだよ。本人が言ってたし」
「未来ー! もうー、この口はー!」
そう言って、僕の両頬を抓り、軽く引っ張る。
「うーー」
僕の呻き声とその行為を見て、皆が更に逃げ腰になる。
「待って……違うの。誤解なの。皆、信じて。お願い」
涙目になり、母は訴える。すると、皆も悪いと思ったのか、警戒心を解いた。
「あっ! 父さんが言ってた。幾美チャンは、うそ泣きの天才だって。その涙は、九十%がうそで、可愛い外見と、あまりのその旨さに、うそ泣きだと疑っていても、最終的には、みんな騙されるって」
福ちゃんが思い出したように語り、僕も二回ほど引っかかっているので、その横で相槌を打つ。
「ウッ」
母の体がギクリと止まる。
「美人なのは確かだけど、見た感じ、そんなに怖そうには見えないぞ」
貞治は、女の涙に弱そうで、母に近づいて行く。
「捕まえた」
やはりうそ泣きだった母は、悪戯っ子の顔で、後ろから貞治に抱きつき、否、羽交い絞めにし、意味ありげな目付きと笑顔で、口元を緩めた。
「どうしようかなー」
「うわー!」
皆が貞治を置いて逃げ出した。蛇の時よりも早く、皆があの時の僕のような顔付きで只管走る。
「置いてかないでくれー! この白状ものーー!」
僕もつられて皆と走ると、背後から、虚しく貞治の声が響き渡った。
「スケベなお前が悪いんだー!」
茂雄はそう叫び、自業自得と言い放つ。
名古屋にいた時の記憶が薄れ、昔からの友達と遊んでいるような錯覚に囚われながら、僕は皆を追い、町並みを吹き抜ける風となって走っていた。