3(海族少年団)


  原作者 ぶさいく

                     ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

 

 

「母さん、ただいま……」

 そのまま山へと続く石段を登っていると、その先に左側から別の石段が交わる。手前にある空き地から見えるその石段は三メートル程あり、空き地を通り越して、そこを左折して登る。登った先には、右手側手前とその奥とで二件の家があり、左手側には、奥側の家の終わり部分まで伸びる、高さ一メートル程の手すりがあった。手すりの先を覗くと、三メートル程下に先程の空き地があり、奥側の家の正面側下には、ミカンの木が植えられた小さな畑があった。

 僕は、母に伴われて手前側の家の玄関に立つ。そして、母が引き戸を滑らすと、ガラガラと音が響き渡った。

 田舎の村にはノックするという習慣がなく、他の家を訪ねる時にでも、気軽に玄関の戸を開け挨拶を交わす。引き戸が醸し出す、独特の擦れる音が、今で言う、チャイムの代わりを果たしていた。

 母が戸を開けると、家の住人が姿を見せた。

 母は俯き、双眸に涙を浮かべると、その住人に対し、ありきたりではあるが、重みのある第一声を口にした。

「幾美……お帰りなさい……」

 出てきたその人は、感極まり、歯切れ悪く言葉を返した。

 母によく似たその人は、母が抱く、後ろめたさや悲しみや、その他さまざまな負の感情を、有り余る暖かな包容力で包み込み消し去ると、優しく僕らを迎え入れてくれた。

「有難う母さん……」

 荷物を脇に落とすと、母はその人に走りより抱き付いた。玄関と廊下の段差により、ちょうど母は、その人の胸に顔埋める形となり、僕の手前なのか、声を漏らさず涙していた。

「いいの、何も言わないで……」

 母が僕にするように、その人は、母の頭を摩り優しく囁いた。

「母さん、この子が手紙に書いた、未来」

 感情の昂ぶりが治まり、母は僕に歩み寄り手を背に回すと、その人……祖母に僕を紹介した。

「はっ! こ……この子が……幾美……ああっ……」

 僕を見た祖母は、一瞬、動揺で目が泳ぎ、同時に小刻みに体を震わせた。そして、視線を母に向ける。僕も母に視線を向けると、母は唇を噛み締め、祖母に理解を求めるように小さく頷いた。

「未来……おばあちゃんに、その顔を近くで見せてくれないかい」

 祖母は、僕に向き直り挨拶すると、腰を屈めて僕に手招きをする。初めて会う祖母に人見知りしてしまい、僕は恥ずかしさで戸惑い、その場に立ち尽くして母に視線を向ける。

「あなたのお祖母ちゃんよ。挨拶しなさい」

 そう言うと、母は僕の背を軽く押し、祖母の目前へと招いてくれた。

「初めまして、未来です。これから宜しくお願いします」

 祖母であっても初対面であり、恥ずかしさもあってか、僕は他人行儀に挨拶をした。

「はじめまして……あなたに会いたかったわ、未来……」

 そう言うと、僕を引き寄せ抱きしめた後、僕の頬に両手を添えて顔を眺めた。

 近くで見る祖母は、年相応に刻まれたシワ以外は、やはり母に似ていた。丸顔でも面長でもなく綺麗に整った顔立ちと、細身で締まる顎先、意志が強く、優しそうな眼に、高くもなく低くのない、整った鼻筋、少し大きめな唇をしている。年を経た母を見るようで、少し複雑な気持ちに苛まれる。顔だけでなく、母の持つ、優しく気持ちを落ち着かせるような雰囲気が、更に強くそう思わせた。

「これからは、あなたや幾美に辛い事や悲しい事が付いて回るかもしれないけど、お祖母ちゃんはあなた達の味方だから、一緒に頑張りましょう」

 会う人全てが同様の台詞を口にする。家出し、子供を連れ帰った母以上に、僕を重視しているように思える。母の強さを考慮した上で、僕を気に掛けているようにも見えなくはなかったが、皆が語る、眼の奥に宿る感情が、それを否定しているようにも僕には思えた。僕を見て、皆が動揺の素振りを見せる事で、僕自身にも何かが在るのだろうと思わざる負えなかった。

「はい」

「母さん……ありがとう…………」

 僕が返事をすると同時に、母は感謝の言葉を口にして、嗚咽を漏らす。僕もなぜか、それを背に感じながら、込み上げる涙を塞き止める為に俯き、目頭に意識を集中していた。

「お父さん! 聞いてたんでしょう。幾美が帰ってきたわよ」

 祖母は、四・五歩程の短い廊下の先にある襖に声を投げ掛ける。

「家出した、親不孝者の娘を出迎える為の足は、ワシにはついとらんよ!」

 ぶっきら棒に祖父は言い放った。

「ああは言っているけど、幾美の事を一番心配していたのは、お父さんなのよ。孫が来るってすごく喜んでいたしね」

 緩まる口元に手を翳し、祖母は小声でそう囁いた。

「さあ、どうぞ」

 靴を脱ぎ、招いてくれる祖母に会釈すると、母の後を追う。襖の前で立ち止まる母の後ろに付く。僕の右手には、二階へと続く階段があり、左手には、開けられた襖の先に、三畳半の部屋と、その奥に、仕切る何枚かの襖を開け放って、六畳程の部屋が広がっている。そして、六畳の部屋の右奥には、襖で仕切る、三畳程の仏間があった。繋がる二つの部屋は広く、閉まってはいるけど、どちらの部屋にも、居間に繋がる襖がある。居間を繋ぐ襖だけは、下半分が磨りガラスになっおり、六畳の部屋の襖から、透ける祖父の姿がぼやけて見えた。

「父さんただいま……」

 襖を開け、母は祖母の時のように告げる。

「ふんっ」

 そっぽを向く祖父は、鼻を鳴らすだけで、母を見ようとはしなかった。

「お父さん、そんな意地にならなくてもいいじゃない。素直に幾美を受け入れてあげても」

 見かねた祖母が祖父を宥める。その言葉に、祖父は余計に意地を張り、頭を逸らす。まるで、駄々を捏ねる子供のようだった。しかし、母はそれでも祖父に話し続ける。

「この子が未来よ、父さん」

「こんにちは、未来です。これからよろしくお願いします」

 空気の悪いその雰囲気のせいで、僕は必要以上の緊張を強いられ、ガチガチに固まって挨拶をしていた。

 すると、さすがの祖父も、孫に挨拶されて大人気ないと思ったのか、僕に視線を向けた。

「……!」

 その瞬間、祖父の周りの空気が凍りつき、時の流れを失った。

「父さん、何も言わないで……」

 空気を読み取り、母が時を流す。

「幾美! 分かっているのか! この子を連れ帰る意味が! ……この子を不幸にするつもりか!」

 母の言葉で我に返った祖父は、突然表情を強め、母に怒声を浴びせた。

 突然の怒声に、僕はその意味が分からないが為に恐怖し、吃驚してその場で硬直してしまい、言葉を失ってしまった。情けない話、気の弱い小さな子供のように、横に立つ母のスカートに手を掛け、強く握り締めていた。

「私が守るから! この子は私が守るから! お願いだから、この子の前でそんな顔しないで……」

 母は声を荒げた後、歯を食いしばり、涙目で祖父に懇願する。

「可哀そうに、未来が怯えているわよ。二人ともその辺にして、とりあえず荷物を運びましょう」

 僕の頭を撫で、二人の中に割って入った祖母は、言葉では表現できない、全てを優しく包み込むような雰囲気で場を和ませた。そのタイミングといい、険悪な場を一瞬にして治めてしまう器量といい、それは、僕が母に対して感じている、常人よりも秀でた母性によるものだった。年を経て、経験豊かな分、祖母の方が母よりも強く感じられた。母はこの祖母からそれを受け継いだのだ。

「二階を使え。どうせ、二人ではベランダで洗濯物を干す程度にしか使ってないからな」

 罰の悪そうに、祖父はそう言い放った。

「ありがとう、父さん」

「勘違いするな! ワシは、まだお前を許したわけじゃないぞ!」

 口調とは裏腹に、祖父の口調からは、悪意や刺々しさは感じられなかった。

「お父さんの許しを経たし、荷物を運びましょう」

 祖母は荷物を一つ持ち、二階へと案内してくれた。

「ワシは許したわけじゃないぞ!」

 その言葉を無視し、祖母は階段を上る。祖父の鼻を鳴らす音を背に、僕と母はそれに続いた。

 二階へと続く階段を上がると、正面は突き当たり、右手に入ると四畳半程の部屋がある。その先正面奥には六畳の部屋があり、右手の奥にも六畳の部屋があった。四・五畳の部屋は、それぞれを繋ぐ狭い居間の役割のようだった。居間と正面奥の部屋に隣接して、左手にベランダが広がっている。ベランダからは、苦労して階段を登ってきた甲斐もあり、入り江の海が見渡せ、入り江から小曽根村とを結ぶ山道と、小曽根村とその横にある加木村の一部が見て取れた。

 綺麗な景色ではあったが、入り江の入り口が見えず、少し残念だった。

「未来は右の部屋ね。母さんは、正面の部屋にするわ」

 母はそう言うと、荷物を運び込む。祖母は、僕を部屋へと案内すると、窓を開ける。部屋に入り、山側に位置する窓は、脛程の低い位置から、一・五メートル程の高さまでの大きな窓だった。そして、先程上ってきた山へと伸びる階段側には、顔が覗ける程の普通の窓がある。

 荷物を置き、大きい窓を覗くと、そこには、一階部分のちょうど台所とお風呂場、トイレの上になる平坦に近い斜面の屋根があり、十畳程のベランダとして広がっている。ベランダの左を向くと、一畳程の出っ張りがあり、そこは、母の部屋の奥にある物置で、そこからも、出入りができるようだった。そのベランダの山側端は、屋根に当たらないように一メートル程の隙間を空け、三十センチ程下に、簡単なトタン板を挟み、屋根が作られている。そこの下は、裏口の通路兼漁で使う道具を置く倉庫で、生臭い魚用の流し台が置かれ、家の中からでも出入りできるようになっている。そして、その一メートル先の境界線からは、屋根の高さを越えて、一メートル程の石垣が飛び出しており、その石垣上の平地では、祖母が作った小さな畑が広がっていた。