2(海族少年団)


  原作者 ぶさいく

                     ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

 

 僕が今見る新江の村は、加木とは違い平地が少なく、そのほとんどが、山の斜面を整地して家が建てられていた。

 海から堤防、そして国道を挟んで家があり、その裏手は斜面に建てられた家々が段々に高く並び、山の一番高い場所に立てられた家は、地面から山の五分の一程の高さに位置していた。そうしたことから、上にある家からは、入り江の海の景色が一望できるのではないかと、好奇心に駆られた。

 母に聞いたところによると、村全体のほとんどが、このように斜面にあるようで、海が見渡せるようだった。

 新江に入り、母と僕は、幾つもの刺さるような視線を受けながら歩いていた。

 全ての人が声を掛けてくるでもなく、異物を見るような目をしていて、僕は酷く気分を害していた。

 人通りの少ない夕時であったことが、救いであるようだった。

「母さん、加木を歩いている時でも、いろんな人に見られているのを感じたけど、ここの人達は、なんか嫌な感じがする」

 加木を歩いていた時でも、新参者を見るような物珍しげな視線を、多々感じる事はあったけど、それ程の気にはならなかった。しかし、ここで感じる視線は、刺々しく、神経を逆撫でするような陰湿めいたモノを感じた。

「これが、母さんがここの村から逃げ出した仕打ちなの。未来は我慢出来る」

 申し訳なさそうに、母は僕を見下ろす。

「大丈夫だよ、豪ちゃんにも頑張るって断言したし。俺は母さんの子だよ」

「そう言ってもらえると嬉しいわ。有難う、未来」

 母にはそう言ったが、母と僕を見る、粘りつくような陰湿な感じには、正直嫌気が差していた。そこで僕は、海を見て気を紛らわそうと、道路側から見ると、一・五メートル程の高さの堤防に目を移す。微かな斜面になっていたので、僕は勢いを付ければ上れると思い、助走を付けた。が、今日一日中持ち歩いていたために、荷物を持っている感覚がなくなっていた僕は、足に当たる荷物に目を移してその感覚を再認識した。その途端、急に重さを感じて疲れが溢れ出し、意気消沈したので、渋々諦め歩き始めた。

「!……なんだハシゴがあったのか」

 少し歩くと、堤防に上るためのハシゴを見つけて一人呟く。

 堤防の厚みは七十センチ程あり、落ちないように、母と並行してその上を歩く。

「反対側に落ちないように気を付けてね」

 母に言われるまでもなく、上った時点でそのことに気付いていた。堤防の海側は、道路から更に一・五メートル程降りるため、三メートル程の高があり、武者返しのように、反り返っていた。

 僕は、細心の注意を払いながら、右手に広がる海を眺めると、漁師村である新江とあって、多くの漁船が停泊している。

「うわーー綺麗だなあ。なんで、こんな景色の良い所に住んでいて、心にゆとりが持てないんだろう」

 夕日を浴び、陽炎のように波で揺らぎ輝く海面、波が地を打つ音色、緩やかな波に揺られ、弦楽器を思わせる軋み音をリズム良く刻む漁船達、暮れゆく空を嘆くような鳥たちの囀り、個々が表現する黄昏時が交じり合い溶け込むことで、神秘的な情景を描き出していた。

 感嘆の声を上げ、ひたすらに感動しながら歩いていると、堤防の入口に差し掛かり道が途絶え、道路へと飛び降りる。

「もう少し見ていたかったなあ……」

 せっかくの感動が薄れ、つい、僕は大きな声で愚痴を零してしまい、転がる石ころを蹴飛ばす。

 ふと足元を見ると、加木から新江にかけ、ここまで砂利道を歩いて来たせいか、僕の靴は砂だらけだった。この当時の五つの村々は、殆どの道が舗装されていなかったためだ。

 ひたすら続く新江の砂利道には、馬車や牛車が通るのか、所々に平行して二本の線が走り、馬糞なのか?牛糞なのか?が落ちていた。

「未来は父さんに会いたい?」

「……!?」

 唐突に母が切り出し、僕は言葉に詰まってしまった。

「急に何言うんだよ」

「だって、豪ちゃんと詩織のやり取りで未来は笑ってたけど、同時に涙流してたじゃない。あれは、可笑しくてじゃなくて、羨ましくてじゃないのかなあ。と思ったから」

 母の鋭さや観察眼にはいつも驚かされる。 母親の誰もが持つ、子に対して発揮する母性からくる能力なのだと思うが、母はそれが人一倍強く、僕は母に対して隠し事が出来なかった。

 母の目には、僕に対する罪悪感が滲み出ており、

「違うよ、本当に面白かったからだよ」

 そんな母の目を見て、締め付けられる思いに駆られる僕は、嘘を付かずにはいられない。

「いいのよ、未来。そんな事まで母さんに気を使わなくて。母さんは未来の事なら何だって分かるんだから」

 そのことを充分熟知している僕は、今更誤魔化しても無駄だと思い、本音を口にせざる負えなくなる。

「ゴメン……母さん。正直羨ましかった。俺にも父さんが居たらと軽い気持ちで思った事あったけど……でも僕には母さんが居ればそれだけで充分だと思ってた。なのに、豪ちゃんの家族を見てたら……強く意識しちゃったのかな……勝手に涙が出て来て……」

「謝る事ないわよ。未来は悪くないし、悪いのは母さんなんだから……」

 母の表情が翳る。

「父さんの事はいつか未来と向き合わないといけないと思ってたから……でもごめんなさい。実は、母さんも未だにあの人の事が吹っ切れてないの。気持ちの整理が付いたら必ず父さんの事話すから、それまで待ってくれないかな」

 悲涙を浮かべる母の表情は、とても痛々しかった。

「父さんの事は別にいいよ。僕は母さんが居れば良いし、それに……」

「それに?」

 実を言うと、僕は、父さんの事を口にする悲しそうな母さんを見ても、昔から腹立たしさを感じていた。それは、先程晴ちゃんに対して抱いた感情と同じで『嫉妬』だった。「それに」に続く言葉も、『嫉妬』を含む言葉だったので、さすがに口篭もってしまった。

父親にまで嫉妬する僕は異常なのかも知れないと、今にして、自己嫌悪に陥ってしまう。

「ううん何も。僕は、父さんの事で母さんを責める気持ちは一切無いから気にしないで。僕は、いつまででも待てるから」

「有難う」

 そう言うと、僕を見下ろしたせいか、母の長い前髪が垂れ、悲しく微笑むであろう母の表情を覆い隠す。

 母は、頭を振り、前髪を右手で掬い上げて耳に掛けると、置いた荷物からゴムバンドを取り出し口に咥える。後ろ手で髪を纏めると、ゴムバンドで綺麗に結った。

 母の髪は、こまめに手入れされていて、癖も無く、肩までストレートに伸びている。そのしなやかで綺麗な黒髪を結う母の仕草と、露わになる綺麗な首筋とうなじに、僕は正直ドキッとした。先程豪詩に言われた言葉が、過剰に意識させてしまったのだと思うが、僕はこの時初めて、親馬鹿ならぬ、子馬鹿と言われるかも知れないけど、母は綺麗なんだと思った。

「どうしたの、驚いた顔して」

 口を半開きして母を見る僕を見て、母は不思議そうに首を傾げた。

「いや、別に……少し疲れたから」

 頭を振って、僕は答える。

「でも、もうすぐよ。後はこの階段を一番上まで登るだけだから」

 どうやら、母の実家は一番上に在るらしく、僕は山を仰ぐ。手前にある家で見えないが、母は百メートル程の高さにあると教えてくれた。

「そんなに?」

「そうよ、後少しの辛抱だから。さあ行くわよ」

 母は自分自身に言い聞かせるように気合を入れると、階段を登り始めた。

「毎日この階段を上り下りするのは大変だね」

「最初のうちはね。でも、慣れれば気にもならなくわよ。健康にも良いしね」

「そうかな」

「そうよ」

 荷物を抱え、一歩一歩進むごとに、足元に注意を払いながら階段を上がっていると、突然、見慣れないモノが視界を掠めた。