原作者 ぶさいく
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
虫の音に支配された夜とは違い、生活音と鳥声に満ちた世界が広がっている。海には船の機械音、地では人々が流れ溢す騒音、空からはトンビとカモメの鳴声、それらが噛み合わない歯車のように、不快な三重奏を奏でていた。
昨日の疲れのせいか、気付けば昼近くまで眠ってしまっていた。部屋を出て、母の部屋の襖を静かに開けると、薄いカーテンからすり抜けた、ベランダから射し込む薄暗い日光で照らされた部屋で、母はまだ寝息を立てていた。
僕は襖を静かに閉め、階段を下り、居間へと入る。
「おはよう、未来」
「おはよう、おばあちゃん。おじいちゃんは?」
祖父の姿はなく、祖母は台所で昼食の支度をしていた。
「今日は漁に出たわよ。漁は朝早いから」
「あっ……ごめんなさい。そんなことも知らずに、心配かけちゃって……」
昨日の夜を思い出し、僕の罪悪感も眼を覚ました。
「いいのよ、もう済んだことだから。それよりね、あなた達に美味しい魚を食べさせたいって、張り切って出て行ったから、期待して待っていましょうね」
にっこりしてそう言うと、祖母は僕の背後に目を向ける。
「おはよう、幾美」
「おはよう、母さん。未来もおはよう。ごめんなさい寝過ごしちゃって。手伝うわ」
眠そうに眼を擦り、母は奥にある洗面所で顔を洗いに行く。僕もそれに続く。
「いいのよ、あなたは疲れているんだから。気を使わないで、今日くらい座ってなさい」
祖母は、手際よく作業をこなしながら背中越しに言うと、洗面所から戻る母と僕を居間に座らせた。
食事の支度を終えた祖母は、テーブルに料理を並べていく。
「いただきます」
僕は出された食事を一気に平らげると、玄関へと走る。
「まあ、そんなに急いでどこ行くの」
「海だよね、未来。気を付けてね。明るいうちの海も危険なんだから」
母はお茶を啜りながら、呆れ顔で言った。
「そんなに急がなくても、海は逃げないわよ。急ぎすぎて、階段を転げ落ちないようにね」
「うん、大丈夫だって。それじゃあ、行ってくる」
僕はそう言うと、まだ履ききれていない靴を、つま先を地面に突き付きながら玄関を飛び出す。
僕が飛び出した後、その日の夕食時の会話で祖母から聞いた、母と祖母の会話は続く。
「元気がいいわね。昔のお転婆娘を思い出すわ。いろんな意味で……フフフッ」
祖母は微笑み、意味ありげに母を見る。
「なによ、どうせ私はお転婆でしたよ」
母は口元を緩め、祖母を見て不貞腐れ、そして、笑う。
「それに、オッチョコチョイなのなんか、もう……フフフッ」
「どういうこと」
母は首を傾げる。
「もうそろそろ分かるわ」
祖母が言うが早いか、そんな会話も知らず、僕が玄関に飛び込む。
「着替えるの、忘れてたー」
階段を下る為に、足元を見た僕は、気付いた。目に飛び込んだのは、パジャマの裾だった。急いで家に飛び帰ってきたのだ。
「ほらね。昔、晴君に置いてかれまいとフフッ……あなたが……フッ……同じことしたわよね。懐かしいやら可笑しいやら……フフフッ」
祖母は言葉にならないのか、語尾が言葉になっていなかった。
「そんなことあったかしら」
母は知らん振りして言ったが、昔を思い出し、顔を赤らめる。そして、僕がその会話を聞いていないことをいいことに、僕の方に顔を向け、他人事のように口元に手をあて笑った。
「笑わないでよ。寝ぼけてただけだよ」
恥ずかしくなり、僕は二人に慌てて弁解した。
「大丈夫よ、未来。幾美も子供のとき同じことしたんだから。可笑しなところまでそっくりね。おばあちゃんは、笑いが止まらないわ」
祖母は、懐かしさのあまり遠い目をし、笑っていた。母の子供の時と、今の僕を重ねている様だった。
「母さん、余計なこと言わないでよ」
母は、恥ずかしそうに祖母を攻めた。
「なんだ、母さんだって同じことしたんだ。人のこと笑えないじゃないか」
「昔の話よ。それより早く着替えなさい」
母は、話を逸らそうと僕に言うが、僕は意地の悪い笑みで母をからかう。
「母さんも同じことをしたんだ。じゃあ母さんが元祖なんだ。母さんの子の僕が、こんなオッチョコチョイなことするのは必然だね。ふーん、母さんもしたんだ」
「何よその眼は。母さんが余計なこと言うから、未来が苛めるじゃない」
祖母に目を向け、母は嘆き泣き崩れる。
そんな母を見て、調子に乗りすぎたことを反省して謝ると、母は涙を拭いながら頷く。
「未来はまじめね」
祖母はそう言ったが、僕は意味が分からず首を傾げると、祖母は意地の悪い目で、手で顔を覆う母に向き直ると、母を顎で差す。
僕が母をジーッと覗き込むと、それに気付いた母は、涙で濡れている筈の、乾いた顔を上げて祖母に言う。
「もう、母さんったら!」
「また騙したな」
うそ泣きだった。正に昨日の手に引っかかったのだ。
「昨日教えたはずよ」
「だからって酷いよ」
「教訓よ。女の涙の『うそ』『ほんと』を見分けられるようになりなさいっていう」
「そんなの屁理屈だよ。それに、そんなこと分かるわけがないだろう。くそー!」
結局、最終的には母にあしらわれてしまう僕がいつもいる。母にはいつまでも勝てないようであった。悔しくなったので、僕は二階へと逃げるように駆け上がり、着替えを済ます。
「ほんとうに、あなたは昔からうそ泣きがうまいんだから。未来も可愛そうに……」
「母さんだって、相変わらず私のうそ泣きを見破るんだから。私のうそ泣きを見破れるのなんて、今となっては、佳姉と母さん、晴兄だけよ。母さんには、ほんと敵わないわ」
母は遠い目をし、つい口走ってしまった過去の思いに、顔をハッとさせ、眼を泳がせた。
「未来もそう思ってると思うわよ」
祖母はそこには触れず、言葉を返す。
母は祖母の気遣いに感謝の意を眼で返し、何もなかったようにそれに続く。
「そうね。あの子が私に勝とうなんてまだまだ。それに、あの子をからかうと面白いのよ。真面目過ぎるから。少し罰が悪いときがあるけどね」
そんな会話を知らず、服に着替え、僕は階段を下り玄関へと走る。
「おばあちゃん行って来ます」
「はい、いってらっしゃい」
「未来、私には」
にっこりと笑い、母は僕を見る。
「フンだ。このうそ泣き魔、この! ジャジャいっくみーー!」
悔しさの残る僕は、母にそう言うと、逃げるように玄関を飛び出した。
「え!」
ちらりと母を見ると、一瞬、戸惑いの顔をさせる。祖母も同様の顔をしていた。
「こら! 待ちなさい未来!」
「嫌だよーだ!」
逃げる為、僕は二段抜かしで階段を下った。
「あの子もしかして……」
少し動揺を残し、玄関先まで出て来た母は、心配そうに僕を見下ろしていた。
「気のせいよ。気にし過ぎるのよ、あなたは」
祖母は母の肩に手を置き、家に入るように促した。
そんなこととは露知らず、僕は狭い路地の階段を下り、十字路に差し掛かる。そこを左へと向きを変えると、少し階段を下り、緩く左右へのうねりと、緩やかな下りと上りの小さな坂が交じる路地を走り抜ける。すると、右下へと下る階段の道と交わり、小さなT字路に差し掛かる。下る階段を無視して更に走ると、すぐに、小さな空き地へと入る直線と左斜めへと登る階段との三叉路が姿を現す。速度を落とさず、左手の階段へと進路とって走る。緩やかな右カーブの登りの階段と坂が混じる道を進み、右手から登り階段が交わるT字路に差し掛かるが、緩やかに登る坂を直進する。そして、ようやく、高台の墓地へと上る数段の階段が姿を見せた。
「やっと着いた」
僕は、もう一度、天狗に会う為に、手懸りを求め、昨日天狗を見た墓地を目指して走って来たのだった。
墓地に入ると、やはり、家々が造られているように、お墓も石段で、斜面を段々にして造られていた。
僕は、天狗が昨日立っていた場所を見つけると、その場に立つ。
「小川家の墓?」
そのお墓は、海を背に、高台の端に、他とは離され、大きく場所を取って造られていた。天狗は海を見ていたのではなく、お墓を参っていたようだ。手入れされたばかりで、お供えの花はまだ新しかった。
「ほんとに、この村は小川って云う苗字だらけで、よく分からないな。誰のお墓だろ? 天狗の手懸りにはならないな。どうしようかな」
母に聞いた通り、この村は、小川と東海林という苗字に支配されていた。どこのお墓も、その苗字が刻まれていて、村全体が一族だったのでは、と云う説が妥当だと母は言っていた。
僕は、たいした手掛かりを見つけることが出来ず、来た道の反対側を道なりに進む。そして、左手にある山に沿って、更に高く墓地が造られているのを確認し、更に高く上ろうとしたが、やはり海が気になり、右手にある海へ行こうと、降る階段を探すことにした。
少し進むと、すぐに下へと降りる急な階段を見つけた。そして、降りようとした時、墓地の上の方で、子供達の声が聞こえた。
「聞いてみようかな」
手懸りがない今、駄目元で、僕はその子達に聞くことにし、左手の細長く狭い斜面を上る。